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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第3章:年度末パーティー
30/37

29:帰省



年度末パーティーから三日後。

フィオナは寮の部屋の前で、大きなため息をこぼした。


「……」


右手に持つ白い封筒を一瞥すると、胸がずしりと重たくなる。


『やっほー』

「!」


扉を開けた瞬間、明るい声が飛び込んできて、フィオナはぱっと顔を上げた。

ベッドの上に足を組んで座る茶髪の霊がいた。

パーティーでの一件以来見ていなかった姿に、思わず安堵の息が漏れる。


「無事だったんだ……」

『なに、心配してくれたの?』

「うん」


フィオナは迷わず頷く。

その素直な返答に、霊は少し照れくさそうに視線を泳がせた。


『その手紙なに?』


そして何気なく、フィオナが机の上に置いた手紙について尋ねる。


「家から……」


フィオナは上着を脱いで、椅子に掛けた。

なかなか封を開けようとしないフィオナに、霊は首を傾げる。


『開けないの?』

「……開けるの、ちょっと怖い」


フィオナの指が、封蝋をそっとなぞる。

そこにはロートレック伯爵家の家紋が刻印されていた。


『怖いなら、俺が手を握っててあげよっか?』


重たい空気を察してか、霊が冗談めいて言う。


『あ、握れないんだった――』


フィオナは手紙を手に、霊の隣に腰を下ろした。

冷めた反応をされると思っていた霊は、思わず固まる。


「手は握らなくていいけど、そこにいてほしい」


フィオナの口から出てきた控えめなお願いを聞いた途端、霊は胸を押さえて後ろに倒れ込んだ。


『はーーー……』


そして、静かに呟く。


『天然人たらし……』


そんな霊を脇目に、フィオナは深く息を吸ったあと、封蝋をパキッと割った。


"姉さんへ"


手紙の書き出しを見て、フィオナの肩の力がすっと抜ける。

まだ拙さの残る筆跡に、思わず笑みがこぼれた。

霊は勢いよく上体を起こし、フィオナの手元を覗き込んだ。


『……すげー心配してるじゃん』

「……うん」


そこに書かれていたのは、フィオナの身を案じ、心配する言葉ばかりだった。

しかし、最後の文面を読んだフィオナの表情が強張る。


"心配だから、一度帰ってきてほしい。

馬車を迎えに行かせるね。

この手紙が届いた翌日には到着できると思う。

会えるのを楽しみにしてるよ。

アンリより"


(明日……)


思わず指に力が入り、紙がくしゃりと歪む。


『……帰りたくないの?』


その様子を見て、霊が静かに尋ねる。

フィオナは手紙を折り畳み、膝の上に置いた。


「弟には会いたいけど……」


瞼を少し伏せ、ざらりとした紙面を撫でる。

三つ下の弟の控えめな笑顔が脳裏に浮かび、それを遮るようにして吊り目の侍女長の姿が立ちはだかる。


「使用人たちには……よく思われてないから」

『……』


霊は何も言わず、後ろに手をついた。


『普通とちょっと違うってだけで排除しようとするの……何なんだろうな』


天井を見つめ、ぼそりと呟く。

その言葉がただの同情ではないことを、フィオナは直感的に悟った。


静寂が部屋を包み込んだ、その時――


コツン、と何かが窓に当たる音が聞こえた。


「……!」


机の奥の窓を覗き込むと、青い瞳がこちらを見上げていた。

――ルイスだ。

その姿を確認した瞬間、胸に広がっていたモヤが晴れていくような気がした。


「ちょっと行ってくる」


フィオナは小走りで部屋を出ていく。


『はいよ、いってらっしゃーい』


喜びが滲み出たその背中を、霊が笑顔で見送った。



***



「ルイス!」


女子寮を出たフィオナが、壁際に立つルイスに駆け寄る。


「……!?」


夕陽を背に、息を切らして近づいてくるフィオナを見た瞬間、ルイスはぎょっと目を見開いた。


(部屋着で来んなよ……ッ)


ルイスは眉間に手を当て、俯く。

それでもフィオナの白い肌が、目に焼き付いてなかなか離れなかった。


「これ着て」

「寒くないよ」

「そういう問題じゃないから着て」

「……ありがとう」


フィオナは不思議そうな視線をルイスに向けつつ、紺色の薄手の上着を受け取った。


(大きい……)


袖を通すと、指の先までがすっぽりと隠れた。

ふと、襟元から清涼感のある爽やかな匂いが香る。

フィオナは無意識に鼻を寄せた。


(嗅ぐなッ……!)


ルイスは居た堪れなさに思わず眉をひそめ、目を背けるが――


「!?」


すぐに視線を引き戻される。

フィオナの肩に、じわりとピンク色の光が滲んだからだ。


(は? ……は??)


チョコレートを口で受け取った時は何の変化もなかったのに、なぜ匂いを嗅いだだけでピンク色になるのか。

ルイスは意味がわからず、口を開けて固まった。


「ごめん」

「は?」


困惑する中突然謝られて、思わず気の抜けた声が漏れた。

改めてフィオナを見ると、ピンク色は消え、いつも通りの揺るぎないオレンジ色だけがその身を纏っていた。


「ドレス汚しちゃったし……イヤリング、片方なくしちゃった」


フィオナは申し訳なさそうに指先を合わせる。


「あー、いいよ別に」


ルイスは平然と答える。

ドレスも宝石も、最初からプレゼントするつもりで渡したものだった。


「今度、何かお詫びさせて」

「まあ……うん。それより、身体はもういいの?」


ルイスは適当に相槌を打ち、フィオナの顔色を確認した。


「うん」

(血色も良いし歩き方も問題なかった……)

「……本当に大丈夫だよ」


まじまじと見てくるルイスに、フィオナはぶんぶんと肩を回してみせる。

果たして、その行動が"大丈夫"の証拠になるかは微妙なところだ。

大真面目なフィオナの様子を見て、ルイスは思わず表情を和らげた。


「夏期休暇は帰るの?」


何気なく尋ねると、フィオナの動きがぴたりと止まった。


「うん……。明日、迎えの馬車が来るみたい」

「……ふーん」


無理に笑うフィオナを視界に入れつつ、ルイスはポケットに手を入れた。


(さすがに教会もルゼオン帝国にまでは手を出さないか……いや、断定はできない……)


じっとフィオナを見つめていると、ふと目線が合う。

薄紫色の瞳が不安げに揺れた。

ルイスはポケットに入れた手に力を込める。


「家帰るの、嫌なの?」


いつもの声色で尋ねる。


「……うん。ちょっと」


フィオナは素直に頷いた。

繕った表情の裏側にある影に気づきながら、ルイスはそれ以上何も聞かなかった。


「帰る時、うち寄ってよ」


ポケットから手を出し、フィオナに一歩近づく。


「なんで?」

「……お詫びしてもらうから」

「わ、わかった……!」

「手ぶらでいいからな」


身構えるフィオナに、ルイスは呆れたように笑う。

夕陽を浴びたその笑顔はとても温かく、フィオナの心を解きほぐしていく。


「……おやすみ」

「うん。おやすみ」


ぶかぶかの上着に包まれたフィオナの後ろ姿を、ルイスは見えなくなるまで見送った。

その青い瞳には、"護る"という意志が、静かに宿っていた。



***



フィオナと別れてすぐ、ルイスは馬を走らせていた。

ブローン伯爵邸に到着した頃には、すっかり日が沈んでいた。

梟の鳴き声に混じって、馬が鼻を鳴らす。


「殿下、どうされました?」


玄関前で警備にあたっていたダフネがすぐに駆け寄る。

ルイスは馬から降りると、真剣な顔つきでダフネを見た。


「ダフネ」

「はい!」


ダフネはピンと背筋を伸ばす。


「明日からしばらく、フィオナの護衛についてほしい」

「え……!?」



***



応接間に伯爵夫妻とダフネを集め、ルイスは事の経緯を説明した。


「……なるほど」


クレイグが顎髭を撫で、膝を指でトントンと叩く。


「そういうことなら、ダフネは侍女として同行してもらう方がいいでしょう」

「ええ。フィオナさんはダフネをうちの侍女だと思っているし……騎士の名家のお嬢さんに、他国の騎士を勝手につけるのは角が立つでしょう」


クレイグがそう言うと、ケイティも真剣な面持ちで頷いた。


「紹介状を書いておきますね。王室での実務経験ありと書けば、よほど断られないはずです」


ケイティは立ち上がり、机の引き出しから羊皮紙を取り出した。

そしてそのままペンを走らせていく。


「我々はしばらく王宮で職務にあたる予定ですし、家を空けることになるからと言えば自然でしょう」


テキパキと策を出すクレイグと、即行動に移るケイティに、ルイスは思わず口角を上げた。


「どうされました?」

「いや……外務官二人は頼もしいなと思って。ありがとう、助かる」

「このくらい当然のことです」


ルイスはクレイグに小さく頭を下げたあと、その後ろに控えるダフネに視線を向ける。


「ダフネ……フィオナを頼む」

「はい! お任せください!」


ダフネは背筋を伸ばし、敬礼した。

その表情はやる気に満ち溢れている。


「……フィオナの家の問題にどこまで介入するかは、お前の判断に任せる」

「……?」

「最優先すべきはフィオナを護ること……いざという時は、王室の名前を出していい」

「承知しました!」


ダフネの元気な返事のあとに、掛け時計がゴーンと音を鳴らした。

夜の十時。明日のこの時間、フィオナはロイフォード王国にはいないだろう。


(……二ヶ月か……)


ルイスは窓の奥に浮かぶ満月を見つめ、小さくため息をついた。



第3章:年度末パーティー - fin -

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