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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第4章:ロートレック伯爵家
36/37

35:家族の時間



ブローン伯爵邸――


「……」


ルイスは自室のソファに浅く座り、二通の封筒を前にゆっくりと深呼吸をした。

まず最初に手に取ったのは白い封筒。差出人はダフネである。

封を開け、ざっと目を通す。


"フィオナお嬢様の可愛らしさは相変わらずで……"

"弟のアンリ坊ちゃんも雰囲気がそっくりで、お二人が並ぶ姿は……"


(……一枚目は飛ばしていいな)


ルイスは無表情で、一枚目の便箋をテーブルの脇に投げた。


"フィオナお嬢様の家の問題について、ご報告します"


二枚目の冒頭の文を確認して、背筋を伸ばす。

最初のテンションとは一転、落ち着いた文体で、メリンダ追放までの流れが綴られていた。

読みながら、ルイスは無意識に眉間に皺を寄せていた。


"そしてここからが本題です……"

(これが本題じゃないのか……?)


もったいぶるような最後の一文に眉をひそめ、便箋をめくると――


"フィオナお嬢様が、殿下の顔が好きと仰ってました!!!"


大きな文字に、過剰な感嘆符。

ダフネの昂ったテンションが、そのまま伝わってきた。


(知ってる)


ルイスの表情はスンとしたまま変わらなかった。

その発言は、既に本人から直接言われている。

――オレンジ色の好意の光をまとった状態で。


「はぁ」


ルイスは小さくため息をつき、最後の一文を追った。


"追伸:求婚の際はお父様と決闘することになるかもしれません"


背筋に冷たいものが走る。


(ルゼオン最強の騎士と……?)


ルイスはごくりと唾を飲み、丁寧に便箋を折りたたんだ。

そして、もう一つの封筒――フィオナからの手紙を手に取る。


中にはシンプルな便箋が一枚。

丸みを帯びた文字が綴るのは、何気ない日常のことだった。


"ダフネの作ったクッキーが美味しかった"

"ケイティ夫人が貸してくれた小説を読んだ"


(日記かよ)


ぎこちない文の羅列に、自然と笑みが溢れた。

フィオナの透き通った声が、脳内で再生される。

読み進めていくにつれ、余計な力が抜けていく。

ルイスはソファの背にもたれた。


しかし――最後の一文を目にした瞬間、身体を硬直させた。


"庭に来る青い蝶々を見るたびに、ルイスのことを思い出します"


その言葉に、ルイスの心臓が忙しなく脈打つ。


「あー……」


ルイスは手紙を膝の上に下ろし、天井を見上げた。


「会いてぇー……」


少し掠れた声が、静かな部屋にゆっくりと染み込んでいった。



***



ルゼオン帝国、ロートレック伯爵邸。

庭園に咲くバラの周りで、蝶たちが戯れている。

今日は珍しく、剣のぶつかり合う音が聞こえなかった。


「おい、早く食堂に行くぞ」

「え?」

「今日は居残り禁止だ」


訓練場の隅で剣を振る新人騎士に、先輩騎士が声をかける。


「何故ですか?」

「今日の昼休憩は訓練場に立ち入るなと、伯爵の指令だ」


先輩騎士の視線の先には、訓練場の中央に腕を組んで佇むアドルフ。

その面持ちは神妙で、異様な威圧感を放っていた。


「ま、まさか、誰かが伯爵と決闘を……!?」

「いや、そんな話は聞いてないな……」

「! 誰か来ました!」


訓練場の砂利を踏み歩く音が聞こえ、二人は咄嗟に厩舎の影に隠れた。


「お嬢様と坊ちゃん……?」


現れたのは、フィオナとアンリだった。

アンリはともかく、フィオナが訓練場に姿を現すのは珍しい。

しかも、今日はワンピースではなく、シンプルなシャツと黒いズボンという装いだ。髪も一つにまとめている。


「お嬢様も剣を習うんですか?」

「いや……」

「!」


騎士二人が見守る中、アドルフが剣を抜いた。

緊張感が走る。

数多の戦地をアドルフと共に切り抜けてきた名剣が、ゆっくりと振り下ろされ――

地面に線を引いた。


「スタート地点はここ……」


アドルフはそう言うと、大股で北に向かって歩き始めた。

そして、五十メートルほど離れたところで立ち止まる。


「ゴールはここだ。笛で合図する」


剣を納め、笛を構えるアドルフ。


「負けないよ、姉さん」

「私も」


交戦的に笑い合うフィオナとアンリ。


「構え……」


ピー!


笛の音とともに、フィオナとアンリが走り出した。


(かけっこ……!?)


まさかの展開に、騎士二人は真顔で硬直する。


「あー、あとちょっとだったのに!」


勝負は、僅差でフィオナが勝った。

アンリは悔しそうな声をあげて天を仰いだが、その表情は綻んでいた。


「フィオナお嬢様、何であんな足速いんですか……?」

「さあ……。遺伝じゃないか?」

「見た目は全く似てないのに……」


ギロリ――

こそこそと話していた騎士二人に、アドルフの鋭い眼光が向けられた。


「さ、さあ食堂に行こう」

「はいッ」


騎士たちは顔を真っ青にして、そそくさとその場を離れた。


「……」


その背中を見送ったアドルフは小さく息をつき、フィオナを見た。


「フィオナ……剣を、習ってみるか……?」


様子を窺うような、慎重な問いかけだった。


「いえ……」


フィオナは数回瞬きをしたあと、首を横に振った。

控えめにアドルフを見上げ、もじもじと指先を擦り合わせる。


「剣じゃなくて……乗馬を、教えてほしいです」

「!」



***



「この子はトニー。大人しい馬だよ」


アンリが厩舎から小柄な馬を引いてきた。


「僕も最初はこの馬で練習したんだ」

「触っても大丈夫……?」

「大丈夫だよ」


フィオナは馬の瞳をじっと見つめてから、首の付け根に優しく手を置いた。


(あったかい……)


厚い質感と、体温が心地よかった。


「ブーツと手袋、僕ので入るかな?」

「多分。ありがとう」


フィオナが細身の乗馬ブーツにぎこちなく足を通す後ろで、アドルフは黙々と馬の装具を整えていた。


「……準備はできたか?」

「はい」


ブーツと手袋を装着したフィオナは、少し緊張した面持ちで馬の横に立った。


「まずは(あぶみ)に足をかけて……」


言われた通りに金属の輪っかに足をかける。

しかし、バランスの取り方が難しく、身体を持ち上げることができなかった。


(もう一回……)


その時、急に身体が軽くなった。

視界が浮き、気づけば鞍の上に跨っていた。

――アドルフに抱き上げられたからだった。


「あ、ありがとうございます」

「……ああ。まずは俺が馬を引く。手綱をしっかり持っていなさい」

「はい」


フィオナは手綱をぎゅっと握りながら、アドルフの大きな手を盗み見た。

胸が少しくすぐったくて、きゅ、と唇を結んだ。


「姉さん、上手だよ!」

「ほんと?」


馬の隣を歩くアンリが、嬉しそうに見上げてきた。


「体幹がしっかりしてるから問題なさそうだな……少し離すぞ」

「はい」


フィオナは手綱を握る手に力を込め、背筋を伸ばす。

馬が少しだけペースを上げた。

いつもより高い位置で見渡す景色は新鮮で、肌を撫でる風は心地よかった。


(楽しい……)


フィオナが目を細めた、その時――


『見つけた……アドルフ・ロートレック……』


低く、地を這うような声が割り込んできた。

フィオナは顔色を変え、アドルフに目を向けた。


(霊……!)


アドルフの背後に、目の血走った男が立っていた。


「あ……ッ」


靴底が(あぶみ)を滑り、身体が後ろに傾く。

視界の端に、目を見開いたアドルフが映った。


「っ……」


太ももが地面に当たった瞬間、フィオナは反射的に転がって受け身をとった。

砂埃が舞い、馬がいななく。


「姉さん大丈夫!?」

「大丈夫か、フィオナ」


地面に伏したフィオナに、アンリとアドルフが駆け寄る。


「大丈夫、です」


フィオナは小さく咳き込み、ゆっくりと上体を起こした。

打撲の痛みはあるが、身体を動かすには問題なかった。


「立てるか?」


アドルフが手を差し伸べる。

フィオナはその手を取ろうとしたが、ぴたりと動きを止めた。


『まだだ……まだ俺は、敗けていない……!』


憎しみに顔を歪めた男が、アドルフを睨んでいた。

軍人だろうか――身に纏っている鎧には、赤黒い血がこびりついていた。

もちろん、アドルフに霊は見えていない。


「う……」


ズキンと、頭に鈍痛が走る。

フィオナは咄嗟にこめかみを押さえた。


「頭を打ったのか?」


アドルフは膝をつき、フィオナの顔を覗き込む。


「いえ……」


心配してくれていることはわかっているのに、フィオナは不自然に目を逸らしてしまう。


「少し、酔ってしまったのかも……です」


フィオナは自力で立ち上がった。

アンリがその背中を支える。


「医者を呼ぶ。それまで部屋で安静にしていなさい」

「……はい」


霊を背にしても、アドルフの様子はいつもと変わらなかった。

それでも不安は拭いきれず、フィオナの胸の中をじわじわと侵食していった。



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