17:ネイトの観察
澄んだ空気に太陽の光が柔らかく広がる、気持ちの良い正午だった。
守衛の制服を身にまとい北門に立つネイトは、行き交う人々に視線を巡らせつつ、アカデミー構内にも目を向ける。
格子の向こうには、素朴な小屋が見える。
その裏手で静かにうたた寝をする主君の姿に、ネイトの目つきがわずかに和らいだ。
しかし――
「……!」
そこにフィオナの姿が見えた瞬間、顔の筋肉が強張った。
(あの女……)
ネイトは眼光を光らせ、フィオナの挙動を監視する。
(殿下は"警戒しなくていい"と言ったが……何かあってからでは遅い)
腰にさした剣に手を添える。
少しでも不穏な動きをすれば、すぐに駆け付けるつもりだ。
緊張感が高まる中、フィオナがルイスの手前にしゃがみ込む。
(……見てるだけ……か?)
声をかけるわけでも、触れようとするわけでもない。
ただひたすら、その寝顔をじっと見つめていた。
(殿下ならとっくに気付いているはず……何故寝たフリを続ける……?)
理解できず、ネイトは眉間に皺を寄せる。
ガサ……
「!」
草の音が鳴る。
ルイスから近すぎず遠すぎずの、微妙な位置。そこに寝転んだフィオナは気持ちよさそうにスッと目を細め、そのまま瞼を閉じた。
(意味がわからん……)
危害を加えるつもりはないようだが、フィオナの挙動は不可解だった。
「しゅみましぇん」
小屋の裏手に釘付けになっているネイトに、腰を曲げた老婆が声をかけた。
「はい」
ネイトは慌てて姿勢を正す。
「パン屋しゃんはどこですかえ?」
「パン屋……? それならすぐ目の前に……」
「えぇ? なんだって??」
パン屋はすぐ目の前にある。しかし耳の悪い老婆には伝わらない。
(クソ、こんな時に……!)
ネイトは額に汗をかき、もう一度小屋の裏手を確認する。
さっきまで寝ていたルイスは起き上がっていて、寝転がっているフィオナを見つめていた。
その優しげな表情に、ネイトの警戒心も知らず知らずのうちに削がれていく。
(殿下、少しだけ離れます……!)
心の中で主君に断りを入れ、老婆の前にしゃがんだ。
「ご婦人、背中へ。連れて行きます」
「あんらまぁ、逞しい。あたしの夫もねぇ、若い時は……」
「しっかり掴まっていてください」
小柄な老婆を負ぶり、すくっと立ち上がる。
最後にもう一度だけルイスに視線を送り、ネイトはパン屋へ歩を進めた。
***
「私気付いちゃった! 毎週火曜日だけ、ここは"安全地帯"になるのよ!」
食堂の隅で、リサの声が弾む。
「火曜日は食堂のごはん食べられるね」
「うん、最高!」
前に座るフィオナも嬉しそうに、もぐもぐとリゾットを噛みしめる。
「おい!!」
和気あいあいとした空気が流れる食堂に、突如怒号が響き渡った。
生徒たちは動きを止め、その声の主に注目する。
「俺の制服にソースが飛んだじゃねェか!」
「ソースくらいで騒ぐんじゃねーよ!」
フィオナとリサが座る斜め前のテーブルで、男子二人が言い争いを始めた。
今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気に、周囲の生徒が距離を取る。
「うわ……三年でガラ悪くて有名な人だよ」
リサが小声で話す。
「移動する?」
「そうだね……」
二人が静かに席を立ったその瞬間――
「うるせェんだよ!!」
「うわっ」
一人の男子がもう一人に向かってフォークを投げつける。
しかしギリギリで躱され、フォークはその奥、リサ目がけて迫ってきた。
「!」
ぎゅっと目を瞑るリサ。
キィンッ
静けさの中、甲高い金属音が鳴り響く。
続いて、カランカランと、フォークの転がる音が聞こえた。
「他人を巻き込むのは良くない」
落ち着いたトーンの男性の声。
恐る恐る開いたリサの視界に、金髪の守衛の背中が映った。
守衛――ネイトは静かに剣を鞘に収め、男子二人に鋭い眼光を向ける。
「だ、だってコイツが……!」
「決闘なら外でやるべきだ。そしてルールを明確にした方がいい」
「「……は?」」
喧嘩を止めるのかと思いきや、ネイトは真剣な表情で語り始めた。
「武器の使用はなし。相手に膝をつかせたら勝ち。これでどうだ?」
「いや、だから……」
「表へ出よう。俺がジャッジしてやる」
「いや、外雪なんスけど……」
頭に血が上っていた男子二人も、ネイトのペースにすっかり巻き込まれて勢いをなくしていた。
「なにあの守衛さん……」
男子二人を強引に連れて外に出ていくネイトの背中を、リサとフィオナは茫然と見送った。
***
『おかえり〜』
「……」
寮の部屋に戻ったフィオナを、茶髪の霊が満面の笑みで出迎える。
我が物顔でベッドに居座る彼にもの言いたげな視線だけ送り、フィオナは机に鞄を置く。
『えッ、ちょ、待ってよ着替えるなら出てくって!』
続いて制服のボタンを外し始めたフィオナに、霊はワタワタと慌てふためいた。
顔の前に手を広げて視界を遮るが、指の隙間からチラチラ見ているのはバレバレだった。
「別に……霊に見られても恥ずかしくない」
フィオナは淡々と言う。
『えーーー』
霊はベッドに大の字で倒れ込む。
ベッドのスプリングはキシリとも鳴らなかった。
『男として意識されてないってことじゃん、ショック〜』
そのへらっとした顔を横目で見つつ、フィオナは制服をハンガーに掛ける。
「……あなたって、けっこう律儀だよね」
"……律儀な人ね"
フィオナの何気ない言葉と、記憶の中の透き通った声が重なる。
霊は寝転がったまま、一瞬だけ息を詰まらせる。しかし瞼をそっと閉じ、脳裏に浮かびかけた映像を振り払った。
『やっぱわかっちゃう?』
「約束守ってくれてありがとう」
『約束……あー、アレね』
霊は天井の小さな電球をぼんやりと見つめる。
"リサには近づかないで"
取引を持ちかけた時に、フィオナから提示された条件だ。
『まあ……近づきたくても近づけない場面もあったんだよね』
「?」
『よっ、と』
フィオナが部屋着に着替えたのを確認して、霊は上体を起こした。
『あの金髪ナイト』
「金髪ナイト?」
『ほら、口悪男の……じゃない、今日食堂で喧嘩を止めてた守衛だよ』
「ああ……」
霊が"金髪ナイト"と呼んだのはネイトのことだった。
『アイツ、霊を寄せ付けない能力を持ってるっぽい』
「!」
『アイツの近くに行くとなんつーか、身の毛がよだつっていうか……本能的に避けたくなる』
「あ……だから今日は食堂に霊がいなかったんだ……」
『うん。間違いなく金髪ナイトの影響だな』
フィオナが納得したように小さく口を開けると、霊はうんうんと何度も頷いた。
『……仲良くしといた方がいいかもね?』
そして意味ありげな視線をフィオナに送る。
フィオナはその琥珀色の瞳をじっと見つめ返したあと、ベッド脇の大きめの鞄を手に取った。
『そーいえば、結局長期休暇はどこ泊まるの?』
鞄の中に衣類を詰めるフィオナを見て、霊が尋ねる。
「リサの家」
『へー!』
フィオナの答えに、霊は嬉しそうに笑った。
『夜更かしして恋愛トークするやつじゃん。え、俺も混ざりたい』
「ダメだよ」
フィオナにきっぱりと断られると、『ちぇ』と拗ねたように呟いた。
そんな霊を横目に、フィオナは鞄に視線を戻す。
(友達の家に泊まるの……初めて)
瞬きで揺れる長い睫毛。
慎ましやかに喜びを表現するフィオナを、霊は優しく細めた目で見つめていた。
***
「じゃあね、フィオナ。また明日!」
「うん」
東門の前でリサに手を振るフィオナ。
明日からアカデミーは長期休暇に入る。寮から出てくる生徒たちは皆大きな鞄を持ち、門前に行列を成す馬車へと乗り込んでいく。
フィオナはリサの背中を見送り、寮へと踵を返した。
その時――
バチン!!
乾いた音が鳴り響く。
「ひどい! 私だけだと思ってたのに……っ!」
女子寮の脇に、涙する女子が一人。
「いやいや、俺はみんな可愛いと思うし……」
その前に立つ男子は身振り手振りで彼女を宥めようとするが……
「サイテー!!」
バチン!
二発目が入った。
「いてて……」
手の形に赤くなった両頬を涙目で押さえる男子。
(あの人……)
カナリアのような明るい金髪のツンツン頭に、フィオナは見覚えがあった。
そして、変わらず彼の腕に絡みつく桃色の髪の女性を視て、入学初日の鮮烈な記憶が蘇る。
「あ、フィオナちゃーん!」
「!」
フィオナはびくりと肩を揺らし、思わず後ずさる。
「俺のこと覚えてる? ジャスパー! 相変わらず可愛いね!」
ジャスパーが愛嬌のある笑顔で近寄ると同時に、彼の隣の女性がキッとフィオナを睨んだ。
「っ……」
その瞬間、側頭部がズキンと痛む。
フィオナは反射的に頭を押さえ、西に向かって走り出す。
「え、何で逃げんの!? ねぇフィオナちゃーん!」
ジャスパーはフィオナを追う。
『とらないで……奪わないで……!』
強烈な嫉妬の視線から逃れるため、フィオナは必死に足を動かした。
「足速くない!?」
だんだんとジャスパーとの距離が開き、頭痛が少しマシになってきた。
フィオナは校舎の角を曲がり、隠れる場所を探して周囲を見渡す。
「!」
男子寮の前に立つ守衛と、ばちりと目が合った。
(金髪ナイトさん……)
ライムイエローの金髪にオレンジ色のつり目。先日、食堂で男子の喧嘩を仲裁した守衛……ネイトだった。
そして、茶髪の霊が言っていた彼の能力を思い出す。
"アイツ、霊を寄せ付けない能力を持ってるっぽい"
後方からジャスパーの足音が近づいてくる。
フィオナは男子寮へと方向転換した。
(な、何故こっちに……!?)
いきなり現れたかと思えば自分に向かってくるフィオナに、ネイトは戸惑い目を丸くする。
「か、隠してください……っ」
「え?」
フィオナはネイトの隣にしゃがみ込んだ。
「あれー、見失っちゃったー」
少し離れた場所からジャスパーの声が聞こえる。
ちょうど寮の玄関に続く外階段が、フィオナの姿を隠してくれたようだ。
遠ざかる足音を聞いて、フィオナはそっと顔を出して覗いてみる。
『……』
背を向けるジャスパーの隣で、女性の霊はフィオナを睨んでいた。
しかし悔しそうに眉を顰めるだけで、寄ってこようとはしない。いや、近づけないのだろう。
(助かった……)
(やはり怪しい……)
ふう、と小さく息をついたフィオナを、ネイトが警戒を滲ませた目で見下ろす。
「あ……ありがとうございます」
「……俺は何もしていません」
フィオナはその目を見上げ、立ち上がる。膝についた草を払い、二歩分、ネイトから距離をとった。
「もう少しここにいていいですか……?」
「……」
フィオナの控えめな問いかけに、ネイトの片眉がぴくりと動く。
(何故だ……まさか俺の正体に勘付いているのか……!?)
「……何してんの?」
微妙な距離感の二人に、寮から出てきたルイスが訝しげな視線を向ける。
「えっと……」
「軟派男に追われているようでした」
「ふーん……」
言い淀むフィオナの代わりに、ネイトが簡潔に答えた。
「明日からリサんちだっけ?」
「うん。ルイスも帰省するの?」
「俺は……明日帰る」
「え」
「……」
(明日は調査に出るはずなのに……)
小さく声をあげたネイトを、ルイスは眼光で黙らせた。
「寮戻るなら送ってく」
「すぐそこだから……」
「軟派ヤローいたらケツ蹴り上げてやるよ」
「それは……痛そうだからやめてほしい」
ルイスの暴言に、少し呆れたように微笑むフィオナ。
そんなフィオナを見て、ルイスも表情を綻ばせた。
(殿下のあんな顔、初めて見た……)
並んで歩く二人の背中を、ネイトは呆然と見送った。




