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異界で、犬と。  作者: 夏谷崚
ケトノレーベ編
26/30

異変

 ペックは行き過ぎたと思うと必ず止まり振り返る、そして晴樹らがある程度近づくとまた走り出す。地面を嗅ぎながら、田を越え、森を抜けると、川沿いに出た。水の流れは早く、水飛沫が空気を冷やす。苔の匂いが漂う中、時々蛇行をしながらも、その方向は定まっていた。ペックは川辺に開いた洞穴の前で止まり吠える。


「ここにいるのか?」


「ワン!」


 彼らは薄暗い穴へと足を運ぶ。少し歩けば明かりが見え、人影が壁に映った。


「何者だ!?」と男の叫びが反響する。


「落ち着いてください、我々は騎士団の人間です。助けにやって参りました」


 隣にいた女はナイフを突き立て睨みをきかせる。


「大丈夫だよ、私も助けられたから」とついてきた村の男が言った。


「リョクさん!無事だったのですか!?」


「ギリギリのところを彼らが助けてくれたんだ。さ、一緒に避難しよう」


「よかった…ごめんなさい…はやとちりしちゃって…」


「いえいえ!ペック、案内してくれるか?」


「ワン!」


 ペックが先頭を、適度な距離をとりながら歩く。洞穴には十人の村人がいて、その皆が多少の傷を負っていた。特に傷が深い者はジユンが背負い慎重に運んだ。ペックは時々振り返りながら元来た道を歩き、目的地には黒衣の女性が佇んでいた。


「よかった…!みんな遅いから心配しちゃったの…そちらの方々は?」

 ケトノレーベは列に目をやる。


「はい、村の人たちです」


「え…本当!?魔物討伐だけでなく村人の避難まで!?本当に素晴らしい!私の子達は!うふふふふ」

 ケトノレーベは顔を笑顔で満たし村人の方を見た。


「とりあえず私が案内しちゃいます。あ、君たち部屋に行かないで中で待っててほしいな、みんなに例の魔物の情報も教えてほしいから」

 と言って村人を案内する。その彼女の後ろ姿はどこか浮ついたような喜びが滲んでいた。


 少しして、ケトノレーベは戻ってきた。


「──お待たせ。それで、どうだった?新種の魔物は?強かった?」


「めちゃくちゃ強かったです」


「どんな感じ?」


「身体が何度も再生して、やったと思ってもすぐに再生しちゃって、なかなか苦戦しました」


「なるほど…再生能力に限度はあるのかな?」

 ケトノレーベは無表情のまま聞き出した情報をメモをしていく。


「限度は、多分ないと思いますね」


「でも核を壊せば死にました」


「あ、核があったんだ。よく分かったね」


「ジユンが見つけたんだよな」

 シュージが自慢げに言うが、


「そう…よく見つけたね、すごいよ」

 声は平坦で、メモから目線を外さなかった。

「他には?攻撃の速さとか、破壊力っていうのはどうだった?」


「触手の鋭い攻撃だったり、身体の大きさを変化させた打撃的な攻撃もしてきました」


「その触手が伸びるスピードが本当に速くって…大変でしたよ!」

 大袈裟にため息をつきながら晴樹はケトノレーベをチラリと見た。


「魔法は効いた?」


「シャッカとヨーテルは意味なかったですね。シャッカの炎をまとって攻撃してくる知性もあったり」


「だから凍らせて動きを止めて核を破壊しました」


「なるほど…やっぱり核が重要なんだ」

 ケトノレーベのペンが止まり、わずかに唇を歪めるが笑顔にはならない。


「ありがとうみんな、ご飯食べてゆっくり休んで」


「あの、ケトノレーベさんは…?」

 イズミが照れくさそうに聞く。


「ごめんね、私はちょっとやることがあるから」

 椅子を静かに引き、顔も向けずに素早く立ち上がる。

「今の上に報告しなくっちゃ。情報ありがとうね、お疲れ様」


 背を向けたまま歩き去った。


「──しょーがねえ、飯行くか」


「そうだね」


 食堂は相変わらずがらんとしていた。厨房から煙がたちのぼり、芳しい香りの中に少しどんよりした生臭い何かが漂った。


「うめー!」


「相変わらず美味いな!」


 スプーンを乱暴に口へ運び、パンを噛みちぎる。その度にスープがこぼれ、皿や机を染めていく。肉の甘い汁が舌に触れると、喉が独りでに肉を飲み込もうと動き出す。窓から刺さる光のせいか、具材が変色して見えた。


「でもこれってほんとなんのお肉なんだろうね?」

 晴樹が疑問を問いかけた。


「知らん。いい肉だってケトノレーベさんが言ってたからいい肉なんだろ」

 イズミは食べる手を止めない。


「美味いからどうでもいいわ」


「まあね」


 笑いながらまたスプーンを突っ込み、スープをすする。濁った表面は揺れ動き、肉の小さな骨は皿の底へ沈んでいった。


 ペックの目の前には肉が置かれていたが、やはり食べず睨むようにして肉を放り投げ捨てた。


「なんだペック、好き嫌いかー?もったいねえからダメだぞ?」

 とシュージはペックに言いつけるが、無視して目を閉じた。


「はー!こいつ本当舐めてるわ!」


「でもペック最近食堂のご飯食べないんだよね。なんでだろう。体調悪い?」

 ペックを撫でながら、晴樹は目線をやるが、それでも起きない。


 食事を終えると部屋に戻っていく。その道中酷い倦怠感に襲われ足が何度ももつれた。


「なんか今日は疲れたな…」

 イズミは靴も脱がずにベットに倒れ込んだ。


「あいつ何回も再生して、何回も攻撃したからな…」

 いつもの覇気はなく、しゃがれた声であった。シュージはそのまま毛布を被り目を閉じる。


「もう…寝よう」


 それ以上会話することなく、全員眠りについていった。毎夜遠くからガシンガシンと工事の音が響くのだが、今日は特に響き、特に意識することがなかった。


 翌朝目覚めると、ベッドにジユンの姿がなかった。トイレの方からうめき声と湿った崩れるような音が響く。

 ツンと鼻をつく悪臭に導かれ恐る恐るトイレを覗く。そこにはジユンが膝をつき吐いていた。


「うっ……大丈夫…?」

 不快な匂いが漂う中、鼻を覆いながら晴樹は背中をさする。


「ああ……すまない………」

 ジユンは目を閉じて、荒い呼吸を整えながら、口元を雑に拭う。


「少し……食べすぎただけだ……大丈夫…任務に影響はない」


 青白い顔に目元が潤み、その乱れた髪は、どこか色っぽくも見える。


「そっか…ケトノレーベさんのためにも働かないとね」

 晴樹は笑うと、ジユンも頷く。


「ああ、もちろんだ。ケトノレーベさんのために」

 吐瀉物の匂いがなお漂う中、彼らは支度を始めていく。ペックはソワソワしながらもその様子を見ていた。


 その後、彼らは資材運びや荷物の運搬の手伝いをした。シュージは肩に木箱を担ぎ、晴樹は土嚢を運ぶ。


「うおっ……!」

 シュージが大きくよろめく。


「ゲホッ…大丈夫?」

 土嚢を離し、晴樹が手を貸し支えた。


「わりぃな…夜中から妙に頭痛がひどくってよ」

 シュージは頭を押さえながらも姿勢を正す。


「ゲホッゲホッ…ゆっくりでいいから頑張ろう」

 弱い力で土嚢をまた拾い上げゆっくりと歩く。


「ああ、こんな頭痛へでもねえよ。ケトノレーベさんを思えばな」

 シュージは乱れた足取りで再び歩き始める。晴樹も頭の奥に鈍い痛みが生まれていた。


 工事の音がズシンと響くたびに、頭痛は激しく襲う。頭痛が工事のリズムのように一体となって感じられた。


 少し離れたところでは、イズミとジユンは鉄材を二人で抱えて運んでいた。


「くっ……思ったより……重いな……」

 イズミが顔をしかめ、息を吐く。


「無理するな、イズミ……」

 そう言うジユンも額に汗を浮かべながら、悪寒で体が震えていた。


「ゲホッ……」


 吐息混じりに小さく咳をし、手で口を覆う。その手は鮮血に染められていた。


「平気か?」


「……大丈夫、これくらい……ケトノレーベさんの役に立つなら……」

 イズミは苦笑しながら足を引きずるように歩を進め、ジユンもまた震える腕で鉄材を支え直し、ゆっくりと歩き出した。


 二人の足元に細かい砂埃が舞い、遠くで工事音がズシン、ズシンと響き続けていた。


 その夜もまた喋ることなく、体調不良の中目を瞑ることだけに専念していると、

「ワンワンワンワン!」


 ペックが急に何度も吠える、その声に睡眠を阻害され密かに苛立ちが伝わっていった。


「あーやめて、頭痛えから…」


「ペック、やめて」


「ワンワンワン!」

 そんな声をよそに室内を走り回り、何度も吠える。


「ちょっと……ペック本当にうるさい…!やめて!」と晴樹が大声で怒鳴りつける。


 するとペックはビクッとし、耳をたたみ、そろりそろりと別の部屋へ行ってしまった。振り返るその目は静かであった。静寂の中遠くから聞こえる工事の音が妙に耳を刺激する。


 翌朝ペックはいなくなっていた。

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