25:レナルドの願い
「泊まったの!?」
「うん」
食堂にリサの大きな声が響き渡る。
「え、泊まったって……」
「フィオナさんが……? どこに?」
「まさか……!」
ざわめきが波紋のように広がっていく。
「仕方ないだろ。豪雨で馬車を出せなかったんだ」
「そうなの? こっちは晴れてたのに」
彼らの視線の先には隣り合って座るフィオナとリサ、そして……その前に座るルイス。
「何もしてないでしょうね?」
「してねーよ」
じとっと睨んでくるリサに対して、ルイスは落ち着いた様子で否定する。
(これは本当に何もなかったみたいね……いや、それはそれでどうなの??)
ルイスの様子からその言葉が嘘ではないと伝わるが、どこか腑に落ちないリサだった。
「シチューとラズベリーパイ作った」
「よかったねぇ、フィオナ」
誇らしげに語るフィオナの頭をリサがよしよしと撫でる。
フィオナは相変わらず嬉しそうな様子で、小さな紙袋の中身を取り出した。
「それ何?」
「お土産で貰った。チョコレートだって」
「え、高級品じゃん!」
リサは興味津々にフィオナの手元を覗き込む。
「「わあ……!」」
フタを開けた瞬間に濃厚なカカオの香りが広がり、フィオナとリサの声が重なる。
中には丸いチョコレートが六粒、それぞれ仕切りに区切られて入っていた。
「え、やば。これどこの?」
リサがパッケージを確認する。
一目でこのチョコレートがそのへんに流通しているものではないと察したようだ。
「知らない。執事が用意した」
リサの視線から逃げるように、ルイスは紅茶を一口飲んだ。
「美味しい……! リサも食べて」
「う、うん……美味しい!!」
チョコレートを口に含んだフィオナとリサの表情が輝く。
舌の上でとろける贅沢な質感。芳醇なコク。鼻の奥に残る上品な香り――。
至福の数秒間だった。
(没落寸前って言われてるブローン伯爵家が、何でこんなチョコレートを用意できるの!?)
リサは味に感動しつつも、生まれてくる疑念を無視できない。
ルイスに目を向け、そしてハッと息を飲む。
(なに、その顔……)
ルイスは頬杖をつき、とても優しい表情でフィオナを見つめていた。
その青い瞳に含まれる感情は、決して単純なものではない。
リサだけが、その変化に気づいてしまった。
「ルイスも食べて」
フィオナがルイスにもチョコレートを勧める。
「……俺はいいよ」
「美味しいから、ルイスにも食べてほしい」
ルイスが断っても、フィオナはなかなか引かない。
美味しいものを友達と共有したい、という気持ちが強いようだ。
「はい」
フィオナがチョコレートを一粒掴み、ルイスに差し出す。
「……」
ルイスは頬杖を外し、じっとチョコレートの奥、フィオナの顔を見つめた。
そして――
《!?》
ぱく。
身を乗り出し、唇でそれを受け取った。
食堂内から一瞬音が消える。
三秒後、カラン、とカトラリーが床に落ちた。
「はああああ!?」
「い、い、今の、"あーん"ってやつ……!!」
その音を皮切りに、食堂内は喧騒に包まれた。
「美味しいでしょ?」
そんな喧騒など意にも介さず、フィオナは満足げに笑っている。
(フィオナはいつも通り……)
リサは観察眼を研ぎ澄ませ、フィオナとルイスを交互に見る。
「うん」
ルイスは頷きながらも、不服そうにチョコレートを咀嚼していた。
(……ピンクになんねーのかよ)
***
「……?」
たった今やってきたレナルドは、食堂内の異様な雰囲気を感じ取って首を傾げた。
「なあレナルド……やっぱりルイスとフィオナさんって交際してんのかな……」
「え?」
レナルドの隣に、生気のないクラスメイトがぬっと現れる。
死んだ魚のような瞳が見つめる先には、フィオナとリサとルイス。
遠目からでも楽しそうな様子が伝わってきた。
「……交際はしてないと思うよ」
レナルドは柔らかな笑みを浮かべて、先ほどの質問に答えた。
「そもそもフィオナさんって婚約者いないの?」
「いないよ」
「でも、あの容姿じゃあ求婚書が山のように届いてるはずだよな!?」
「……」
フィオナに婚約者はいないし、求婚書は今までに一度も届いたことがない。
デビュタント以降フィオナは社交界に顔を出していないうえに、「精神病を患っている」という噂まで広まっていたからだ。
「そうなんだろ、レナルド!」
「……そのへんはちょっとよくわからないな」
レナルドは笑って誤魔化した。
そこに突然、香水の甘い香りが弾ける。
「こんにちは、レナルドさん」
「……こんにちは」
クレアがレナルドの前に立ち、上目遣いで彼を見つめていた。
「改めて、パーティーのパートナー、よろしくね」
「うん。こちらこそよろしく」
にっこりと、クレアの赤い唇が弧を描く。
レナルドも柔和な笑みでそれに応えた。
「当日は何色の衣装をお召しになるの?」
「色?」
「ええ。貴方の衣装の色に合ったドレスを選ぼうと思って……」
クレアは気恥ずかしそうに視線を落とし、髪を耳にかけた。
その可憐な仕草に、隣にいたクラスメイトの目が釘付けになる。
「……まだ決まってないんだ」
しかし、レナルドは眉を下げて笑うだけだった。
「僕のことは気にせず、クレアさんの好きなドレスを選びなよ」
柔らかな言葉の裏に滲ませた、明確な拒絶。
社交界に通じているクレアだからこそ、その意味がよくわかってしまう。
「……ええ、そうするわ」
クレアは貼り付けた笑顔を浮かべ、去っていった。
***
「レナルド」
配膳を受け取り終えたレナルドに、フィオナが駆け寄る。
その手には小さな箱。中にはチョコレートが一粒入っていた。
「これあげる」
「チョコレート? どうしたの?」
「ブローン伯爵夫妻から貰った」
「僕が食べてもいいの?」
「うん。友達と食べてって言われたから」
レナルドは、フィオナの背後にいるルイスをチラっと見る。
ルイスは特に表情は変えず、視線だけを逸らした。
「じゃあ、そこの小皿に……」
「今食べさせていい?」
「……え?」
レナルドは耳を疑った。
理解が追いつかないうちに、チョコレートを摘んだフィオナの指が近づいてくる。
(え……ええ!?)
慌てふためくが、トレーを持っているため手は動かせない。
フィオナの顔は真剣そのもの。
「〜〜っ」
レナルドは観念したように目を瞑り、口を開く。
滑らかなチョコのコーティングが舌に触れる。
それを落とさないように口の中に閉じ込めると、ほんの一瞬、唇にフィオナの指先が触れたような気がした。
「美味しい?」
フィオナは期待の眼差しでレナルドを見上げていた。
「う、うん。いいチョコレートだね……」
レナルドはその無垢な顔を直視することができない。
真っ赤な顔で、なんとか声を絞り出した。
先ほどの感触が頭から離れなくて、正直味なんてしなかった。
「……ドンマイ」
フィオナの背後で、リサがルイスの背中を叩く。
ルイスは額に手を当て、深いため息をついていた。
「あ……フィオナ」
「なに?」
そのまま立ち去ろうとしたフィオナをレナルドが引き止める。
「放課後、ちょっと時間を貰えないかな」
未だ熱の残る顔で、まっすぐとフィオナを見据えた。
「うん」
フィオナは躊躇なく頷く。
「ありがとう」
レナルドは嬉しそうに目を細めた。
***
正門から校舎までまっすぐと伸びたレンガの道。
その左右にそれぞれ、華やかな庭園が広がっている。
どちらもメインは赤いバラで、デルフィニウムやスイートピーなど、色とりどりの花々で自然な美しさを演出していた。
その西側。バラの生垣を抜け、突き当たった場所に白いベンチがある。
そこにレナルドとフィオナが腰をかけていた。
「涼しいね」
「うん」
吹き抜けた風に、フィオナが気持ちよさそうに目を細める。
対して隣のレナルドはピンと背筋を伸ばし、唇をきゅっと結んでいた。
「……何かあった?」
緊張した面持ちのレナルドをフィオナが覗き込む。
「あ……ううん、違うんだ。ありがとう」
レナルドはハッとして、柔らかい笑みを繕った。
「……」
ゆっくりと深呼吸をひとつ。
そして、ジャケットの内ポケットに手を入れる。
「実は……これを渡したくて」
フィオナに身体を向け、両手で差し出したのは細長い箱。
「本当に……高価なものでもないから、受け取ってもらえないかな」
「ありがとう。開けてもいい?」
「うん」
中に入っていたのは白いリボンだった。
レナルドの言った通り、宝石ほど高価なものではない。
しかし上質な絹は、光を受けて落ち着いた艶を返していた。
「髪に着けたら可愛いと思うんだ。白なら、どんなドレスの色にも合うと思って」
そう言いながら、レナルドは膝の上で指先を合わせた。
「髪……どこに着けたらいいんだろう?」
フィオナがリボンを手に取り、素朴な疑問を口にする。
「当日の髪型にもよると思うけど……」
「髪は一つにまとめると思う」
「それならてっぺんに着けるか……横でも……」
レナルドは真面目に答えつつ、無意識に手が伸びる。
途中で正気を取り戻したが、その手を引こうとはしなかった。
「横につけても、可愛いと思う」
フィオナの髪を耳にかけ、優しく微笑む。
「そっか。ありがとう、レナルド」
フィオナは一度だけ瞬きをして、微笑みを返した。
「……どういたしまして」
レナルドは小さく息をつき、赤くなった首元を隠すようにジャケットの襟を正した。
「当日の支度は誰にしてもらうの? リサ?」
「ううん。ブローン伯爵家の侍女のダフネさんが来てくれる」
「……そうなんだ」
レナルドの顔に、ほんの一瞬だけ影が差す。
(フィオナは……ルイスのこと、好き……なのかな……)
レナルドは少し俯き、フィオナの横顔を盗み見た。
ごくり。息を飲む。
「……エスコートはルイスにしてもらうの?」
「? ううん、リサと一緒に行く」
「……そっか」
フィオナの淡々とした返答を聞いて、レナルドはどこか安堵したように口元を緩めた。
「フィオナ」
「なに?」
そしてもう一度背筋を伸ばし、フィオナに向き合う。
「今回はできないけど……いつか、僕にエスコートさせてほしい」
膝の上で握った拳に汗が滲む。
レナルドの真摯な眼差しを受け、フィオナも真剣な表情で考え込む。
「……それは無理だと思う」
「!」
出てきた答えに、レナルドは息を止めた。
「だって、レナルドはきっと来年も再来年もダンスの代表に選ばれるでしょ? でも私が選ばれることは絶対ないもん」
「……」
しかしそれは拒絶ではなく、ただ単に事実を述べただけなのだとすぐにわかった。
ズキズキと広がっていた胸の痛みがすっと引いていく。
「あはは」
「笑わないで」
「ごめん」
安堵ともに、笑いが込み上げてきた。
前のめりになって笑うレナルドに、フィオナは不服そうに唇を尖らせる。
その姿でさえ可愛らしく、愛おしかった。
「フィオナ……いつでもいいんだ」
「え?」
「五年後でも……十年後でも」
前のめりの姿勢のまま、フィオナを見上げる。
「いつか、必ずエスコートさせてほしい」
「? わかった」
レナルドは幸せそうにはにかんだ。
数年越しの約束を、噛み締めるように。




