21:ブローン伯爵家
ネオローザから馬車で一時間ほど。
ルゼオン帝国との国境境の山の手前に、ひっそりと佇む二階建ての屋敷がある。
首都の喧騒から離れ、木々に囲まれたこの場所は物静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
鳥たちのさえずりに混じって、金属のぶつかる音が聞こえる。
庭では二人の剣士が剣を交えていた。
「ふふ、今年はラズベリーが豊作だわ」
その奥には、水遣りをする貴婦人の姿。
薄いグレーの髪を一つにまとめた女性が、赤々と色づいた果実を見て満足げに微笑む。
目尻に見える笑い皺から、彼女の穏やかで優しい人柄が伝わってくる。
「……あら?」
馬の蹄が地面を蹴る音と、馬車の車輪が砂利を踏む音が聞こえ、婦人は門前に目を向ける。
訓練中の騎士二人も、動きを止めて同じ方を見た。
ダークブラウンのシンプルな馬車は、この家が所有している物だ。
中から出てきた黒髪の人物を見て、婦人は小走りで駆け寄った。
「殿下!」
門をくぐったルイスを、婦人はそう呼んだ。
婦人の背後には騎士二人が背筋を伸ばし、敬礼をしている。
一人は赤紫色の髪の、糸目が特徴的な男性。もう一人は、前髪を短く切り揃えた若い女性だった。
ルイスが軽く右手を挙げると、二人は手を下ろした。
「どうされたんですか? 今日戻られるとは聞いておりませんが……」
「うん、ちょっと……相談したいことがあって」
「相談……?」
首を傾げ、まっすぐ見つめてくる婦人に対して、ルイスは気まずそうに視線を泳がせ、襟足を掻いた。
「その……来週、ここに友達を呼んでもいい……?」
ルイスにしては小さめの声だった。
「まあ……!」
婦人はぱあっと目を輝かせ、胸の前で手のひらを合わせた。
「もちろんですわ! 中で詳しいお話を聞かせてくださいな」
「別に立ち話で……」
「大事なお話ですもの! 主人も呼んで参ります!」
嬉々として屋敷の中へと走り去っていく婦人。
その背中を見送ったルイスは、ふう、とため息をついた。
「殿下に……」
「お友達……!!」
ぽかんと口を開ける糸目の男性騎士に、口を手で覆いつつも目元がニヤけている女性騎士。
「……」
そんな二人を横目で軽く睨み、ルイスは屋敷の中へと歩みを進めた。
***
応接間に通されたルイスはソファに座り、慣れた所作でアールグレイを口にしていた。
ブラウンと黒を基調に家具が揃えられた空間は、派手な装飾がなくても格式のある雰囲気を醸し出していた。
「ご友人の家柄はわかりますか?」
ルイスの向かいに座る、焦茶色の髪の中年男性が真剣な面持ちで尋ねる。彼の名はクレイグ。ブローン伯爵である。
「まああなた。始めからそんな不躾なこと……」
その隣に座る女性は妻のケイティ。
「殿下に人の本質を見抜く才能があるのはわかっております。しかし……殿下の身を任されたからには、細心の注意を払わなければならないのです」
クレイグはまっすぐと背筋を伸ばし、ルイスを見据える。
そのキリッとした太い眉と曇りのない瞳から、彼の真摯な思いが伝わってくる。
「あー……何だっけ」
ルイスは視線を窓に向けて考え込む。
本人から聞いたことはないが、護衛のネイトから報告があったのだけはぼんやりと憶えていた。
「一人はルゼオン帝国からの留学生で……ロート……」
「ロートレック伯爵家ですか?」
「そう」
「ふむ……」
クレイグはフィオナの家柄を言い当てると、無意識に顎髭を撫でた。
「ルゼオン帝国屈指の騎士の名家ですね」
続いて、ルイスの後ろに控えている男性騎士、オリバーが補足する。
「もう一人は子爵家らしいけど、今はボロい宿屋やってるらしい」
「パジェット子爵家でしょうか」
「多分そう」
今度はケイティがリサの家柄を言い当てる。
「殿下にお友達が二人も……!」
ルイスの後ろに控えている女性騎士、ダフネは両手で口元を覆うが、キラキラと輝く瞳が感動を隠せていない。
(パジェット子爵は数年前に亡くなっていて今は爵位だけが残った家……警戒するとしたらロートレック伯爵家か……)
クレイグは顎髭を撫でながら、人差し指でトントン、と膝を叩く。
「それで、嘘ついてるからちょっと口裏合わせてほしくて……」
「ええ、もちろんですよ」
気まずそうに言い出したルイスに対して、ケイティが優しく微笑む。
彼女の笑い皺を見ていると、絶対に受け入れてもらえるという安心感が芽生える。
ルイスは一度唾を飲んでから、口を開いた。
「留学生の方が、ドレス持ってないらしくて……新品は受け取ろうとしないから、うちに遠方に嫁いだ娘のドレスがあるって言ってあるんだ」
ルイスがそう告げた瞬間――
《……》
応接間の空気が硬直する。
まるで時間が止まってしまったかのように固まるクレイグに、チャームポイントの糸目を開くオリバー。
「まあ……!?」
ケイティは少女のように目を輝かせ、
「お友達って、女性なんですか!?」
ダフネが率直に全員の気持ちを代弁した。
「そうだけど」
《!!》
ルイスが唇を尖らせて肯定した途端、全員に激震が走る。
さっきまでの閑静な空間が一転、ふわふわと落ち着きのない雰囲気が漂い始めた。
そんな中、これでもかというほど顔を強張らせたクレイグが、声を絞り出した。
「み……未来の王太子妃……丁重にもてなさなければ……!!」
「ちッ、ちげーよ!」
ルイスは思わず立ち上がり、ソファがガタッと大きな音を立てた。
その反応に目を丸くする一同。
カチ、と時計の長針の音が響く。
「……友達って言っただろ」
ルイスは照れ隠しで、どかっとソファに座り直した。
しかし真っ赤な耳は隠せていない。
(絶対嘘だわぁ)
(え〜、殿下って恋するとツンデレなんです!?)
その反応に笑みを堪えられないケイティとダフネ。
(殿下の年相応な姿、初めて見た……)
オリバーは見慣れない主君の姿に呆然とし、
(王太子妃候補……ロートレック伯爵家ならば家柄も申し分ない)
クレイグはまた顎髭を撫でながら、膝を指で叩く。先ほどよりも少しスピードが速い。
「……だから、ドレスをいくつか準備してほしい」
「かしこまりました! このダフネにお任せください!」
ルイスが無理やり話を元に戻すと、ダフネが素早い動きでソファ脇に跪いた。
「ご令嬢の好みと殿下の好みは!?」
その手にはメモ帳とペン。ルイスを見上げる眼差しは期待に満ちている。
「何でもいい。最新のデザインは避けといて」
「はい! 早速行って参ります!」
立ち上がり、敬礼をし、応接間を出ていくダフネ。
とても俊敏な動きだった。
「オリバー、スイーツの手配を頼む」
「かしこまりました」
クレイグの言葉を受けて、オリバーも一礼をして出ていく。無駄のない所作である。
「お屋敷も綺麗にしておかなくちゃ。あなたはお髭をちゃんと整えてくださいよ」
「ああ、そうだな。髪も切った方がいいだろうか?」
「そうねぇ」
顔を見合わせて話すケイティとクレイグ。子どもが遠足に行く前日のような、ワクワク感が滲み出ている。
そんな二人を見て、ルイスは少し切なそうに眉を寄せた。
「伯爵、夫人」
そして、真剣なトーンで語りかける。
「悪い。二人には、辛い嘘をつかせることになるけど……」
「……何を仰いますか」
申し訳なさそうに言うルイスに対して、ケイティは穏やかに微笑んだ。
「私どもはとても嬉しく思っています」
「ご友人に楽しんでもらえるよう、尽力致します」
「……ありがとう。助かる」
――ここはブローン伯爵邸。
王太子であるルイスが、その身分を隠し、養子として過ごす家である。
***
一週間後。
「ネクタイは曲がってないだろうか」
「ええ、素敵ですよ」
玄関前に立つブローン伯爵夫妻。
クレイグはこの日のために切りそろえた髪や髭、身だしなみをしきりに確認して落ち着かない様子だ。
いつものようにゆったり構えているケイティも、今日は化粧が濃いような気がする。
(殿下の意中の人だとしても、そう簡単に認めるわけにはいかない……)
二人の斜め後ろに控えているオリバーは、糸目の奥で警戒心を光らせていた。
しかし今日は何やら雰囲気が違う。彼が身に纏っているのは燕尾服。腰にさしていた剣はなくなっている。騎士ではなく、執事のような装いだ。
ガタン……
門前に馬車が見え、三人は同時に背筋を伸ばした。
「……連れてくるからここで待ってて」
庭先に立っていたルイスが門に向かっていく。
その背中を見ながら、ケイティは優しく目を細めていた。
ルイスが門を開けると、ちょうど馬車から降り立ったフィオナと目が合った。
「よお。疲れてない?」
「うん、全然平気」
ルイスの少しぎこちない挨拶に対して、フィオナはその言葉通り平然と頷いた。
「……」
少しの沈黙が訪れたあと、ルイスはある違和感に気づき、馬車の中を覗き込んだ。
「……リサは?」
リサの姿が見えない。
「風邪ひいて来れなくなっちゃった」
「!?」
淡々と告げられた衝撃の事実に、ルイスは硬直する。
「あ……これ、リサから伝言」
「……!」
そんなルイスに、フィオナが封筒を渡した。
花柄の封筒の中に花柄の便箋が一枚。
開いてみると、中央に一行だけ――
"やらしーことしちゃダメよ!!"
と、書かれていた。
(しねーよ!!)
「?」
ルイスはその紙をくしゃくしゃに丸め、ポケットに突っ込んだ。
「あそこにいらっしゃるのが伯爵夫妻?」
「あ……うん、紹介する」
気を取り直して屋敷に向かう。
玄関前で待ち構える夫妻の、期待に満ちた眼差しが突き刺さる。
「……友達のフィオナ。もう一人は風邪で来れなくなった」
夫妻の前で立ち止まり、最低限の説明をするルイス。
「フィオナ・ロートレックです。今日はお招き頂きありがとうございます」
フィオナはスカートを持ち上げ、作法通りのお辞儀をする。
フィオナにしては珍しい、貴族令嬢らしい所作だった。
少し強張った表情とわずかに見えるぎこちなさから、緊張が伝わってくる。
「ルイスから話は聞いているよ。家主のクレイグだ。畏まるような家門じゃないからリラックスしてくれ」
クレイグは一歩前へ出て、物腰柔らかな笑みで歓迎の意思を表現する。
(王太子妃候補……!!)
その笑顔の裏では、''未来の王太子妃をもてなす"という重要ミッションに向けて決意を燃やしていた。
「私は妻のケイティ。こんなに可愛いお嬢さんに娘のドレスを着てもらえるなんて、とても楽しみだわ」
ケイティはにっこりと笑い、手を胸元に添えた。
くっきりと浮かび上がった目尻の笑い皺に、フィオナの緊張が少し解ける。
「あの、これ……みなさんで召し上がってください」
フィオナが持っていた紙袋をケイティに差し出す。
「まあ! ローヤンのタルトは大好きなの。あとでみんなでいただきましょうね。ありがとう」
それを丁寧に受け取ったケイティは、本当に嬉しそうに目を輝かせた。
その様子を見て、フィオナはほっと息をつく。
「オリバー……」
ケイティが紙袋を渡そうとオリバーを振り返る。
オリバーは何故か目頭を押さえ、天を仰いでいた。
(王室の顔面偏差値は安泰だ……)
先ほど「簡単に認めるわけにはいかない」と豪語していたオリバーだが、フィオナの顔を見た瞬間に掌を返していた。
「……失礼、目にゴミが入りました。執事のオリバーです。中へご案内致します」
オリバーはサッと姿勢を正し、丁寧ながらも素早い所作で玄関のドアを開けた。




