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平民の魔法師様に拾われました。

作者: 九条 睦月

王道のハッピーエンド話です。そして、ざまぁもあり。ちゃんとしたざまぁになっているか謎ですが、楽しんでいただけますと幸いです。

 大陸の片隅に、リーテン王国という小国がある。

 小さいながらも、自然豊かで資源に恵まれ、輸出産業と観光業で潤っていた。

 この国の貴族は魔力を保持し、高位ほどその量は多い。しかし、その魔力を使える者はほとんどいなかった。

 魔力を使える者は「魔法師」と言われ、王族に次ぐ地位を与えられていた。彼らは保持している魔力を使い、攻撃や防御、回復をしたり、日常生活に必要な魔道具を作ることができるためだ。

 彼らがいなければ、国は立ち行かない。他国への流出はなんとしてでも避けなければならない。それ故、国から大切に保護されていた。


 魔力は多ければ多いほど良いとされている。例えそれが使えなくとも。

 魔力の多い者同士が結ばれることで、子もまた多くの魔力量を持って生まれてくる。その中から、魔力を使える者が出てくるかもしれないからだ。

 未来の魔法師を生み出すため、貴族たちはより多くの魔力を持つ者と縁を持とうとする。

 それは、可能性の低い下位貴族も同じ。いや、彼らの方がより熱心かもしれなかった。

 下位貴族が成り上がる、希少なチャンスなのだから──。


****


「ねぇ、リュート様がいらっしゃったわ!」

「黒髪に黒い瞳が神秘的でたまらないわ。平民ながらあの堂々とした佇まい、本当に素敵ね!」

「それはそうよ。だって、魔法師様なのですもの!」


 私たちが入場してから、令嬢たちの声がひっきりなしにあちこちから聞こえてくる。と同時に、熱のこもった視線も投げかけられる。


 覚悟はしていたけれど、これほどまでとは……。それもまぁ仕方のないことだけれど。


 今日は、王家主催の夜会。でも、ただの夜会ではなく、私の隣にいるこのお方の表彰式も兼ねている。いわば、今日の主役は彼のようなものなのだ。


「エルシー、さっきから表情が硬いよ。緊張してる?」

「え……えぇ、そうね。緊張しているわ」

「俺がここにいるのがそもそも場違いだからなぁ。でも、エルシーが隣にいてくれるから、とても心強いよ」


 彼──リュート様は、そう言ってニコリと微笑む。その屈託のない笑顔に、私の心はほっこりと温かくなった。


 リュート様は、私のご主人様だ。今は、婚約者役として隣にいるのだけれど。

 あくまで、リュート様は私の雇い主であり、普段の私はリュート様の身の回りのお世話をさせてもらっている立場。

 そういうことで、最初は使用人らしく敬語で接していた。しかし、リュート様がそれを嫌がったので、今ではすっかり気安い口調になっている。


 私は、かつてアーロン子爵家の娘だった。そんな私がどうして平民であるリュート様に雇われているのかというと、簡単に言えば、子爵家から放逐されたからである。リュート様は、行き場をなくした私を拾ってくれたのだ。


「お姉様? エルシーお姉様ではありませんか! 今までどちらにいらしたのですか? 出奔されるだなんて、私心配で夜も眠れず、必死になって探していましたのよ!」


 その声に視線を遣ると、派手なドレスで着飾った令嬢が駆け寄ってくるところだった。

 義妹のリリーだ。その後ろから、元家族と元婚約者もこちらへと向かってくる。それを見て、私の身体は震え、強張った。


「エルシー、大丈夫だよ。俺がいる」

「リュート様」


 私はリュート様を見上げ、ぎこちなく微笑む。

 今日、彼らと対峙することはわかっていた。だから、覚悟を決めてここにやって来たのだ。

 私は気持ちを立て直し、リリーを見た。


「リリー、私は出奔したわけではないわ。あなた方が私を追い出したのではありませんか」

「まぁ、お姉様ったら! 被害妄想も甚だしいですわ。お姉様が出奔なさったのは、ブライアン様から婚約破棄された後ではありませんか。ブライアン様が私を選んだことが、よほど悔しかったのですね。リュート様、お姉様は嫉妬深く意地の悪い女なのです。関わると面倒ですので、今すぐ離れた方がよろしくてよ!」


 これのどこが心配していたというのか。


 リリーは眉を下げ、瞳を潤ませながらリュート様に訴える。

 彼女のこの表情は、男性の庇護欲を掻き立てる。現に、周りにいる男性たちの目は、リリーに釘付けだった。


 リリーがわざと注目を集めるよう、大声を出しているのはわかっている。彼女は、私を大勢の前で貶めたいのだ。

 だって、リリーは私を嫌っているから。いえ、その表現も適切ではないかも。

 リリーは私を虐げることに快感を覚えている。こんなのはもう、嫌っているなどとうに超えている。


 お母様が亡くなった後、父はすぐさま義母と再婚し、義母とリリーはアーロン子爵家にやって来た。

 リリーは私と一つしか年が離れていなくて、私はお母様が存命だった頃から父と義母は関係があったのだと知った。

 それを許せずに父を責めると、父は元々義母と結婚したかったが、義母の身分が男爵令嬢だったせいで家から反対されたのだと言った。それで、仕方なく家格が同等の子爵令嬢だったお母様と政略結婚をした。しかし、その後も義母との関係を続け、リリーが生まれたのだという。

 酷い話だけれど、貴族にはままあることである。


 そんなこんなで、次第に私は家から爪弾きにされるようになった。

 使用人たちも義母に一新され、彼らは父や義母、リリーには従順だけれど、私についてはいないものとして、世話をすることもなかった。

 義母と義妹はやがて私を使用人のように扱い始め、邸の掃除や洗濯、食事の買い出しやら下ごしらえまでさせるようになった。


 でも、そんな私にも、お母様が生きていた頃に繋いだ縁があった。それは、バセット侯爵家の嫡男であるブライアン様との婚約だ。

 アーロン子爵家は良質な石が採れる鉱山を有しており、裕福だ。その資産目当てなのだろうけれど、かなり格上である侯爵家と縁が結べるのなら、と決まった婚約だった。

 アーロン家で虐げられていても、私はいずれこの家を出る。それを糧に、日々耐え忍ぶ生活を続けていた。

 でも、そんなある日──


『エルシー、私は君との婚約を破棄し、リリーと新たに婚約する』


 ブライアン様はそう言った。ブライアン様の隣にはリリーがいて、ねっとりと腕を絡ませていた。


 リリーはアーロン子爵家の娘となって以降、私の持つ物を根こそぎ奪っていった。お気に入りのドレスも宝石も、お母様の形見でさえ。

 涙を堪える私を見て、リリーはいつも恍惚とした表情を浮かべていた。──おぞましいことだけれど、リリーは私を虐げることで快感を得ていたのだ。

 物だけでは飽き足らず、ついには婚約者まで。そして、いつかこの家を出るという私の唯一の希望までを、リリーは奪っていった。

 そしてついには……


『エルシー、お前はバセット侯爵令息の心を繋ぎとめておけなかった。そんな役立たずな娘など、うちには必要ない! それに、陰でリリーを苛めていることも知っているんだぞ! お前はもうアーロン家の娘ではない。この家からさっさと出て行け!』


 リリーが父に進言し、そうさせたのは明らかだった。父には見えないところで、リリーは愉悦の笑みを浮かべていたのだから。そしてそれは、義母も同じだった。

 彼女たちは、私から家までも奪ったのだった。


「俺は、自分の見たもの以外は信じない。エルシーは君の言うような人ではないよ。離れろなど、そんなことを言われる筋合いはない」


 その声に、ハッと我に返る。

 リュート様の釣れない態度に、リリーは一瞬目を見開きつつも、すぐに悲しそうな顔をした。


「……リュート様は、お姉様に騙されているのですわ」


 でも、リュート様はそれには反応しない。

 そうこうしているうちに、元両親と元婚約者が追いついてきた。そして私を見るなり、顔を歪める。


「何故お前がここにいるのだ? ここは、お前などが来ていい場所ではない」

「申し訳ございません、リュート様。この者は、我が家でも手を焼いておりまして……」

「ふん。こんな女に誑かされるなど、魔法師といえど、さすがは平民だな」


 最後のブライアン様の言葉には我慢ならなかった。

 私のことは何を言おうと構わないけれど、リュート様のことは……!

 私は拳を強く握る。


「落ち着いて、エルシー」


 リュート様の優しい声に、私は顔を上げた。リュート様はニコニコと微笑んでいる。


「こういうの、慣れてるから」


 その言葉に胸が痛む。

 リュート様は平民ながら魔法師となり、王家に表彰されるまでになった。

 魔力量が多く、それを扱える才があれど、ここまで来るのに平民の身ではさぞや大変だったことだろう。

 魔法師は誰もが羨む職業であり、周りはほぼ高位貴族で占められている。そんな中、平民がたった一人……。功績をあげるまでは、針の筵だったと思う。


「別に誑かされてなどいませんよ。俺はむしろ、あなた方の感覚を疑います。こんなに素晴らしい女性を貶すなんて。……不愉快だ。エルシー、行こう」


 そう言ってリュート様は私を促し、この場から離れた。チラリと振り返ると、忌々しげな表情を向けられている。


「想像以上にク……厄介な奴らだ」


 リュート様が呆れたように呟いた。


 今日はリュート様にとって晴れの日であるにもかかわらず、こんな表情をさせてしまうなんて。


「私は平気です。それより、リュート様が……」

「俺だって平気だ。俺の人生に全く関わらない奴らに何と言われようと、心底どうでもいい」


 こういう人だから、エリート揃いの魔法師団で、団長の右腕とも言われる存在になれたのだろう。本当にすごいことだ。


 私たちが微笑みあっていると、音楽が変わり、それに合わせて王家の方々が入場してきた。皆が臣下の礼をとる。

 その後、陛下は皆に面を上げさせると、リュート様の表彰を行った。


「王立魔法師団、団長側近リュート、国境沿いで確認された魔獣の異常発生を食い止めた多大なる功績を称え、報奨金と子爵位を与える。それとともに、かつてのワーナー領をそなたに授けよう。これからは、リュート=ワーナーと名乗るがよい」

「身に余る光栄でございます。謹んで頂戴いたします」


 その瞬間、会場中に拍手が沸き起こった。

 平民であるリュート様が、この瞬間をもって貴族となる。


 そして、舞踏の音楽が奏でられ、夜会が始まった。

 子爵位を賜ったリュート様に、たくさんの人が群がってくる。

 それを阻むように立ち塞がったのは、魔法師団団長のロドニー=スペンサー侯爵様。まるで、私たちを守るかのようだ。


「おめでとう、リュート。ようやくお前も貴族の仲間入りだな。ここまでよく努力した。お前を抜擢した私も誇らしいよ」

「ありがとうございます、団長。団長が見出してくれたおかげです!」

「これからも頑張れよ。お前なら、もっと上を目指せる」

「頑張ります!」


 スペンサー侯爵様の前では、まるで子どものような顔になるリュート様。

 スペンサー家は我が国の筆頭侯爵家であり、若き侯爵のロドニー様は、魔法師団の団長でもある。

 そんな彼がリュート様の能力を見出し、側近にして、リュート様の力は更に飛躍した。リュート様にとってスペンサー侯爵様は、まさに恩人といえるお方なのだ。

 そんな彼と話をしている以上、誰もこの中に入ってこれない。皆は焦れる気持ちを押し隠し、私たちを見守っていた。その中に、アーロン子爵家とブライアン様もいる。リリーは、ひたすらリュート様を見つめていた。その視線に嫌なものを感じる。


 もしかして、私からリュート様を奪おうとしている……?


 婚約者がすぐ側にいるというのに、なんて迂闊な。

 と同時に、リュート様の気持ちがリリーに傾いてしまったらと思うとたまらない。落ち着こうと自分の気持ちを懸命に宥めるけれど、なかなか収まらない。

 その時だった。


「おめでとうございます、リュート様。いえ、もうワーナー子爵ですな。そろそろ私共ともお話してはもらえないだろうか」


 強引に会話に入ってきたつわものは、エーメリー公爵様だ。我が国唯一の公爵家である。隣には、王太子妃候補にもあがっていた御令嬢を伴っている。この時点で、何を目的としているのかは一目瞭然だった。

 令嬢は、美しいカーテシーを披露する。


「エーメリー公爵家の長女、ジュリアと申します。本日は誠におめとうございます、リュート=ワーナー様」


 あまりの美しさに溜息が零れる。しかし、すぐに我に返った。何故なら、リュート様に腰を抱かれたからだ。


「ありがとうございます、エーメリー公爵令嬢」


 ジュリア様は僅かに眉をあげ、扇を広げて口元を隠す。


「そちらの女性は、どういった方ですの?」


 ジュリア様の目を見て、ヒッと声をあげそうになった。射殺されそうなほど鋭い視線。

 彼女だけではない。他からもそんな視線をひしひしと感じる。もちろん、リリーも私をじっと睨んでいた。

 怖くて挫けそうになるけれど、ここで俯いてはいけない。だって今の私は、リュート様の婚約者役なのだから。

 私は胸の内を悟られないよう、必死に平静を保つ。そんな私を、リュート様は更に引き寄せた。

 リュート様は蕩けそうな表情で私を見つめた後、ジュリア様だけでなく、この場の皆に向かって言った。


「彼女はエルシー。俺……いえ、私の婚約者です。私は彼女のおかげで、ここまでやってこれました。陰に日向にと支えてくれた彼女とともに、新たに賜りましたワーナー領を治めていこうと思っています」


 リュート様がこう言い終えた後、空気が揺れた。

 ザワザワと騒がしくなり、あちらこちらから囁き声が聞こえてくる。それは、決して好意的な声ではない。


「あの令嬢が婚約者?」

「どこかで見たような……」

「アーロン子爵家の令嬢じゃなかったか?」

「なるほど、あの御令嬢か。確か、元平民の義妹にも負けるほどの魔力しか持っていなかったのでは……」


 強く瞳を閉じる。

 そう、私の中には僅かな魔力しかない。そのことも、私が虐げられる原因となっていた。

 しかし、そのざわめきは突如消える。スペンサー侯爵様の一声によって。


「そうだな。エルシー嬢のおかげでお前の魔力は底上げされ、先の戦いでも活躍できた。それに、魔法陣の研究に没頭しすぎて、魔力切れを起こすこともなくなったしな」


 その言葉に、周囲は唖然とした。


「魔力を底上げ?」

「なんだそれは。聞いたことがないぞ」

「いったいどういうことだ?」


 これは、つい最近判明したことだった。解明したのは、スペンサー侯爵様だ。

 私は、普通の貴族よりも魔力量が少ない。それこそ、元平民のリリーにも負けるほど。

 それもあって、アーロン子爵家では冷遇され、挙句の果てに放逐されたのだけれど、リュート様と暮らすようになって彼が気付いたのだ。


『エルシーが来てくれてから、身体の調子がいいんだ。栄養満点の美味しい食事を取るって、大事なんだね』


 最初はそんな感じだった。でも、段々とそれだけではないとリュート様は思い、上司であるスペンサー侯爵様に相談したそうだ。そこで、様々な検証をし、判明した。


 私は保持する魔力量は少ないけれど、それとは別に、ある力を有していた。他人の魔力を底上げする、という力を。


 ちなみに、私が意思を持って「魔力を上げたい」「助けたい」と思わなければ、この力は発動しない。

 私は日々、懸命に魔法師団の仕事に取り組むリュート様を応援したかった。毎日クタクタになって帰ってくるリュート様を助けたかった。その想いが、これまで眠っていた私の力を目覚めさせ、発動させたのだ。


「さすがは我が娘だ! リュート様との結婚式は盛大にしよう。エルシー、すぐに婚礼の準備を始めるぞ!」


 場違いなほど大きな声をあげ前に進み出たのは、アーロン子爵。

 これまで見たこともないような笑顔である。そしてそれは、隣にいる義母もだ。リリーだけは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 打算的な父は、私を利用しようとしている。私に思わぬ能力があることが発覚した今、味方につけ、その恩恵を受けようとしているのだ。

 図々しいにも程がある。こうもあからさまな手のひら返しに、さすがの私も怒りに震えた。


「私はっ……」

「我が娘? それはおかしい」


 私の言葉を遮るように、リュート様が声を発する。

 父は眉を顰め、首を傾げている。リュート様の言っていることがわからないのだ。


「何をおっしゃっているのかわかりかねますな。エルシーは我が子爵家の娘で……」

「エルシーは、アーロン子爵家から放逐されたと聞いている」

「!」


 大勢の前でそんなことを言われ、父も義母もわなわなと震える。顔を真っ赤にする父に構わず、リュート様は後を続けた。


「あなた方は、魔力の少ないエルシーを令嬢として扱わなかった。その挙句、家から追い出したのでしょう? エルシーは悲しみに暮れながらも、やがて前を向き、あなた方との縁を切る決心をしたのですよ」


 その瞬間、周りは騒ぎ始める。


「なんだって?」

「まさか……」

「令嬢を市井に放り出すなど……」

「違う! 断じてそのようなことはっ!」


 反論する父の声は、ざわめきにかき消されていく。皆は、アーロン子爵家に冷たい視線を向けていた。


「誤解なんだ!」

「そうよ! お姉様は勝手に出て行ったんだからっ! お姉様は婚約者だったブライアン様に捨てられて、拗ねちゃったのよ! 私を妬んで、困らせてやろうと思ったんだわ!」

「リリー!」


 大慌てで口を塞ぐ義母だけれど、リリーは止まらない。


「お姉様、酷いわ! お姉様には女性としての魅力がなかったの! だから、ブライアン様に捨てられたのよ!」

「リリー、何を言っているのかな?」

「え……?」


 そこへ進み出たのは、バセット侯爵令息。私の元婚約者であるブライアン様だ。柔らかな金の髪を揺らし、形の良い唇を弓なりにする。

 彼の瞳が私を捕えると、優雅に手を差し出してきた。


「いろいろと誤解があったようだね、エルシー。私は婚約者として、ずっと君を愛していたというのに。その気持ちがきちんと伝わっていなかったようだ」

「なんですって!? ブライアン様!」


 ブライアン様はリリーを無視し、更に近づいてくる。


「ごめんよ、エルシー。これからは、毎日君に愛を囁こう。愛している、エルシー。さぁ、私の元へ戻っておいで」


 私は、ぶるりと身体を震わせた。


 今更何を言っているのか。

 この人も父と同じだ。他人の気持ちなど何とも思っていない。己の利益だけを考え、優先させる。


 ……どうしようもなく、吐き気がするほどの嫌悪感が込み上げてきた。


「誤解……まぁ、それでもいいか。バセット侯爵令息、例え誤解でも、すでにエルシーの気持ちはあなたにはないのですよ。エルシーは私と婚約したのです。人の婚約者に手を出すのはやめていただけませんか?」

「なっ……!」


 リュート様は、ブライアン様に冷たくそう言い放った。それだけではない。今度は父の方を向いて、こう言った。


「そうそう、エルシーはすでにアーロン子爵家の籍から抜けている。縁を切る決心をしたその日に手続きをしたので」

「なんだって!?」

「嘘だと思うなら、役所で確認してくださいね。エルシーはもうあなた方とは何の関係もない」

「エルシー、本当か!?」


 父がすごい形相で尋ねてくる。その顔を見て、スッと胸がすく。

 成人していれば、家族の同意なく籍を抜けることができるのだ。それに、いずれは父がそうしたはずである。


 今こそ、本当に家族との縁を切る時だ。

 私は淑女然とした微笑みを浮かべ、静かに頷いた。


「はい、本当のことですわ。私はもうアーロン子爵家の人間ではございません」

「なんだとっ……」


 父がその場に崩れ落ちる。義母はふるふると震えたまま、そしてリリーはブライアン様と言い争っている。


「何だか疲れたね。エルシー、少し休もうか」


 まだダンス一曲踊っていないというのに。

 でも、私もそれに同意する。精神的にはもう疲れ切っていたから。


 私たちはスペンサー侯爵様に挨拶し、バルコニーへと移動した。

 緩やかな夜風が頬を撫でていき、とても気持ちがいい。澱んだ空気が浄化されていくようだ。


「あの変わり身の早さといったら……いっそ清々しいくらいだ」


 清々しいなんて言いつつ、リュート様はかつての私の家族に呆れ果てていた。

 私だって同じ気持ちだ。それに、まさかブライアン様まであんなことを言うなんて。


「エルシー」


 ふと名前を呼ばれ、私はリュート様を見つめる。

 リュート様は甘やかな笑みを浮かべ、再び私の腰を抱き、自分の方へと引き寄せた。


「リュート様っ」

「彼らには呆れるけれど、感謝もしている。だって、彼らのおかげで俺はエルシーと出会えたんだから。そして、エルシーのおかげで俺は功績を上げ、報奨金に爵位、領地まで手に入れることができた」

「出会い以外は、リュート様の努力の結果では?」

「エルシーが側にいてくれたからだ」


 力強くそう言われ、心がくすぐったくなる。

 これまでこんな風に褒められたことなどなかったから。嬉しいのはもちろんだけれど、いろんな気持ちがないまぜになる。


「リュート様、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちだ」

「いいえ」


 家族と縁を切れたこと、こんな晴れやかな場に連れてきてもらえたことは、紛れもなくリュート様のおかげ。リュート様の婚約者を演じる機会を与えてもらったから──。

 ニコリと微笑むと、何故かリュート様の眉間に皺が寄る。


「リュート様?」

「エルシー、君はまだ「婚約者役」だなんて思ってる?」

「え?」


 リュート様は何を言っているのだろう?


 今日の表彰で、益々リュート様が未来の旦那様として注目されるのは確実で、婚約の申し込みがこれでもかと送られてくることは容易に予想できた。実際、今でもそうだし。

 でも、リュート様はそれを回避したかった。だから、私という令嬢避けを伴ったはずで……。


「令嬢避けのために、婚約者として一緒に出席してほしいとは確かに言ったけど。……ごめん。やっぱりエルシーには直球で言うべきだったな」

「直球? リュート様、何を……」


 私は混乱する。でも、リュート様も混乱しているようで、髪をぐしゃぐしゃとかき回す。

 あぁ、せっかく綺麗にセットされていたのに。

 そんなことを考えていると、突然リュート様が私の前に跪いた。


「あ、あの、リュート様?」


 リュート様は私を真っ直ぐと見上げ、はっきりと言葉にする。

 それは、ずっと私が欲しくて、夢見ていた言葉──。


「エルシー、俺と結婚してほしい。ずっと、いや、一生俺の側にいてほしい」

「リュート……様」


 聞き違いじゃないだろうか。夢じゃないだろうか。


 目頭が熱くなり、目の前がゆらゆらと揺れる。

 リュート様が私の手を取り、甲に口づけた。


「悪いけど、返事は「はい」しか受け付けないから」


 その笑みは、少し子どもっぽい悪戯顔。私の大好きな表情だ。


「エルシー、返事は?」


 満面の笑みを浮かべたリュート様は、私の返事など聞くまでもなくわかっている。それでも聞きたい、そう言っているのだ。

 なら、私は期待どおりの返事をするまで。


「はい。ずっと……リュート様のお側にいさせてください」


 そのまま手を引かれ、抱きしめられる。ふわりと鼻腔をくすぐるリュート様の香りにホッとしたのか、涙が頬を伝った。


「愛しているよ、エルシー。これからも、ずっと大切にするから」

「私も……愛しています。リュート様」


 そっと夜空を見上げると、たくさんの星々が煌めいていた。

 そういえば、家から放り出されて市井を彷徨っていた時も、こんな夜空だった。途方に暮れつつも、ぼんやりとそれを眺めていた時、リュート様に声をかけられたのだっけ。


『星が綺麗だね。気持ちはわかるけれど、こんな時間に女の子が一人でいちゃいけない。もし行くところがないなら、俺の家に来る?』


 あまりに軽い誘いに驚き、目を何度も瞬かせた。

 この人は善意からそう言ってくれているのだろうか、それとも悪意があって?


 それでも、私はそれに乗った。

 これが悪い人だったなら、私はどこかへ売り飛ばされていただろう。でも、私にはリュート様がそんなことをするような人には見えなかった。どうしてだか、この人は大丈夫だと確信できたのだ。

 こうして、家から追い出された私はリュート様に拾われた。


「リュート様、あなたに会えて、本当によかった……」


 愛する人に出会えて、私は今、本当に幸せだ。


読んでくださってありがとうございます。

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どうぞよろしくお願いします!

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