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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第4章:ロートレック伯爵家
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36:二つの装い



窓から心地良い風が吹き込む。

時刻は正午過ぎ。

カーテンレールが動く音に混じり、騎士たちの活気に満ちた掛け声が聞こえてきた。


「ダフネ……」


ソファで本を読んでいたフィオナはゆっくりと視線を上げ、掃除中のダフネを呼んだ。


「散歩に行きたい」

「ダメです」


ダフネは笑顔で即答した。

その清々しいほど爽やかな笑みを見て、フィオナは交渉の余地がないことを察した。


「普通に動けるのに……」


唇を尖らせ、ぼそりと呟く。


(拗ねていらっしゃる……!)


初めて見るフィオナの表情に、ダフネは感動したように瞬きを繰り返した。


「落馬を甘く見てはいけません」


しかし、絆されるわけにはいかなかった。

雑巾を棚の上に置いたダフネは、ソファの横に膝をつき、真剣な面持ちでフィオナを見上げた。


「後から痛みがくる場合もあるんですよ」


目立った外傷は太ももの打撲のみだが、医者からは二日くらい安静にするように言われていた。


「というか、打撲で済んだのは奇跡に近いです。私は訓練中に肋骨を折ったことありますよ」

「訓練……?」

「あッ、いえ、その……!」


思わぬ墓穴を掘ってしまい、ダフネは背中に冷や汗をかいた。


「実家の近所に牧場があって、そこで……乗馬を習ってて……」

「そうなんだ」


特に疑っている様子もなく納得したフィオナに、ダフネはほっと胸を撫で下ろした。


コンコン


その時、ノックの音が聞こえた。


「フィオナ、入っていいか」

「はい」


入ってきたのはアドルフだった。

フィオナは背筋を伸ばし、ダフネはこっそり安堵の息をついて立ち上がった。


「……具合はどうだ」


アドルフは扉の前で立ち止まり、尋ねた。


「元気です」

「そうか。今日一日は安静にしていなさい」

「……はい」


アドルフにも同じことを言われ、フィオナは小さく肩を落とした。

そして、恐る恐るアドルフを見上げる。


(いる……)


アドルフの背後には、昨日と変わらず鎧を着た男の霊が佇んでいた。

霊は虚な目でどこか遠くを見ていて、何かをボソボソと呟いている。

昨日のような憎悪さえ、感じ取れなかった。


(お父様は……今回も、大丈夫かな……)


実は、アドルフに霊が憑くのはこれが初めてではない。

今までにも何回か、出征帰りに敵兵の霊を連れてきたことがあった。

しかし、いつもアドルフは平然としていて、いつの間にか霊はいなくなっていた。


「……お父様は、元気ですか?」

「……」


アドルフは少し目を見開く。

フィオナに体調を聞かれたのは初めてだった。


「ああ。今朝も訓練場を二十周してきた」


アドルフはどこか嬉しそうに答えた。


(いつもと変わらなさそう……)


霊に意識を乗っ取られたり、体調が悪くなったりはしていないようだ。

フィオナは拭いきれない不安を抱えつつ、微笑んだ。


コンコン


そこに、今度は控えめなノックの音が聞こえた。


「フィオナお嬢様にお手紙が届いています」

「入っていいよ」

「失礼しま……ひッ」


手紙を手にやってきたリネットは、ドアの手前に立つアドルフを見るなり小さく悲鳴をあげた。


「旦那様もこちらにいらしたのですね……!」

「俺のことは気にしなくていい。フィオナに手紙を」

「は、はい!」


リネットはアドルフに頭を下げてから、フィオナに三通の手紙を手渡した。


「リサと、ケイティ夫人と……ルイスからだ」

(ルイス……男?)


ルイスの名前に、アドルフが片眉を上げて反応する。


「実は皇宮からも手紙が届いておりまして……」

「持ってきてくれ」

「はいっ」


リネットは三つ編みを揺らし、小走りで部屋を出ていった。


「……フィオナ」

「はい」


扉が閉まってから、アドルフは探るような視線をフィオナに向けた。


「ルイスというのは、友人か……?」

(きた……!)


アドルフの質問に、ダフネは無意識に背筋を伸ばした。


「はい、友達です」


フィオナは柔らかく微笑み、頷いた。


「……そうか」


アドルフはそれ以上問い詰めなかった。

今のところ、"父親"の警戒ラインには引っ掛からなかったようだ。

ダフネは小さく息を吐いた。


「失礼します」


リネットが戻ってきた。


「こちらです」


リネットは緊張した面持ちで、アドルフに銀のトレーを差し出した。

トレーの上には高級感のある黒い封筒。

封蝋には皇室の象徴である太陽が描かれていた。


「ああ、ご苦労」

「失礼します」


アドルフが封筒を手に取ると、リネットは深く頭を下げて部屋をあとにした。


「お父様、座りますか?」


その場で封を開けようとしたアドルフを見て、フィオナがソファの端に寄った。


「……ああ」


アドルフは少し考えてから、ソファに歩み寄った。

アドルフが腰を下ろすと、座面が沈み、フィオナの肩がわずかに揺れた。


「……舞踏会の招待状だ」

「舞踏会……」


フィオナはアドルフの手元を見つめる。

ルゼオン帝国では、皇室主催の舞踏会が年に二回開催される。

フィオナのデビュタントも、皇宮での舞踏会だった。


「今回の出征の褒賞が貰えるらしい」


アドルフが淡々と言ったあと――


「……ッ」


頭の奥がズキンと痛み、フィオナは眉をひそめる。

その理由は、すぐに察しがついた。

フィオナはアドルフを見上げるふりをして、その背後に立つ霊を盗み見た。


『敗けてない……俺は、敗けてない……!』


霊からは、憎悪が滲み出ていた。


「……フィオナも行くか?」


そう尋ねたアドルフの瞳には、心配の色が宿っていた。

皇室主催の舞踏会には、幼い子どもを除いた家族全員で参加するのが通例だ。

しかし、アドルフはあえてフィオナに"参加しない"という選択肢をほのめかした。


「……はい」


フィオナは鈍い頭痛を感じながらも、静かに頷いた。


「わかった。一緒に行こう」


アドルフは招待状を封筒に戻し、立ち上がった。


「ダフネ」

「はい」

「フィオナのドレスの手配を頼む。いくらかけても構わない」

「承知しました!」


ダフネは張り切って返事をした。


(何もないといいけど……)


フィオナは膝の上で拳をきゅっと握り、アドルフの大きな背中を見送った。



***



(ふ、古臭い……)


ダフネは店内に並ぶドレスを見て、深いため息をついた。


「エミナ、他に仕立て屋はないの?」

「領内ではここだけだよ。隣のベアトリクス領ならもう少しあると思うけど……」


フィオナのドレスの手配を任されたダフネは、エミナの案内で領内唯一の仕立て屋に来ていた。

しかし、老婆が一人で営む小さな店には、落ち着いた色の衣服ばかり。

ドレスは時代遅れのデザインのものが三点、ショーウィンドウの中で埃を被っていた。

出稼ぎの騎士や農耕者が多くを占めるロートレック伯爵領では、ドレスの需要は低い。仕方のないことだった。


(舞踏会は二週間後……時間がない……)


ダフネは壁にかけてあったカレンダーに目を向ける。

オーダーメイドを頼むお金はあるが、二週間では到底間に合わないだろう。

既製品の中で、フィオナに似合う最高の一品を見つけ出さなければいけなかった。


「ねえ、ルゼオン帝国の社交界ってどんな感じなの?」


ふと、エミナに尋ねる。

社交界に参加する際は、勢力図を把握するのも大事なことだ。


「今はセルベーニュ公国の公女様の一強ね。去年のデビュタント以降、求婚書が絶えないらしいわ」

(権力と美を兼ね揃えているタイプか……面倒じゃなきゃいいけど)


ダフネは顎に手をあて、真剣に考えこんだ。


「男性は……ベアトリクス卿かな。最近はマクニール男爵って人も人気みたい」

「へー」


男性の話題には適当に相槌を打つ。

美男子がいようと関係ない。何故なら――


(フィオナお嬢様は、殿下のお顔が好き……!)


フィオナの発言を思い出し、ダフネは思わず口元を緩めた。


「あんたたち、フィオナちゃんのお使いかい?」


その時、店の奥の椅子に腰をかけていた老婆が声をかけてきた。


「はい、そうです」

「そうかい」


ダフネが頷くと、老婆は嬉しそうに笑った。

そしてゆっくりと立ち上がり、店の奥へと消えていく。

ダフネとエミナは不思議そうに目を合わせた。


「そろそろ来るんじゃないかと思ってね、新しいのを繕ったんだよ」


老婆は茶色い生地を手に戻ってきた。


「フィオナちゃんに渡しておくれ」


ダフネは老婆から生地を受け取り、広げてみた。

白い襟と白いボタンが付いているだけのシンプルなワンピース。

フィオナの普段着と、雰囲気がよく似ていた。


(フィオナお嬢様は、ここで服を買ってたのか)


ダフネは、"服は小さくなったらお小遣いで買っている"というフィオナの言葉を思い出し、きゅ、と唇を結んだ。


「ありがとうございます」


見た目も質感も素朴だが、よく見ると縫い目はとても丁寧で、洗練された技術が窺えた。

フィオナの成長を想像しながら、皺だらけの手で針を通してきたのだろう。

そう思うと、断れるわけがなかった。


「ああ、あとね、これも持っていきな」

「これは……」


続いて、老婆は店の棚から小さな箱を取り出した。


「宝石商の若い兄ちゃんが置いてったんだよ」


中に入っていたのは小ぶりのイヤリングだった。

ドロップ型に加工された宝石は、乳白色の淡い光を放っていた。


「これは……ムーンストーンですね」

「あたしゃ宝石のことはよくわからないし、ここに置いといてもどうせ売れないからね」

「ありがとうございます。きっと、フィオナお嬢様に似合うと思います」


ダフネは箱を受け取り、軽く頭を下げた。


「フィオナちゃんは、もうすぐ十七になるの?」

「そうですね」

「どんな人と結婚するんだろうねぇ」


老婆はにこにこと皺を寄せながら、店の奥へと戻っていった。


(ロイフォード王国の王太子妃になります……!)


ダフネは心の中で誇らしげに答えつつ、老婆を結婚式の招待者リストに勝手に追加した。



***



「え……!?」


屋敷に戻るなりフィオナの部屋を訪れたダフネは、その光景に目を丸くした。

海のように深い、青――

生地も仕立ても一流であることが一目でわかる、洗練されたドレスが、部屋の中央に置かれていた。


「ど、どうしたんですか? このドレス……」

「あ……うん。クレアさんから……」

「ブラニング嬢から?」


フィオナ自身も困惑しているようで、茫然と立ち尽くしていた。


「お詫びの品はいらないって、返事を書いたんだけど……」


フィオナは手に持っていた手紙に視線を落とした。


「見てもいいですか?」

「うん」


ダフネもその手紙を覗き込む。


"お詫びの品を贈らないなんて私のプライドが許さない。勝手に贈らせてもらうことにしたわ"


半ば逆ギレのような書き出しだった。

ダフネは改めて部屋を見渡し、感嘆の息をつく。

部屋の中にはドレスの他にも、帽子や靴、手袋など、令嬢としての必須アイテムが広げられていた。


(さすがブラニング嬢……センスが良い……)


特にドレスは文句のつけようがなかった。

深みのある落ち着いた青は、フィオナの亜麻色の髪や色白の肌によく映えることだろう。


「ダフネ……舞踏会には、このドレスを着て行きたい」

「……はい、すごくいいと思います」


ダフネは深く頷く。

格式ある舞踏会に着ていくのに、これ以上相応しいものはないと思えた。


「あ……!」

「?」


ふと、ソファの上の紙袋が目に留まり、ダフネは本来の用事を思い出した。


「仕立て屋のお婆さんから、フィオナお嬢様にと頂きました」

「!」


紙袋からワンピースを取り出し、フィオナに手渡す。


「……ありがとう」


フィオナは茶色の生地をぎゅっと抱きしめ、柔らかく微笑んだ。



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