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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第4章:ロートレック伯爵家
34/38

33:父と娘の距離



バタン――扉が静かに閉まる。


「フィオナ」


その余韻が残る中、アドルフが呼びかけた。


「気づいてやれなくて、すまなかった」


フィオナが振り返ると、アドルフは深く頭を下げた。


「いえ……」


フィオナはすぐに首を横に降り、指先をもじもじと擦り合わせた。

父と、一瞬だけ目が合う。


「大丈夫です……」


フィオナは少し視線を落とし――


「……そうか」


アドルフは短く返事をした。

しばらく、お互いに言葉は続かなかった。


(抱きしめればいいのに……)


父親と娘のぎこちない距離感に、ダフネはもどかしさを誤魔化すように小さく笑った。


「ダフネ……!」

「?」


そんなダフネを、切に呼ぶ声が聞こえた。

メリンダが最初に証人として連れてきた侍女だった。

侍女は一歩踏み出し、下唇を噛んだあと、勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい!!」


侍女のポニーテールが肩を滑る。


「指輪を探してたら、侍女長に"ダフネのベッドを見て"って言われて、そしたら本当に指輪が出てきて……」

「いいよ。証人役やらされて大変だったね、エミナ」


思い詰めた表情で話す侍女――エミナに対して、ダフネは朗らかに笑ってみせた。


「ダフネ……」


今度は、フィオナが声をかけた。

ダフネが振り向くと、フィオナはソファから静かに立ち上がった。


「ありがとう」


そして、ダフネの目をまっすぐ見つめて言った。


「いえ、そんな……」

「私のために、動いてくれたんだよね?」


フィオナは少し気恥ずかしそうに、髪を耳にかける。


「ダフネが、私のこと大事にしてくれるの、すごく……嬉しい」


人からの厚意を受け取ることに慣れていないからこその、ストレートな言葉だった。


(か、可愛い……)


年相応の少女らしいフィオナのはにかみを初めて見たリネットとエミナは、その愛らしさに思わず見惚れた。


「天使……!」


ダフネは口を手で覆ったが、抑えきれない本音が漏れていた。安定の反応である。


コンコン


柔らかな空気が充満する中、小さなノックの音が聞こえた。


「失礼します……」


恐る恐る入ってきたのは、弟のアンリだった。


「姉さん、大丈夫……?」


アンリはアドルフの顔色を窺ったあと、フィオナへと歩み寄った。


「……」


フィオナの指先が、反射的にぴくりと動く。


"お嬢様は、坊ちゃんに近づかないように"


そう言って、冷たい瞳で見下ろしてきたメリンダは――もういない。

フィオナはアンリの目前まで近づき、その頭に手を伸ばした。


「大丈夫だよ。ありがとう」


自分と同じ亜麻色の髪に触れる。

ぎこちなさがありながらも、とても優しい手つきだった。

アンリは服の裾をきゅ、と掴み、嬉しそうに目を細めた。


(この姉弟、尊すぎません……!?)


ダフネは口を押さえたまま、悶えながらその様子を見守っていた。


「フィオナ、アンリ」


姉弟のそばに、アドルフが立った。


「……土産だ」


アドルフは両手に一つずつ持ったキャンディ缶を、二人の前に差し出す。

フィオナにはピンクの缶。アンリには、水色の缶。


「ありがとうございます」


フィオナとアンリは、無骨な手から可愛らしい缶をそれぞれ受け取った。

正直なところ、二人は特段キャンディが好きというわけではない。

しかし、アドルフは遠征の度にキャンディを買って帰る。その理由は誰にもわからない。


「夕食は……一緒に食べよう」

「……はい」


キャンディ缶を手にした二人を満足げに見つめ、アドルフは執務机に戻った。


「リネット、エミナ」

「はいッ」

「フィオナとアンリに飲み物を用意してくれ」

「はい!」


指示を受けた侍女二人が背筋を伸ばす。


「ダフネ」

「はい」

「少し、話がある」

「……承知しました」


少しだけ低くなったアドルフの声に、ダフネの背筋に悪寒が走った。



***



「……」


執務机を前に、椅子に足を組んで座るアドルフ。

その向かいには、ダフネが緊張した面持ちで姿勢良く立っている。


「まずは……娘を護ってくれたこと、感謝する」

「いえ、当然のことです」


後ろで組んだダフネの手に、思わず力が入る。

その様子をじっと見つめ、アドルフはゆっくりと足を組み替えた。


「出稼ぎに来た侍女だと聞いたが……」


アドルフの紺色の瞳が、ダフネを捉える。


「本職は騎士か?」

「!」


瞬間――部屋の空気が凍りつく。

容赦なく核心を突くその一言に、ダフネはひゅ、と息を飲んだ。


(見抜かれていた……)


かろうじて表情は保っていたが、上がっていく心拍数と緊張感は隠しようがなかった。


「……咎めるつもりはない」


言葉を探すダフネに、アドルフは薄く笑ってみせた。

ダフネは、アドルフの手元に落としていた視線をゆっくりと上げていく。

アドルフの瞳から、殺気は感じられなかった。


「初対面で、俺と目を合わせて話せる侍女はまずいないからな」


アドルフは少し自嘲ぎみに話した。


(確かに……)


ダフネは先ほどのリネットやエミナの反応を思い出して、心の中で納得した。


「その姿勢も、騎士らしさが抜けてない」


ダフネの指がぴくりと動く。

手を後ろで組むのは、"危害を加えるつもりはない"という意思を示すための、染みついた所作だった。


「……伯爵の気迫に感化されてしまったようです」


ダフネは観念したように小さく息をついた。

ワンピースの下に忍ばせていた短剣を、ホルダーごと外して足元に落とす。

ゴト――小さな音とともに、絨毯の毛が沈んだ。


「……」


アドルフは目線だけを動かして、それを確認した。


「私は王室騎士団に所属する騎士で、フィオナお嬢様の護衛のために来ました」


ダフネは後ろ手を組み、胸を張って言った。


「何故、護衛の必要がある?」


アドルフが淡々と尋ねる。


「フィオナお嬢様は、年度末のパーティーでトラブルに巻き込まれました」


アドルフの片眉がわずかに上がる。


「ブラニング伯爵家の令嬢が、個人的な理由で一方的にフィオナに暴力を振るったと聞いている」

「はい……。そのトラブルの元凶に、ロイフォード王室の政敵が関わっているかもしれないのです」


アドルフは椅子の背にもたれ、静かにダフネの言葉に耳を傾けていた。


「万が一に備えて護衛につくようにと、命じられました」


トントン、と、太い指で肘掛けを叩く。


「王室が、娘のためにそこまでする理由は?」


至極当然の疑問だった。

留学生とはいえ、女子生徒一人のためにわざわざ王室が動くことに、違和感を拭えなかった。


(殿下の存在は、まだ明かせない……)


ダフネはごくりと息を飲む。

王太子の存在は、王宮でも一部の人間にしか知らされていない機密事項。

彼女の判断で外部に漏らすわけにはいかなかった。


「王室の外務官夫妻のご子息が、フィオナお嬢様と……」

「男……?」


アドルフの低い声とともに、肘掛けがミシ、と小さく音を立てた。


「し、親しい友人でして……」

「……そうか」


"友人"という単語が出た瞬間、アドルフから滲み出ていた殺気が、嘘のように消えた。

ダフネは冷や汗をかきつつ、ふう、と息を吐いた。


「……装備はしたままで構わない。今後も、フィオナの護衛を頼む」

「はい! 承知しました」


武装を許可したということは、フィオナの護衛として認められたということ。

ダフネは表情を明るくし、今一度背筋を伸ばした。


「……キャンディは好きか?」

(キャンディ……!)


少しの沈黙のあと、アドルフが机の上の瓶を開けた。


「あ……はい」


ダフネは戸惑いながら頷く。

差し出された瓶の中で、キャンディがころんと転がった。


「い、いただきます……」


白いキャンディをそっと摘み、口に含む。


(殿下……、"お父様"の壁は高そうです……!)


その甘さを味わいながら、ダフネはいずれルイスに訪れるであろう未来を案じていた。



***



ダフネが執務室を去ったあと、アドルフは口の中でキャンディを転がしていた。


(フィオナは……ああやって笑うのか……)


目を瞑り、先ほどのフィオナの笑顔を思い浮かべる。

そして自然と、亡き妻の笑顔が重なった。


(エディット……)


ゆっくりと開いた目を、机の右端、一番上の引き出しに向ける。

そこを開ける勇気は――まだ、持てなかった。


"フィオナを大事に思ってるのはわかりますけど、たまには抱きしめてあげてくださいね"


脳裏に蘇る、そよ風のように優しい声。

アドルフは眉をひそめ、自分の手を見下ろした。

剣ばかり握ってきた手のひらには、硬くなったマメばかり。手の甲には、切り傷がいくつも重なっていた。

ぐっと力を込めると、肘掛けが軋むのがわかった。


「……」


アドルフは顔を歪めると同時に、小さくなったキャンディを奥歯で噛み砕いた。



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