09:ファーノンの後悔
普段は静かな図書室に、今日はなぜか妙な熱気が漂っていた。
「天使だ……」
「尊い……」
ボソリボソリと呟く声があちこちから聞こえる。
表情を緩めた男子生徒たちが温かい視線を送るのは奥にある学習テーブル。そこにはうたた寝をするフィオナの姿があった。
腕を枕に、顔を横に向けているため無防備な寝顔がよく見える。窓から差し込む柔らかい陽の光がまた、神秘的な雰囲気を演出していた。
「……」
デレデレした男子たちの中、一人の女子生徒が立ち止まる。
朱色がかった短い髪はゆるくパーマがかかっていて、ふんわりと輪郭を包んでいる。ぱっちりとした焦茶色の瞳はフィオナをじーっと見つめていた。
(お人形みたい)
物珍しそうに、女子生徒はパチパチと瞬きをする。そしてふと、フィオナの手元にある本のタイトルを見て小さく口を開けた。
「フィオナ」
名前を呼んだのはルイスだった。
フィオナはすぐに目を開き、ゆっくり上体を起こした。
「昼休み、そろそろ終わる」
「……うん、ありがとう」
フィオナがルイスに笑いかける。決して大きく表情を動かしているわけではないのだが、遠巻きに見ている男子たちがざわつくには十分な笑顔だった。
「何でルイスなんだ……!」
「絶対釣り合わないのに……!」
図書室を出ていくふたりを男子たちが悔しそうに見送る。
「あの二人付き合ってんの?」
「んなわけあるか!」
「フィオナさんは可哀想なヤツがほっとけない、優しい子なんだ!」
先ほどフィオナを見つめていた女子が男子たちに聞くと、彼らはムキになって否定した。
「そういえばリサ久しぶりだな」
「ズル休みか?」
「体調悪かったの。あんたらと違って私は繊細なのよ」
「どうだか」
リサと呼ばれた女子は男子たちと軽口を交わしながらも、その目は最後までフィオナを追っていた。
***
翌日の昼休み。
「ねえ!」
「!」
サンドイッチを片手に食堂から出てきたフィオナに、リサが声をかける。
「ごはん一緒に食べない?」
フィオナはすぐには頷かず、リサの様子を窺う。初めて会話した相手からの突然の誘いを警戒しているようだ。
「私、食堂では食べないけど……」
「私も!」
そんなフィオナに対してリサは明るく笑ってみせた。上がった口角の先にはくっきりとエクボが浮かんでいる。
「いつもどこで食べてるの?」
「北門近くの小屋」
「へー。私も行っていい?」
「うん……」
リサの屈託のない笑顔にほだされたのか、フィオナは戸惑いながらも頷いた。
「あ、私リサ。あなたはフィオナだよね」
「うん」
リサはフィオナの隣に並び、一緒に裏庭へと向かう。
「体調悪くてしばらく休んでたんだけど、同じ一学年よ。よろしくね」
「うん、よろしく」
リサにクレアのような悪意がないことを感じ取ったのか、フィオナの表情がだんだんと和らいでいく。
「リサは……お弁当?」
「うん。家近くだから通ってんの」
「そうなんだ……あ、あそこ」
北側に見えてきた小屋をフィオナが指差す。
「中入れるの?」
「中じゃなくて、裏で食べてる。芝生の上でも大丈夫?」
「ぜーんぜん平気!」
フィオナはリサより先に小屋の裏に回り、キョロキョロと辺りを見渡す。
「たまにルイスもいるんだけど、今日は来てないみたい」
「ふーん……」
残念そうにも見えるフィオナの表情を、リサは大きな瞳でじいっと見つめる。
「ルイスと付き合ってるの?」
そして芝生の上に座った矢先、単刀直入に聞く。
「ううん」
フィオナは特に照れる様子もなく平然と否定した。
「じゃあルイスのこと好きなの?」
「うん」
(友達として、って感じか)
フィオナの淡々とした様子を見て、恋愛感情ではないとリサは察したようだ。
「ルイスのどこが好きなの?」
リサはさらに踏み込んで尋ねる。
(無愛想でモサいのに)
リサがルイスに抱く印象はあまりいいものではなかった。何故なら話しかけても返事は最低限。長めの前髪は陰鬱な雰囲気を醸し出しているからだ。
アカデミーで一番の美人と言っても過言ではないフィオナが、ルイスに惹かれる理由が純粋に気になったのだった。
「……」
フィオナは口元に運んでいたサンドイッチを膝まで下げ、真剣に考え始める。
「……顔」
「え」
出てきた答えがあまりにも意外すぎて、リサは口をぽかんと開けて固まる。
「顔!? そこ!? へーー!」
「?」
大きく口を開けて爆笑するリサに、首を傾げるフィオナ。
フィオナは何故リサが笑っているのか理解できていないようだ。
『お、カワイイ子はっけーん!』
そんな穏やかなランチタイムに、突然見知らぬ青年が間に入ってきた。
「……リサのお弁当美味しそう」
「でしょ! ママが作ってくれるの」
しかしフィオナは反応するのを堪え、リサのお弁当を見つめた。
リサも青年には目を向けていない。
(リサには見えてない……)
リサが無反応ということは、彼は霊である可能性が高い。
フィオナは緊張しているのがバレないように、少し多めにサンドイッチを頬張った。
『うんうん、やっぱ女の子は笑顔が一番だよなぁ』
(害は……なさそうかな)
茶髪の青年はフィオナとリサの間にしゃがみ、頬杖をついてにこにこと二人の顔を眺めている。
危害を加えてきそうな様子はなさそうだ。
『赤い髪の子の方がタイプだな』
「ふあ……っくしゅん!」
青年がリサにグッと顔を近づけると、リサの口から大きなくしゃみが出てきた。
「大丈夫?」
「うーん、なんか寒くなってきちゃった」
リサは笑顔を浮かべながらも眉を下げる。
寒いと言うが、今日は清々しい秋晴れで日差しがよく届いている。今いる日なたは上着がいらないくらいの暖かさだった。
「ごめん、私戻るねっ」
「あ……うん」
リサは慌ただしく立ち上がり、この場を去ってしまった。
『えー行っちゃうの? 待ってよ〜』
茶髪の青年も立ち上がり、リサのあとを追いかける。
(大丈夫かな……)
フィオナはくしゃみを連発するリサの背中を心配そうに見送った。
***
コンコン
放課後、フィオナは一枚の紙を手にファーノンの研究室へ来ていた。
ガシャン!
「! 失礼します」
中から大きな物音が聞こえ、フィオナはファーノンの返事を待たずにドアを開けた。
すると、正面にある机の前で腰を曲げているファーノンが目に入る。
「大丈夫ですか……?」
「はい。机の上にあった額縁を落としてしまっただけです」
ファーノンは拾い上げた額縁に息を吹きかけ、埃を払う。怪我はしていないようで、フィオナは小さく息をついた。
(少し片付ければ作業しやすいのに……)
大きな机には本が積まれていたりペンが散乱していたりしている。そのせいで作業スペースはほんの僅かしかなかった。
「どうしたんですか?」
「これ……」
「……!」
フィオナが持っていた紙を差し出すと、ファーノンは眉をピクリと動かした。
「辞書に挟まってたのでお返しします」
「……ありがとうございます」
ファーノンは受け取った紙から視線を離さず礼を伝え、スッと目を細めた。
そして一度だけ強く瞬きし、紙を半分に折りたたむ。
「ファーノン教授が書いたものではないですよね?」
青いバラの研究報告書ではあるが、これを書いたのはファーノンではない。その事実にフィオナは気づいていた。
「……何故そう思ったんですか?」
「絵が……その……」
その決め手はバラの絵だった。
地図さえまともに描けないファーノンが、こんなにも精巧なバラの絵を描けるはずがないと思ったのだ。
しかしそれを伝えると「ファーノン教授は絵が下手だ」と言っているようなものなので、フィオナは言葉に詰まった。
「ああ、絵のタッチが違いますか」
「は、はい」
フィオナは頷いて誤魔化す。
藍色の髪の霊が言っていた通り、本人に自覚はないようだ。
「これは……元教え子が書いたものです」
折りたたんだ紙に視線を落とすファーノン。
その瞳が映しているのは裏に書かれていた"コーディ"の文字だった。
「もしかしてクリスさんですか?」
「……図書館で会ったんですね。でも違います」
ファーノンは一瞬目を丸くしたが、答えが合っていたからというわけではないようだ。
「真面目で勤勉な生徒でした。名前は……コーディさんといいました」
「!」
「青いバラを咲かせたのは、私ではなく彼だったんです」
「え……!」
ファーノンの告白に、フィオナは思わず声をあげる。その反応を見てファーノンは眉を下げて微笑んだ。
「詳しく聞きますか?」
「はい」
「長くなりますので、どうぞそこのソファに座ってください。お茶は出せませんが」
「失礼します……」
ファーノンがフィオナをソファに促す。
フィオナは無造作に置かれていたジャケットをどかしてから、浅く腰掛けた。
「コーディさんは私の指導のもと、青いバラの育種に熱心に取り組んでいました」
ファーノンは背後にあった棚に手を置き、話し始める。
「なにぶん"不可能"とされていたことですから……私も育種のノウハウが理解できれば十分だと思っていました」
「でも……咲いたんですね」
「はい。"突然変異"……って、わかりますか?」
「……」
ファーノンに聞かれて、フィオナは藍色の髪の霊の言葉を思い出す。
「はい」
「優秀ですね」
フィオナが頷くと、ファーノンは優しげに微笑んだ。
「青いバラの開発者ともなれば、最高峰の栄誉と褒章が与えられるでしょう。私は彼に論文を書いて、学会で発表するように勧めました。しかし……」
ファーノンは言葉に詰まり、机の奥にある小窓に視線を向ける。
小窓にはわざわざ分厚いカーテンが付けられていて、陽の光は入ってこない。
「学会を前に、彼は池の水難事故で亡くなってしまいました……」
小窓を見つめたまま、ファーノンは絞り出すように言った。
「あの……"コーディ・ローズ"って……」
そんなファーノンの襟足を見ながらフィオナが尋ねる。
青いバラのことを示す"コーディ・ローズ"と、池で亡くなった生徒の名前が同じことに気づいたからだった。
「彼の代わりに研究発表をした私に命名権があると言われたので、そう名付けました」
振り返ったファーノンが答える。
「彼の功績だと知らしめたくてそうしたのですが……結局開発者として知れ渡ったのは私の名前でした」
「……」
「それに、今は王室が改良した真っ青なバラのみがそう呼ばれて、初期のものは"コーディ・ローズ"とは認められません」
ファーノンは寂しそうな視線を紙に落とした後、それを棚の引き出しに仕舞う。
そして二秒ほど目を閉じ、小さく息を吐いた。
「というわけなので、あの池には近づかないでください」
(もしかして、あの霊が……)
「……返事は?」
考え込むフィオナにファーノンがじっとりとした視線を向ける。
「は、はい」
フィオナは慌てて頷いたが、この約束はすぐに破られることになるだろう。
*
*
五年前――
*
*
「……突然変異でしょうね」
花壇の前にしゃがんだファーノンが言う。
虫眼鏡を使い、真剣な表情で観察しているのは一輪の青いバラ。
「突然変異……」
背後にいた生徒がファーノンの言葉を繰り返す。
くすんだ藍色の癖っ毛を持つ彼の名前はコーディ。イメンスアカデミーに通う生徒で、ファーノンのもとバラの育種に取り組んでいた。
「偶然ってことですか?」
「ええ」
ファーノンは頷き、立ち上がる。
振り返るとコーディは眉間に皺を寄せ、手元の資料に視線を落としていた。
「偶然も立派な成果です。挑戦しなければ、その偶然すら起こり得ませんよ」
納得がいっていない様子のコーディを見てファーノンは微笑む。
そして土の付いた白い手袋を外し、コーディに手を伸ばす。
「きみの研究は胸を張っていい成果ですよ」
「!」
ファーノンはぽん、とコーディの癖っ毛に手を置いた。
コーディは俯きながらも、その口元は嬉しそうに緩んでいた。
「論文を書いてみませんか?」
「え……僕がですか?」
「もちろんです」
自信なさげに見上げてくるコーディに、ファーノンは力強く頷く。
「年末学会に参加するのでそこで発表しましょう。青いバラの開発者として、きみの名前を知らしめるんです」
コーディの瞳に映るファーノンはいつになく楽しそうに見えた。
普段教育者として厳格な姿勢を保っている彼にしては珍しい姿だった。
「や……やってみます」
コーディはギュッと拳を握り、頷いた。




