29:帰省
年度末パーティーから三日後。
フィオナは寮の部屋の前で、大きなため息をこぼした。
「……」
右手に持つ白い封筒を一瞥すると、胸がずしりと重たくなる。
『やっほー』
「!」
扉を開けた瞬間、明るい声が飛び込んできて、フィオナはぱっと顔を上げた。
ベッドの上に足を組んで座る茶髪の霊がいた。
パーティーでの一件以来見ていなかった姿に、思わず安堵の息が漏れる。
「無事だったんだ……」
『なに、心配してくれたの?』
「うん」
フィオナは迷わず頷く。
その素直な返答に、霊は少し照れくさそうに視線を泳がせた。
『その手紙なに?』
そして何気なく、フィオナが机の上に置いた手紙について尋ねる。
「家から……」
フィオナは上着を脱いで、椅子に掛けた。
なかなか封を開けようとしないフィオナに、霊は首を傾げる。
『開けないの?』
「……開けるの、ちょっと怖い」
フィオナの指が、封蝋をそっとなぞる。
そこにはロートレック伯爵家の家紋が刻印されていた。
『怖いなら、俺が手を握っててあげよっか?』
重たい空気を察してか、霊が冗談めいて言う。
『あ、握れないんだった――』
フィオナは手紙を手に、霊の隣に腰を下ろした。
冷めた反応をされると思っていた霊は、思わず固まる。
「手は握らなくていいけど、そこにいてほしい」
フィオナの口から出てきた控えめなお願いを聞いた途端、霊は胸を押さえて後ろに倒れ込んだ。
『はーーー……』
そして、静かに呟く。
『天然人たらし……』
そんな霊を脇目に、フィオナは深く息を吸ったあと、封蝋をパキッと割った。
"姉さんへ"
手紙の書き出しを見て、フィオナの肩の力がすっと抜ける。
まだ拙さの残る筆跡に、思わず笑みがこぼれた。
霊は勢いよく上体を起こし、フィオナの手元を覗き込んだ。
『……すげー心配してるじゃん』
「……うん」
そこに書かれていたのは、フィオナの身を案じ、心配する言葉ばかりだった。
しかし、最後の文面を読んだフィオナの表情が強張る。
"心配だから、一度帰ってきてほしい。
馬車を迎えに行かせるね。
この手紙が届いた翌日には到着できると思う。
会えるのを楽しみにしてるよ。
アンリより"
(明日……)
思わず指に力が入り、紙がくしゃりと歪む。
『……帰りたくないの?』
その様子を見て、霊が静かに尋ねる。
フィオナは手紙を折り畳み、膝の上に置いた。
「弟には会いたいけど……」
瞼を少し伏せ、ざらりとした紙面を撫でる。
三つ下の弟の控えめな笑顔が脳裏に浮かび、それを遮るようにして吊り目の侍女長の姿が立ちはだかる。
「使用人たちには……よく思われてないから」
『……』
霊は何も言わず、後ろに手をついた。
『普通とちょっと違うってだけで排除しようとするの……何なんだろうな』
天井を見つめ、ぼそりと呟く。
その言葉がただの同情ではないことを、フィオナは直感的に悟った。
静寂が部屋を包み込んだ、その時――
コツン、と何かが窓に当たる音が聞こえた。
「……!」
机の奥の窓を覗き込むと、青い瞳がこちらを見上げていた。
――ルイスだ。
その姿を確認した瞬間、胸に広がっていたモヤが晴れていくような気がした。
「ちょっと行ってくる」
フィオナは小走りで部屋を出ていく。
『はいよ、いってらっしゃーい』
喜びが滲み出たその背中を、霊が笑顔で見送った。
***
「ルイス!」
女子寮を出たフィオナが、壁際に立つルイスに駆け寄る。
「……!?」
夕陽を背に、息を切らして近づいてくるフィオナを見た瞬間、ルイスはぎょっと目を見開いた。
(部屋着で来んなよ……ッ)
ルイスは眉間に手を当て、俯く。
それでもフィオナの白い肌が、目に焼き付いてなかなか離れなかった。
「これ着て」
「寒くないよ」
「そういう問題じゃないから着て」
「……ありがとう」
フィオナは不思議そうな視線をルイスに向けつつ、紺色の薄手の上着を受け取った。
(大きい……)
袖を通すと、指の先までがすっぽりと隠れた。
ふと、襟元から清涼感のある爽やかな匂いが香る。
フィオナは無意識に鼻を寄せた。
(嗅ぐなッ……!)
ルイスは居た堪れなさに思わず眉をひそめ、目を背けるが――
「!?」
すぐに視線を引き戻される。
フィオナの肩に、じわりとピンク色の光が滲んだからだ。
(は? ……は??)
チョコレートを口で受け取った時は何の変化もなかったのに、なぜ匂いを嗅いだだけでピンク色になるのか。
ルイスは意味がわからず、口を開けて固まった。
「ごめん」
「は?」
困惑する中突然謝られて、思わず気の抜けた声が漏れた。
改めてフィオナを見ると、ピンク色は消え、いつも通りの揺るぎないオレンジ色だけがその身を纏っていた。
「ドレス汚しちゃったし……イヤリング、片方なくしちゃった」
フィオナは申し訳なさそうに指先を合わせる。
「あー、いいよ別に」
ルイスは平然と答える。
ドレスも宝石も、最初からプレゼントするつもりで渡したものだった。
「今度、何かお詫びさせて」
「まあ……うん。それより、身体はもういいの?」
ルイスは適当に相槌を打ち、フィオナの顔色を確認した。
「うん」
(血色も良いし歩き方も問題なかった……)
「……本当に大丈夫だよ」
まじまじと見てくるルイスに、フィオナはぶんぶんと肩を回してみせる。
果たして、その行動が"大丈夫"の証拠になるかは微妙なところだ。
大真面目なフィオナの様子を見て、ルイスは思わず表情を和らげた。
「夏期休暇は帰るの?」
何気なく尋ねると、フィオナの動きがぴたりと止まった。
「うん……。明日、迎えの馬車が来るみたい」
「……ふーん」
無理に笑うフィオナを視界に入れつつ、ルイスはポケットに手を入れた。
(さすがに教会もルゼオン帝国にまでは手を出さないか……いや、断定はできない……)
じっとフィオナを見つめていると、ふと目線が合う。
薄紫色の瞳が不安げに揺れた。
ルイスはポケットに入れた手に力を込める。
「家帰るの、嫌なの?」
いつもの声色で尋ねる。
「……うん。ちょっと」
フィオナは素直に頷いた。
繕った表情の裏側にある影に気づきながら、ルイスはそれ以上何も聞かなかった。
「帰る時、うち寄ってよ」
ポケットから手を出し、フィオナに一歩近づく。
「なんで?」
「……お詫びしてもらうから」
「わ、わかった……!」
「手ぶらでいいからな」
身構えるフィオナに、ルイスは呆れたように笑う。
夕陽を浴びたその笑顔はとても温かく、フィオナの心を解きほぐしていく。
「……おやすみ」
「うん。おやすみ」
ぶかぶかの上着に包まれたフィオナの後ろ姿を、ルイスは見えなくなるまで見送った。
その青い瞳には、"護る"という意志が、静かに宿っていた。
***
フィオナと別れてすぐ、ルイスは馬を走らせていた。
ブローン伯爵邸に到着した頃には、すっかり日が沈んでいた。
梟の鳴き声に混じって、馬が鼻を鳴らす。
「殿下、どうされました?」
玄関前で警備にあたっていたダフネがすぐに駆け寄る。
ルイスは馬から降りると、真剣な顔つきでダフネを見た。
「ダフネ」
「はい!」
ダフネはピンと背筋を伸ばす。
「明日からしばらく、フィオナの護衛についてほしい」
「え……!?」
***
応接間に伯爵夫妻とダフネを集め、ルイスは事の経緯を説明した。
「……なるほど」
クレイグが顎髭を撫で、膝を指でトントンと叩く。
「そういうことなら、ダフネは侍女として同行してもらう方がいいでしょう」
「ええ。フィオナさんはダフネをうちの侍女だと思っているし……騎士の名家のお嬢さんに、他国の騎士を勝手につけるのは角が立つでしょう」
クレイグがそう言うと、ケイティも真剣な面持ちで頷いた。
「紹介状を書いておきますね。王室での実務経験ありと書けば、よほど断られないはずです」
ケイティは立ち上がり、机の引き出しから羊皮紙を取り出した。
そしてそのままペンを走らせていく。
「我々はしばらく王宮で職務にあたる予定ですし、家を空けることになるからと言えば自然でしょう」
テキパキと策を出すクレイグと、即行動に移るケイティに、ルイスは思わず口角を上げた。
「どうされました?」
「いや……外務官二人は頼もしいなと思って。ありがとう、助かる」
「このくらい当然のことです」
ルイスはクレイグに小さく頭を下げたあと、その後ろに控えるダフネに視線を向ける。
「ダフネ……フィオナを頼む」
「はい! お任せください!」
ダフネは背筋を伸ばし、敬礼した。
その表情はやる気に満ち溢れている。
「……フィオナの家の問題にどこまで介入するかは、お前の判断に任せる」
「……?」
「最優先すべきはフィオナを護ること……いざという時は、王室の名前を出していい」
「承知しました!」
ダフネの元気な返事のあとに、掛け時計がゴーンと音を鳴らした。
夜の十時。明日のこの時間、フィオナはロイフォード王国にはいないだろう。
(……二ヶ月か……)
ルイスは窓の奥に浮かぶ満月を見つめ、小さくため息をついた。
第3章:年度末パーティー - fin -




