異変
ペックは行き過ぎたと思うと必ず止まり振り返る、そして晴樹らがある程度近づくとまた走り出す。地面を嗅ぎながら、田を越え、森を抜けると、川沿いに出た。水の流れは早く、水飛沫が空気を冷やす。苔の匂いが漂う中、時々蛇行をしながらも、その方向は定まっていた。ペックは川辺に開いた洞穴の前で止まり吠える。
「ここにいるのか?」
「ワン!」
彼らは薄暗い穴へと足を運ぶ。少し歩けば明かりが見え、人影が壁に映った。
「何者だ!?」と男の叫びが反響する。
「落ち着いてください、我々は騎士団の人間です。助けにやって参りました」
隣にいた女はナイフを突き立て睨みをきかせる。
「大丈夫だよ、私も助けられたから」とついてきた村の男が言った。
「リョクさん!無事だったのですか!?」
「ギリギリのところを彼らが助けてくれたんだ。さ、一緒に避難しよう」
「よかった…ごめんなさい…はやとちりしちゃって…」
「いえいえ!ペック、案内してくれるか?」
「ワン!」
ペックが先頭を、適度な距離をとりながら歩く。洞穴には十人の村人がいて、その皆が多少の傷を負っていた。特に傷が深い者はジユンが背負い慎重に運んだ。ペックは時々振り返りながら元来た道を歩き、目的地には黒衣の女性が佇んでいた。
「よかった…!みんな遅いから心配しちゃったの…そちらの方々は?」
ケトノレーベは列に目をやる。
「はい、村の人たちです」
「え…本当!?魔物討伐だけでなく村人の避難まで!?本当に素晴らしい!私の子達は!うふふふふ」
ケトノレーベは顔を笑顔で満たし村人の方を見た。
「とりあえず私が案内しちゃいます。あ、君たち部屋に行かないで中で待っててほしいな、みんなに例の魔物の情報も教えてほしいから」
と言って村人を案内する。その彼女の後ろ姿はどこか浮ついたような喜びが滲んでいた。
少しして、ケトノレーベは戻ってきた。
「──お待たせ。それで、どうだった?新種の魔物は?強かった?」
「めちゃくちゃ強かったです」
「どんな感じ?」
「身体が何度も再生して、やったと思ってもすぐに再生しちゃって、なかなか苦戦しました」
「なるほど…再生能力に限度はあるのかな?」
ケトノレーベは無表情のまま聞き出した情報をメモをしていく。
「限度は、多分ないと思いますね」
「でも核を壊せば死にました」
「あ、核があったんだ。よく分かったね」
「ジユンが見つけたんだよな」
シュージが自慢げに言うが、
「そう…よく見つけたね、すごいよ」
声は平坦で、メモから目線を外さなかった。
「他には?攻撃の速さとか、破壊力っていうのはどうだった?」
「触手の鋭い攻撃だったり、身体の大きさを変化させた打撃的な攻撃もしてきました」
「その触手が伸びるスピードが本当に速くって…大変でしたよ!」
大袈裟にため息をつきながら晴樹はケトノレーベをチラリと見た。
「魔法は効いた?」
「シャッカとヨーテルは意味なかったですね。シャッカの炎をまとって攻撃してくる知性もあったり」
「だから凍らせて動きを止めて核を破壊しました」
「なるほど…やっぱり核が重要なんだ」
ケトノレーベのペンが止まり、わずかに唇を歪めるが笑顔にはならない。
「ありがとうみんな、ご飯食べてゆっくり休んで」
「あの、ケトノレーベさんは…?」
イズミが照れくさそうに聞く。
「ごめんね、私はちょっとやることがあるから」
椅子を静かに引き、顔も向けずに素早く立ち上がる。
「今の上に報告しなくっちゃ。情報ありがとうね、お疲れ様」
背を向けたまま歩き去った。
「──しょーがねえ、飯行くか」
「そうだね」
食堂は相変わらずがらんとしていた。厨房から煙がたちのぼり、芳しい香りの中に少しどんよりした生臭い何かが漂った。
「うめー!」
「相変わらず美味いな!」
スプーンを乱暴に口へ運び、パンを噛みちぎる。その度にスープがこぼれ、皿や机を染めていく。肉の甘い汁が舌に触れると、喉が独りでに肉を飲み込もうと動き出す。窓から刺さる光のせいか、具材が変色して見えた。
「でもこれってほんとなんのお肉なんだろうね?」
晴樹が疑問を問いかけた。
「知らん。いい肉だってケトノレーベさんが言ってたからいい肉なんだろ」
イズミは食べる手を止めない。
「美味いからどうでもいいわ」
「まあね」
笑いながらまたスプーンを突っ込み、スープをすする。濁った表面は揺れ動き、肉の小さな骨は皿の底へ沈んでいった。
ペックの目の前には肉が置かれていたが、やはり食べず睨むようにして肉を放り投げ捨てた。
「なんだペック、好き嫌いかー?もったいねえからダメだぞ?」
とシュージはペックに言いつけるが、無視して目を閉じた。
「はー!こいつ本当舐めてるわ!」
「でもペック最近食堂のご飯食べないんだよね。なんでだろう。体調悪い?」
ペックを撫でながら、晴樹は目線をやるが、それでも起きない。
食事を終えると部屋に戻っていく。その道中酷い倦怠感に襲われ足が何度ももつれた。
「なんか今日は疲れたな…」
イズミは靴も脱がずにベットに倒れ込んだ。
「あいつ何回も再生して、何回も攻撃したからな…」
いつもの覇気はなく、しゃがれた声であった。シュージはそのまま毛布を被り目を閉じる。
「もう…寝よう」
それ以上会話することなく、全員眠りについていった。毎夜遠くからガシンガシンと工事の音が響くのだが、今日は特に響き、特に意識することがなかった。
翌朝目覚めると、ベッドにジユンの姿がなかった。トイレの方からうめき声と湿った崩れるような音が響く。
ツンと鼻をつく悪臭に導かれ恐る恐るトイレを覗く。そこにはジユンが膝をつき吐いていた。
「うっ……大丈夫…?」
不快な匂いが漂う中、鼻を覆いながら晴樹は背中をさする。
「ああ……すまない………」
ジユンは目を閉じて、荒い呼吸を整えながら、口元を雑に拭う。
「少し……食べすぎただけだ……大丈夫…任務に影響はない」
青白い顔に目元が潤み、その乱れた髪は、どこか色っぽくも見える。
「そっか…ケトノレーベさんのためにも働かないとね」
晴樹は笑うと、ジユンも頷く。
「ああ、もちろんだ。ケトノレーベさんのために」
吐瀉物の匂いがなお漂う中、彼らは支度を始めていく。ペックはソワソワしながらもその様子を見ていた。
その後、彼らは資材運びや荷物の運搬の手伝いをした。シュージは肩に木箱を担ぎ、晴樹は土嚢を運ぶ。
「うおっ……!」
シュージが大きくよろめく。
「ゲホッ…大丈夫?」
土嚢を離し、晴樹が手を貸し支えた。
「わりぃな…夜中から妙に頭痛がひどくってよ」
シュージは頭を押さえながらも姿勢を正す。
「ゲホッゲホッ…ゆっくりでいいから頑張ろう」
弱い力で土嚢をまた拾い上げゆっくりと歩く。
「ああ、こんな頭痛へでもねえよ。ケトノレーベさんを思えばな」
シュージは乱れた足取りで再び歩き始める。晴樹も頭の奥に鈍い痛みが生まれていた。
工事の音がズシンと響くたびに、頭痛は激しく襲う。頭痛が工事のリズムのように一体となって感じられた。
少し離れたところでは、イズミとジユンは鉄材を二人で抱えて運んでいた。
「くっ……思ったより……重いな……」
イズミが顔をしかめ、息を吐く。
「無理するな、イズミ……」
そう言うジユンも額に汗を浮かべながら、悪寒で体が震えていた。
「ゲホッ……」
吐息混じりに小さく咳をし、手で口を覆う。その手は鮮血に染められていた。
「平気か?」
「……大丈夫、これくらい……ケトノレーベさんの役に立つなら……」
イズミは苦笑しながら足を引きずるように歩を進め、ジユンもまた震える腕で鉄材を支え直し、ゆっくりと歩き出した。
二人の足元に細かい砂埃が舞い、遠くで工事音がズシン、ズシンと響き続けていた。
その夜もまた喋ることなく、体調不良の中目を瞑ることだけに専念していると、
「ワンワンワンワン!」
ペックが急に何度も吠える、その声に睡眠を阻害され密かに苛立ちが伝わっていった。
「あーやめて、頭痛えから…」
「ペック、やめて」
「ワンワンワン!」
そんな声をよそに室内を走り回り、何度も吠える。
「ちょっと……ペック本当にうるさい…!やめて!」と晴樹が大声で怒鳴りつける。
するとペックはビクッとし、耳をたたみ、そろりそろりと別の部屋へ行ってしまった。振り返るその目は静かであった。静寂の中遠くから聞こえる工事の音が妙に耳を刺激する。
翌朝ペックはいなくなっていた。
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