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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第3章:年度末パーティー
29/37

28:相談という選択肢



窓の外から、クークーと鳩の鳴き声が聞こえる。

パーティーの翌朝、日の出から一時間ほど経った頃。

差し込んできた光に眉をひそめ、フィオナは静かに目を覚ました。


「……」


薬品特有のにおいが鼻をつき、間仕切りのカーテンが小さく揺れる。

アカデミーの医務室のベッドに寝ているのだと、すぐにわかった。

フィオナはゆっくりと上体を起こした。


「フィオナ起きた!?」


シーツの擦れる音を聞きつけたリサが、一気にカーテンを開ける。

フィオナは一瞬びくりと肩を揺らしたが、リサの顔を見た途端、胸に安堵が広がった。


「大丈夫? 痛いところない?」

「うん、大丈夫」


心配そうに眉を下げるリサに、フィオナは笑みを向ける。

強がりではなく、本当にどこにも痛みは感じなかった。

昨夜激しい痛みに見舞われた頭でさえ、嘘のようにすっきりと冴えている。


「あ……」


ふと、フィオナは耳に触れる。

イヤリングはついていなかった。


「ドレスとイヤリングなら寮の部屋に置いてあるよ。イヤリングは片方しかなかったけど……」


リサの言葉を聞いて、フィオナは唇の内側を噛んだ。

もう片方のイヤリングは、おそらく司祭の手にある。

そして、クレアに取り憑いていた霊が、そこに封じ込められているはずだった。


「……」


司祭の無機質な笑みを思い出して、背筋がぞくりと震えた。


「フィオナに嫉妬したクレアが暴力を振るった……っていうのが表向きの発表」


リサはそう言いながらベッド脇の椅子に腰をかけた。


「本当は、何があったの?」


真剣なトーンで聞かれて、フィオナは毛布をぎゅっと握る。

真実を伝えるべきか……迷いがあった。


(リサには、伝えた方がいい……)


フィオナは背筋を伸ばす。

霊の影響を受けやすいリサだからこそ、話しておくべきだと思った。


「クレアさんに……霊が取り憑いてた」

「マジ? でも、パーティーの時は何も感じなかったよ?」

「うん……クレアさんのイヤリングに封じ込められてて、そこから出てきたの」

「そんなことあるの!?」


リサは驚きのあまり大きな声を漏らし、考え込むように顎に手を添えた。


「ねえ、それって……霊をイヤリングに封じ込めた人がいるってこと……?」


そしてリサは、辿り着いた仮説に顔を青くする。

フィオナは静かに頷いた。


「ユノレス教って知ってる?」

「うん。最近この辺で布教活動してるよね」


ユノレス教――ロイフォード王国が建国される前、この地域に広く浸透していた宗教だ。


「多分……その司祭の人がやったんだと思う」

「待って。フィオナ、その人に会ったの?」

「うん。結果的には、助けてもらった……のかな」


フィオナは視線を手元に落とした。

霊の脅威を逃れられたのは、紛れもなくイライアスの能力のおかげだ。

しかし、そこに善意などなかった。


「その人は、フィオナの能力知ってるの?」

「あ……」


フィオナの手の上に、リサの手が重ねられる。

視線を上げると、息を詰めたようなリサと目が合った。


「霊と話してるとこ、見られちゃったから……」


フィオナが答えた瞬間、リサの手に力がこもる。


「もう、その人に近づいちゃダメだよ」


静かな言葉だった。

普段明るいリサだからこそ、そのトーンから重みが伝わってくる。

フィオナはリサの手をぎゅ、と握り、迷いのない表情を向けた。


「……うん。リサも気をつけて」


その時――


コンコン、とノックの音が聞こえた。


「入っても大丈夫ですか?」

「はーい!」


リサは自分がかけていたストールをフィオナの肩に掛け、はっきりと返事した。


「失礼します」


入ってきたのはファーノンだった。

背後には腰を曲げた初老の男性が立っていた。

ファーノンはフィオナを一瞥だけして、入り口近くで留まった。


「ちょいと診察しますよ」


初老の男性が聴診器を耳に掛けつつ、ベッドに歩み寄る。

彼はアカデミーの校医だった。


「お願いします」


フィオナの胸元に聴診器が当てられる。

金属のひんやりとした感触に、フィオナは一瞬だけ眉を動かした。


「……うむ。異常はありませんよ」


校医がそう言うと、リサとファーノンがほっと息をついた。


「お休みに申し訳ありませんでした」

「いやいや、構わんよ」


医務室を出ていく校医に、ファーノンが深く頭を下げた。

そして扉を閉めると、フィオナに向き直る。


「フィオナさん」


名前を呼ばれただけで、フィオナに緊張感が走る。

ごくりと唾を飲み、おそるおそるファーノンの顔を窺った。

ファーノンはゆっくりとフィオナに歩み寄る。

眉間に深い皺を寄せながらも、その瞳の奥には温かな光を宿していた。


「こんな大事になる前に、私に相談できたのではないですか?」


後ろ手を組んだファーノンが、静かにフィオナを見下ろす。

ファーノンが感情任せに怒っているわけではないことは、わかっている。

しかし、フィオナは視線を落とし、言葉に詰まった。


「……わからない……です」


小さな声が部屋に消えていく。

フィオナは誰かに"相談"するという選択肢を、持ったことがなかった。


「……」


フィオナの正直な反応を、ファーノンは咎めない。

小さく息をつき、窓へと視線を向けた。


「クレアさんから聞きました。あなたの辞書を池に捨てたのも、彼女だと」

「あ……」


言われて、フィオナは小さく口を開ける。

池に浮かぶ辞書を取ろうとして、ファーノンに諭された時のことを思い出した。

その時フィオナは、辞書を「落とされた」のではなく「落としてしまった」と説明していた。


「少しでも嫌だと思ったり、不安や違和感を抱えたりした時……すぐに、相談すればいいのです」


ファーノンが落ち着いた声色で言う。

わからないと言ったフィオナに対する、答えだった。


「わかりましたか?」

「……はい」


フィオナは一度だけ、ゆっくりと頷いた。

その様子を見ていたリサが柔らかい笑みを浮かべ、医務室内の空気が少し軽くなった。


「あの……」


そんな中、フィオナは少し言いにくそうに口を開いた。


「クレアさんは、どうなったんですか……?」

「……今は自宅で療養しています。足の捻挫が酷く、とても歩ける状態ではないそうです」

「そうですか……」


フィオナは少し瞼を伏せ、昨夜のクレアの不自然な動きを思い浮かべた。


「学長が課した罰則は三ヶ月間の自宅謹慎……ですが、本人からの強い希望があり、クレアさんはアカデミーを退学することになりました」

「!」


思わず目を見開き、ファーノンを見る。

ファーノンの冷静な瞳を見て、それが変えようもない事実であると、フィオナは察した。


「あと、今回のことはご実家に報告の文書を送りました」

「え……」


続いた言葉に、フィオナの表情が固まる。


「クレアさんも公的な謝罪をしたいと言っているので、家同士で折り合いをつけてください」

(家……)


握った拳に思わず力が入った。


(また……迷惑をかけちゃう……)


窓から差し込む朝日が、フィオナの横顔を淡く照らす。

その光から逃げるように俯いたフィオナの肌に、長い睫毛の影ができた。



***



「フィオナ!」


校舎を出て、寮へと向かうフィオナにレナルドが駆け寄る。


「大丈夫? 怪我はない?」


レナルドはリサと同じように、心配そうに眉を下げてフィオナの様子を確かめた。


「うん。大丈夫だよ」


フィオナがいつもの調子で頷くと、レナルドは胸を撫で下ろした。

そして、きゅ、と唇を結ぶ。


「ごめん……」

「なにが?」


きょとんとするフィオナに対して、レナルドの表情は浮かない。

エメラルドグリーンの瞳は、どこか思い詰めたように地面を見つめていた。


「クレアさんがフィオナに酷いことをしたの……きっと、僕のせいだ」


レナルドは切なそうに眉間に皺を寄せ、言葉を絞り出す。

その声は、少しだけ震えていた。


「? 違うと思う」


フィオナはいつもと変わらない声音で言い切った。


「……何でそう思うの?」


それでもレナルドの表情が晴れないのを見て、尋ねる。


「だって……」


レナルドは言葉に詰まる。

熱が込み上げ、耳元から首筋にかけて赤みが広がっていく。


(言えない……)


クレアが自分に好意を抱いていることくらい、レナルドにも分かっていた。

しかし、レナルドが想いを寄せるのは昔から変わらずフィオナだった。

理由を説明するには、自分の想いを明かさなければならない。

――言えるわけがなかった。


「と、とにかく、ごめん。これからは絶対、こんなことにならないようにするから」


レナルドは誤魔化すように強引に押し切った。

勝手に自分の責任だと決めつけたレナルドに、フィオナは不服そうに眉をひそめた。


「ねえ、レナルド」


レナルドのすぐ目の前まで歩み寄り、まっすぐと見上げる。


「私、レナルドにはいつも助けられてるよ」


一点の曇りもない瞳に、落ち着いた声。

レナルドは心臓をぎゅっと掴まれたように、胸が苦しくなるのを感じた。

ドクンドクンと脈打つ鼓動が、だんだんと大きくなっていく。


「留学もそうだし……デビュタントの時も……」

「……」


"デビュタント"と聞いた一瞬だけ、レナルドは息を飲んだ。


「一緒にいてくれてありがとう」


どこまでも純粋で、無垢な言葉だった。

だからこそ、レナルドの心に深く突き刺さる。


「……僕の方こそ、ありがとう」


レナルドは吐き出してしまいそうになった本心をぐっと飲み込み、優しく目を細めた。


「レナルドはいつ帰るの?」

「僕は明日帰るよ。フィオナはどうするの?」

「私は……最後の二週間くらい、帰ろうと思ってる」

「そっか。じゃあ、また連絡するよ」

「うん」


お互いに笑顔を浮かべ、手を振る。


レナルドはフィオナが寮の扉を閉めるまで、その背中を見つめていた。

そして、フィオナの姿が見えなくなってから、微笑んでいた口元を少しだけ歪める。


(僕は……そんな、いい人じゃないよ……)



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