プロローグ:3年後のふたり
「どうしよう……俺、処刑されるかもしれない」
アカデミーの食堂の隅で、一人の男子生徒が青ざめた顔で呟いた。
その傍らで、他の生徒たちは一枚の号外新聞に群がっている。
「王太子殿下がこの学校に通ってたなんて!」
「ルイス・ウェルズリー殿下……どの方かしら? 三学年らしいけど……」
色めき立つ女子たちを横目に、男子生徒は頭を抱え、項垂れた。
「お前、フィオナさんをかけて決闘するんだっけ?」
「頑張れよ」
ぽん、と友人たちが肩を叩く。
「ブローン伯爵家の養子なんじゃねぇのかよぉ……」
その情けない声は、あっという間に昼下がりの喧騒にかき消された。
***
(……伸びてきたな)
風で乱れた黒髪を弄りながら、ルイスは一人で裏庭を歩いていた。
その足元に、ひらりと新聞紙が舞い落ちる。
ルイスは立ち止まり、その青い瞳に大きな見出しを映した。
"王家の血筋、途絶えず――新王太子を発表"
ルイスはすぐに視線を上げ、歩き出した。
北門の手前。柔らかな日差しの中、素朴な小屋が見えてきた。
小屋の前の小さなベンチに見知った人影を見つけ、ルイスは優しく目を細めた。
「フィオナ」
本に落としていた薄紫色の瞳が、ルイスに向く。
フィオナと呼ばれた女子生徒はぱちぱちと瞬きをしたあと、静かに本を閉じた。
「朝からルイスの話で持ちきりだよ」
耳に掛けられた亜麻色の長い髪が、風にさらわれて流れる。
その不規則な動きを目で追いつつ、ルイスはフィオナの前に立った。
「フィオナはあまり驚いてないんだな」
いつもと変わらない態度のフィオナに、ルイスは薄く笑みを浮かべた。
「……驚いてるよ。顔に出ないだけ」
フィオナの長い睫毛が白い肌に影を作る。
「!」
ふと、フィオナの視線が、ルイスの背後で動く"何か"を追った。
『玉の輿! 玉の輿だよ、フィオナ!』
眼鏡をかけた少女が、嬉しそうにルイスを指差している。
少女がぴょんぴょん跳ねても、足元の草は微動だにしなかった。
「どうかした?」
「ううん……服に葉っぱがついてたけど、風でとれたみたい」
フィオナは口角を上げてみせた。
そのぎこちない笑顔に、ルイスは眉を寄せる。
「何か……見えてんの?」
握りしめた拳に力が入る。
「……」
フィオナは口を噤んでしまった。
薄紫色の瞳は不安げに揺れ、本の上に置いた指が居心地悪そうに表紙を擦っている。
「ごめん。何でもない」
「……ごめん」
その様子を見て、ルイスもたまらず足元の草に目をやった。
風によってぶつかり合う木葉の音が、二人の間に生まれた沈黙を強調した。
ゴーンと、昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴った。
「……教室戻ろう」
フィオナが立ち上がった、その時――
「フィオナー?」
遠くから男性の声が聞こえた。
「……!?」
フィオナが返事をするより先に、ルイスは咄嗟に彼女の手首を掴んだ。
そして反対の手で小屋の取手に手をかけ、フィオナと一緒にその中に身を隠した。
「レナルドだよ」
「……だからだよ」
不思議そうに見上げてくるフィオナに対して、ルイスはむすっと拗ねたように口を尖らせた。
(邪魔されてたまるか)
フィオナの十年来の友人――だからこそ、厄介だった。
「ねえ……」
ルイスの腕の中で、フィオナが小さく身じろぎをした。
「離して」
フィオナの弱々しい声が耳に届く。
見下ろすと、フィオナの耳が真っ赤に染まっているのがわかった。
口元が緩む。
「……嫌?」
ルイスはあえて甘い声で囁き、フィオナの腰にまわした腕にぐっと力を込めた。
フィオナの肩がびくりと小さく揺れた。
「い、嫌だよ」
か細い声を絞り出したフィオナは、ルイスの胸板に額を押し当てたまま、首を横に振った。
「ウソだな」
ルイスは勝者のように口角を上げた。
「見ればわかる」
言葉とは裏腹に彼女から滲み出る甘い気配に、愛おしげに目を細める。
フィオナは何も言い返せず、俯いたままだった。
くすぐったい沈黙が続く。
フィオナが一歩足を引くと――
ガタッ
壁に立てかけてあった箒が倒れた。
ルイスが視線を向けた瞬間、フィオナはルイスの胸板を押し、距離を取った。
「教室戻るよ」
フィオナの声を耳に入れつつも、ルイスは体温の残る右手を名残惜しそうに見つめた。
「フィオナ」
そして、その手でフィオナの乱れた前髪を優しく整える。
「ロイフォードに残ってよ」
王太子としてではなく、一人の青年としての、懇願だった。
「ううん」
フィオナは静かに首を横に振った。
「卒業したら、公爵邸で働くことになってるから」
そして、淡々と告げる。
そこにルイスに対する拒絶は感じられない。
(こっちは王太子妃の席を用意してんだけどな……)
ルイスは小さくため息をついた。
「私……留学してよかった」
ぼそりとフィオナが呟いた。
小さい声だったが、この狭い小屋の中では十分だった。
澄んだ薄紫色の瞳が、まっすぐとルイスを捉える。
「ルイスに会えて、よかった」
フィオナはそう言って、柔らかく微笑んだ。
途端に、ルイスの耳が赤くなる。
(くっそー……)
ルイスは思わず伸ばしそうになった手で、襟足をガシガシと掻いた。
「過去にすんじゃねぇ」
「!」
ルイスはぐっと顔を近づける。
細めた青い瞳に、愛おしさと、少しの恨めしさを滲ませて。
そして、不思議そうに見つめてくるフィオナに、凛とした声で告げる。
「必ず迎えに行くから、待ってて」
――これが、卒業を目前に交わした、二人の約束だった。




