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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第2章:リサとネイト
18/37

17:ネイトの観察



澄んだ空気に太陽の光が柔らかく広がる、気持ちの良い正午だった。

守衛の制服を身にまとい北門に立つネイトは、行き交う人々に視線を巡らせつつ、アカデミー構内にも目を向ける。


格子の向こうには、素朴な小屋が見える。

その裏手で静かにうたた寝をする主君の姿に、ネイトの目つきがわずかに和らいだ。

しかし――


「……!」


そこにフィオナの姿が見えた瞬間、顔の筋肉が強張った。


(あの女……)


ネイトは眼光を光らせ、フィオナの挙動を監視する。


(殿下は"警戒しなくていい"と言ったが……何かあってからでは遅い)


腰にさした剣に手を添える。

少しでも不穏な動きをすれば、すぐに駆け付けるつもりだ。


緊張感が高まる中、フィオナがルイスの手前にしゃがみ込む。


(……見てるだけ……か?)


声をかけるわけでも、触れようとするわけでもない。

ただひたすら、その寝顔をじっと見つめていた。


(殿下ならとっくに気付いているはず……何故寝たフリを続ける……?)


理解できず、ネイトは眉間に皺を寄せる。


ガサ……


「!」


草の音が鳴る。

ルイスから近すぎず遠すぎずの、微妙な位置。そこに寝転んだフィオナは気持ちよさそうにスッと目を細め、そのまま瞼を閉じた。


(意味がわからん……)


危害を加えるつもりはないようだが、フィオナの挙動は不可解だった。


「しゅみましぇん」


小屋の裏手に釘付けになっているネイトに、腰を曲げた老婆が声をかけた。


「はい」


ネイトは慌てて姿勢を正す。


「パン屋しゃんはどこですかえ?」

「パン屋……? それならすぐ目の前に……」

「えぇ? なんだって??」


パン屋はすぐ目の前にある。しかし耳の悪い老婆には伝わらない。


(クソ、こんな時に……!)


ネイトは額に汗をかき、もう一度小屋の裏手を確認する。

さっきまで寝ていたルイスは起き上がっていて、寝転がっているフィオナを見つめていた。

その優しげな表情に、ネイトの警戒心も知らず知らずのうちに削がれていく。


(殿下、少しだけ離れます……!)


心の中で主君に断りを入れ、老婆の前にしゃがんだ。


「ご婦人、背中へ。連れて行きます」

「あんらまぁ、逞しい。あたしの夫もねぇ、若い時は……」

「しっかり掴まっていてください」


小柄な老婆を負ぶり、すくっと立ち上がる。

最後にもう一度だけルイスに視線を送り、ネイトはパン屋へ歩を進めた。



***



「私気付いちゃった! 毎週火曜日だけ、ここは"安全地帯"になるのよ!」


食堂の隅で、リサの声が弾む。


「火曜日は食堂のごはん食べられるね」

「うん、最高!」


前に座るフィオナも嬉しそうに、もぐもぐとリゾットを噛みしめる。


「おい!!」


和気あいあいとした空気が流れる食堂に、突如怒号が響き渡った。

生徒たちは動きを止め、その声の主に注目する。


「俺の制服にソースが飛んだじゃねェか!」

「ソースくらいで騒ぐんじゃねーよ!」


フィオナとリサが座る斜め前のテーブルで、男子二人が言い争いを始めた。

今にも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気に、周囲の生徒が距離を取る。


「うわ……三年でガラ悪くて有名な人だよ」


リサが小声で話す。


「移動する?」

「そうだね……」


二人が静かに席を立ったその瞬間――


「うるせェんだよ!!」

「うわっ」


一人の男子がもう一人に向かってフォークを投げつける。

しかしギリギリで躱され、フォークはその奥、リサ目がけて迫ってきた。


「!」


ぎゅっと目を瞑るリサ。


キィンッ


静けさの中、甲高い金属音が鳴り響く。

続いて、カランカランと、フォークの転がる音が聞こえた。


「他人を巻き込むのは良くない」


落ち着いたトーンの男性の声。

恐る恐る開いたリサの視界に、金髪の守衛の背中が映った。

守衛――ネイトは静かに剣を鞘に収め、男子二人に鋭い眼光を向ける。


「だ、だってコイツが……!」

「決闘なら外でやるべきだ。そしてルールを明確にした方がいい」

「「……は?」」


喧嘩を止めるのかと思いきや、ネイトは真剣な表情で語り始めた。


「武器の使用はなし。相手に膝をつかせたら勝ち。これでどうだ?」

「いや、だから……」

「表へ出よう。俺がジャッジしてやる」

「いや、外雪なんスけど……」


頭に血が上っていた男子二人も、ネイトのペースにすっかり巻き込まれて勢いをなくしていた。


「なにあの守衛さん……」


男子二人を強引に連れて外に出ていくネイトの背中を、リサとフィオナは茫然と見送った。



***



『おかえり〜』

「……」


寮の部屋に戻ったフィオナを、茶髪の霊が満面の笑みで出迎える。

我が物顔でベッドに居座る彼にもの言いたげな視線だけ送り、フィオナは机に鞄を置く。


『えッ、ちょ、待ってよ着替えるなら出てくって!』


続いて制服のボタンを外し始めたフィオナに、霊はワタワタと慌てふためいた。

顔の前に手を広げて視界を遮るが、指の隙間からチラチラ見ているのはバレバレだった。


「別に……(あなた)に見られても恥ずかしくない」


フィオナは淡々と言う。


『えーーー』


霊はベッドに大の字で倒れ込む。

ベッドのスプリングはキシリとも鳴らなかった。


『男として意識されてないってことじゃん、ショック〜』


そのへらっとした顔を横目で見つつ、フィオナは制服をハンガーに掛ける。


「……あなたって、けっこう律儀だよね」


"……律儀な人ね"


フィオナの何気ない言葉と、記憶の中の透き通った声が重なる。

霊は寝転がったまま、一瞬だけ息を詰まらせる。しかし瞼をそっと閉じ、脳裏に浮かびかけた映像を振り払った。


『やっぱわかっちゃう?』

「約束守ってくれてありがとう」

『約束……あー、アレね』


霊は天井の小さな電球をぼんやりと見つめる。


"リサには近づかないで"


取引を持ちかけた時に、フィオナから提示された条件だ。


『まあ……近づきたくても近づけない場面もあったんだよね』

「?」

『よっ、と』


フィオナが部屋着に着替えたのを確認して、霊は上体を起こした。


『あの金髪ナイト』

「金髪ナイト?」

『ほら、口悪男の……じゃない、今日食堂で喧嘩を止めてた守衛だよ』

「ああ……」


霊が"金髪ナイト"と呼んだのはネイトのことだった。


『アイツ、霊を寄せ付けない能力を持ってるっぽい』

「!」

『アイツの近くに行くとなんつーか、身の毛がよだつっていうか……本能的に避けたくなる』

「あ……だから今日は食堂に霊がいなかったんだ……」

『うん。間違いなく金髪ナイトの影響だな』


フィオナが納得したように小さく口を開けると、霊はうんうんと何度も頷いた。


『……仲良くしといた方がいいかもね?』


そして意味ありげな視線をフィオナに送る。

フィオナはその琥珀色の瞳をじっと見つめ返したあと、ベッド脇の大きめの鞄を手に取った。


『そーいえば、結局長期休暇はどこ泊まるの?』


鞄の中に衣類を詰めるフィオナを見て、霊が尋ねる。


「リサの家」

『へー!』


フィオナの答えに、霊は嬉しそうに笑った。


『夜更かしして恋愛トークするやつじゃん。え、俺も混ざりたい』

「ダメだよ」


フィオナにきっぱりと断られると、『ちぇ』と拗ねたように呟いた。

そんな霊を横目に、フィオナは鞄に視線を戻す。


(友達の家に泊まるの……初めて)


瞬きで揺れる長い睫毛。

慎ましやかに喜びを表現するフィオナを、霊は優しく細めた目で見つめていた。



***



「じゃあね、フィオナ。また明日!」

「うん」


東門の前でリサに手を振るフィオナ。

明日からアカデミーは長期休暇に入る。寮から出てくる生徒たちは皆大きな鞄を持ち、門前に行列を成す馬車へと乗り込んでいく。

フィオナはリサの背中を見送り、寮へと踵を返した。

その時――


バチン!!


乾いた音が鳴り響く。


「ひどい! 私だけだと思ってたのに……っ!」


女子寮の脇に、涙する女子が一人。


「いやいや、俺はみんな可愛いと思うし……」


その前に立つ男子は身振り手振りで彼女を宥めようとするが……


「サイテー!!」


バチン!


二発目が入った。


「いてて……」


手の形に赤くなった両頬を涙目で押さえる男子。


(あの人……)


カナリアのような明るい金髪のツンツン頭に、フィオナは見覚えがあった。

そして、変わらず彼の腕に絡みつく桃色の髪の女性を視て、入学初日の鮮烈な記憶が蘇る。


「あ、フィオナちゃーん!」

「!」


フィオナはびくりと肩を揺らし、思わず後ずさる。


「俺のこと覚えてる? ジャスパー! 相変わらず可愛いね!」


ジャスパーが愛嬌のある笑顔で近寄ると同時に、彼の隣の女性がキッとフィオナを睨んだ。


「っ……」


その瞬間、側頭部がズキンと痛む。

フィオナは反射的に頭を押さえ、西に向かって走り出す。


「え、何で逃げんの!? ねぇフィオナちゃーん!」


ジャスパーはフィオナを追う。


『とらないで……奪わないで……!』


強烈な嫉妬の視線から逃れるため、フィオナは必死に足を動かした。


「足速くない!?」


だんだんとジャスパーとの距離が開き、頭痛が少しマシになってきた。

フィオナは校舎の角を曲がり、隠れる場所を探して周囲を見渡す。


「!」


男子寮の前に立つ守衛と、ばちりと目が合った。


(金髪ナイトさん……)


ライムイエローの金髪にオレンジ色のつり目。先日、食堂で男子の喧嘩を仲裁した守衛……ネイトだった。

そして、茶髪の霊が言っていた彼の能力を思い出す。


"アイツ、霊を寄せ付けない能力を持ってるっぽい"


後方からジャスパーの足音が近づいてくる。

フィオナは男子寮へと方向転換した。


(な、何故こっちに……!?)


いきなり現れたかと思えば自分に向かってくるフィオナに、ネイトは戸惑い目を丸くする。


「か、隠してください……っ」

「え?」


フィオナはネイトの隣にしゃがみ込んだ。


「あれー、見失っちゃったー」


少し離れた場所からジャスパーの声が聞こえる。

ちょうど寮の玄関に続く外階段が、フィオナの姿を隠してくれたようだ。


遠ざかる足音を聞いて、フィオナはそっと顔を出して覗いてみる。


『……』


背を向けるジャスパーの隣で、女性の霊はフィオナを睨んでいた。

しかし悔しそうに眉を顰めるだけで、寄ってこようとはしない。いや、近づけないのだろう。


(助かった……)

(やはり怪しい……)


ふう、と小さく息をついたフィオナを、ネイトが警戒を滲ませた目で見下ろす。


「あ……ありがとうございます」

「……俺は何もしていません」


フィオナはその目を見上げ、立ち上がる。膝についた草を払い、二歩分、ネイトから距離をとった。


「もう少しここにいていいですか……?」

「……」


フィオナの控えめな問いかけに、ネイトの片眉がぴくりと動く。


(何故だ……まさか俺の正体に勘付いているのか……!?)

「……何してんの?」


微妙な距離感の二人に、寮から出てきたルイスが訝しげな視線を向ける。


「えっと……」

「軟派男に追われているようでした」

「ふーん……」


言い淀むフィオナの代わりに、ネイトが簡潔に答えた。


「明日からリサんちだっけ?」

「うん。ルイスも帰省するの?」

「俺は……明日帰る」

「え」

「……」

(明日は調査に出るはずなのに……)


小さく声をあげたネイトを、ルイスは眼光で黙らせた。


「寮戻るなら送ってく」

「すぐそこだから……」

「軟派ヤローいたらケツ蹴り上げてやるよ」

「それは……痛そうだからやめてほしい」


ルイスの暴言に、少し呆れたように微笑むフィオナ。

そんなフィオナを見て、ルイスも表情を綻ばせた。


(殿下のあんな顔、初めて見た……)


並んで歩く二人の背中を、ネイトは呆然と見送った。



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