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仕事もらいました 5

お気に入り登録、評価などありがとうございます!

本日2回目の更新です!

「いいか、くれぐれも粗相はするなよ。お前は存外そそっかしいからな」


 と、父から特大の釘を差されて、レナは迎えの馬車に乗り込んだ。

 誕生日にベティからプレゼントされた若草色のワンピースに、アレックスからプレゼントされたレースのリボンを首に巻いている。

 赤みがかっている金髪はハーフアップにして、母の形見のルビーの髪飾りで留めた。


(ああ、ドキドキするわ……)


 氷の宰相クラウス・アデルバード公爵。

 つららのように突き刺さる冷ややかな視線、辛辣で容赦のない言葉。にこりとも笑わないその横顔は、まるで精巧につくられた石膏像のようだと噂される、冷徹無比の王弟殿下。


 今年で二十八歳になるクラウスは、恐ろしく整った美貌の持ち主でありながら、あまりの冷淡さに女性が怖がって近づかないとかで、いまだに独身だ。

 愛想のいい第三王子クラレンスと比較されることも多く、笑顔の貴公子と呼ばれるクラレンスに対して、クラウスは絶対零度の貴人と呼ばれている。


(六年前のこと、ほんのちょっとでもいいから覚えていてくれないかしら……?)


 ただ絵の作者に会いたいだけだとはわかっているが、そこに淡い期待をしてしまうのが乙女心だ。

 別にクラウスとどうこうなれるとはこれっぽっちも思っていないけれど、ちょっと、ほんのちょーっと、一秒でもいいから、甘酸っぱい何かがないだろうか。


(手も綺麗に洗ったし、いい香りのコロンもつけたし……握手でもされたら今日の手袋は額に入れて一生飾っておくわ……!)


 城が近づくにつれて、心臓の音があり得ないくらいに大きくなっていく。

 やがて馬車が城の前で止まって、馬車を降りると、昨日クレイモラン伯爵家に来た使者が待っていた。どうやら彼は、クラウスの側近らしい。


「お待ちしておりました。ご案内いたします」


 使者に案内されて、レナはクラウスの待つ彼の部屋へと向かう。

 クラウスの部屋はモノトーンに統一されていて、色味のあるものと言えば壁にかけられている風景画だけだった。


(すごく繊細な風景画ね……)


 見たままをそのまま切り取ったような絵という表現はレナも使うことがあるが、この絵は違う。実際の景色以上に、繊細で優美で美しくて、何と言えばいいのだろう、レナとは違う景色が見えている人の絵だと思った。その一方で、どうしてだろう、すごく美しいのに、すごく殺風景で、まるで宝石を見ているようだとも思ってしまう。美しいけれど触れると冷たい、そんな感じのする絵。


 使者がクラウスにレナの到着を告げて去ると、クラウスがレナにソファに座るように指示を出す。

 レナは小さな指先の震えを感じながらクラウスに向かって一礼し、言われるままにソファに腰を下ろした。


 ローテーブルの上にティーセットが運び込まれて、クラウスがレナの対面に座る。

 ひんやりとした碧眼がまっすぐにレナに注がれた。


「急に呼び出してすまなかったな」


 硬質なクラウスの声に、レナの心臓がどきどきと高鳴る。六年前と変わらない声。彼の様子を見る限りレナのことは覚えていないようだがそれでもいい。再びこうして間近で会えただけで幸せだ。


「美術館に展示されている空の絵を描いたのは君だろう?」

「は、はい……」


 緊張から声が上ずってしまう。

 レナがこくこくと小刻みに頷くと、クラウスは腕を組んだ。


「君のことは少し調べさせてもらった。不躾ですまないが、何故美術館のコンテストに応募したのだろうか。君の年齢の貴族女性の多くは結婚し子育てをしているころだろう。しかし君はまだ独身だ。婚約者もいないようだな。まさか、伯爵令嬢が本気で画家を目指しているのか?」


 クラウスの疑問は至極当然だった。貴族女性は家のために結婚するのが仕事だ。もちろん、貴族男性も家を存続するために結婚するが、適齢期は貴族女性の方が短い。レナはそれで言うと嫁ぎ遅れの年齢にあたる。


 クレイモラン伯爵家はお金持ちではないけれど、伯爵家の令嬢ならば選り好みをしなければすぐに嫁ぎ先が見つかるだろう。それもせず、お前は何を遊んでいるのだと思われたって仕方がない。


(調べたってことは、下手なごまかしは通用しないわよね)


 それに、別に隠しておきたい事実でもない。

 レナはまっすぐにクラウスの瞳を見返した。


「お調べになっているのならばご存じでしょうが、わたしは一度婚約破棄をされた身です。そんな女に良縁は望めないでしょう。わたしには年の離れた弟がいて、母もいないので、無理をして結婚するよりも、母代わりとして弟の側にいてあげようと思いました。そして弟が家督を継いだ時には、迷惑にならないように家を出て行くつもりです。そのための準備の一環でコンテストに応募しました。わたしは不器用な方なので、絵を描く以外、何の取り柄もありませんから」

「……そうか。失礼なことを聞いてすまなかった」


 レナが真面目に答えると思っていなかったのかどうなのか、クラウスが少々バツが悪そうな顔で謝罪した。


「お気になさらず。この年で結婚していない伯爵令嬢は珍しいでしょうから」

「いや、そう言う意味では……」


 クラウスは眉間をもんで、ふぅ、と息を吐く。


「実は君を呼んだのは弟が君に会いたがったからなんだ。しかし弟はまだ幼く、そして感受性が豊かだ。下手な人間を弟に近づけるわけにもいかなかったため、君のことが知りたかっただけなんだ。決して未婚であることを馬鹿にしているわけではない」

「そうだったんですか」


 年の離れた、と言うことは末の王子のリシャールだろう。クラウスがレナの絵に興味を持ったわけではなかったのだ。それは残念だったが、こうして会えただけで充分である。


「それで、すまないが、弟に会ってやってくれないだろうか。君の絵をすごく気に入っていて、できれば君に会わせてやりたい」

「それは、はい、もちろん……」

「よかった。では、さっそくで悪いんだがついて来てくれ。私もあまり時間が取れなくてな」


 宰相の立場にいるクラウスは多忙だろう。それなのに、弟の希望を叶えるためにわざわざ時間を割いたのだ。


(六年前も思ったけど……優しい方ね)


 にこりとも笑わないし、辛辣な性格をしているそうだけれど、クラウスは本当はとても優しい人だ。そうでなければ、六年前に婚約破棄を突きつけられていたどこの誰とも知らない女を、わざわざ助けたりはしないだろう。

 クラウスのあとについて少し離れた場所にある部屋に向かうと、彼はこんこんと扉を叩く。しかし中から返事はなく、クラウスはやれやれと肩をすくめた。


「リシャール、入るぞ」


 返事もないのにクラウスが勝手に扉を開けると、肩までの銀色の髪の驚くほど綺麗な少年が、一心不乱にキャンバスに向かって筆を走らせていた。


(この方がリシャール殿下……)


 滅多に外に顔を出さないため、貴族でもリシャールの顔を知っている人は少ないという。

 クラウスと似た顔立ちだったが、クラウスよりも繊細で、まるでガラス細工でも見ているような気持になる。


「かけてくれ。リシャールはああなると周りの様子が見えなくなってね。……エルビスもいないようだ」


 クラウスが部屋の中を見渡してはあ、と嘆息した。

 レナが言われるままにソファに腰かけると、なんと、クラウスがレナの隣に座る。


(ち、近い……!)


 まさかとなりに来るとは思わず、レナはびくりと肩を揺らしてピンと姿勢を正した。それに気づいたクラウスが「ああ」とわずかに眉尻を下げた。


「すまない。私はどうも女性を怖がらせるようで、嫌ならば離れるが……」

「い、いえ! 嫌なんてそんな! ちょっとびっくりしただけです!」


 むしろこのままでいてほしい。少しくらい甘酸っぱい思い出があればいいなと期待したけれど、本当にいい思い出になりそうだ。


「そうか。では悪いんだが、リシャールがこちらに気づくまで少し待っていてくれないか。いつもはエルビス……ああ、リシャールの側近なんだが、彼がいるから、切りがよさそうなところでうまく注意を引いてくれるんだが、今はどこかへ出かけているようだからな、どれだけ待たされるか読めそうもない……」


 リシャールは絵を描きはじめると周りの音が聞こえなくなるタイプらしい。


(その感覚は少しわかるわ。まあ、わたしの場合、リシャール殿下ほどの集中力はないんだけど……)


 目の前のキャンバスと、描きたいものしか目に入らなくなるのだ。それ以外の邪魔なものはすべて遮断される。レナも、何かが降りてきたと感じるほど集中しているときはそうなることがある。


「弟は絵も音楽もたしなむのだが、特に絵が好きでね。ああして一日中キャンバスの前にいることも珍しくない」

「クラウス殿下も絵や音楽を?」

「私か? いや、私はそちらの方面はからきしでね。見たり聞いたりするのは好きだが、自慢できるような腕前ではない。兄も弟もそうなんだが、リシャールは芸術の神に愛されたのかな、昔からああいったことが得意なんだ」

「わかるような気がします。……リシャール殿下は、とても楽しそう」

「楽しそう?」

「はい。筆の運び方が、何かに駆られているようなと言いますか……次に次にと急いでいるようで、きっと自分の頭の中にある想像を早く形にしたくて仕方がないんだと思います」

「……そんな風に思ったことはなかったな。あの子はその……あまり笑わないから」


 表情に出ないから喜怒哀楽がわかりにくいのだとクラウスは言う。

 確かに表情に出なければわかりにくいかもしれないが、絵を描いているリシャールは間違いなく楽しんでいるとレナにはわかった。


「楽しいのか……。そうか、よかった……」


 クラウスがリシャールに視線を移して、小さく口端を持ち上げる。


(笑った!)


 リシャールが笑わないというが、クラウスだって笑わない。少なくとも笑わないから氷の宰相という異名がついているのだ。しかし今目の前で、確かにクラウスが笑った。


(嘘‼ 笑った……! どうしましょう、は、鼻血出そう……!)


 なんて貴重な姿を拝見できたのだろう。レナは思わず両手を合わせて拝みたくなった。


「楽しいのならそれでいいんだ。それが知れただけでも、君を呼んだ甲斐があるな」

「そんな……」


 レナの顔に熱が集中した。クラウスはそんなつもりはなかったのかもしれないが、クラウスに必要とされたようで、嬉しくて恥ずかしくてどうしようもなく気分が高揚する。

 クラウスと二人でリシャールを眺めていると、控えめに扉が叩かれて、彼の側近が顔を出した。


「閣下、そろそろ会議のお時間ですが」

「もうそんな時間か……。わかった、すぐに行く」


 クラウスは僅かに眉を寄せて、もう一度リシャールに視線を向けると、仕方がなさそうに立ち上がった。


「すまないが、ここで少し待っていてくれないか。会議が終わればすぐに戻ってくる。もし何かあれば、私の客だと言ってくれてかまわない。リシャールには君が来ることを告げていないが、名前を言えばきっとすぐに状況を理解するはずだ。賢い子だからな」

「は、はい」


 クラウスは何かあればすぐに対応できるようにと、側近へ部屋の外で待機しているように告げて、足早に部屋を出て行った。

 部屋に一人残されたレナは、絵に夢中になっているリシャールに視線を向けて、柔らかく双眸を細める。


(ふふ、ちっちゃいクラウス様を見ているみたい。かわいいなあ……)



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