冷徹王弟の告白 2
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翌朝目を覚ましたレナは、鏡に映った自分の顔を見てはーっと息を吐きだした。
昨夜、泣きながら眠ってしまったせいで目が腫れてしまっている。
(クラウス様がわたしに興味がないことくらいわかっていたはずなのに、どうして泣いたりしたのかしら……)
突然泣き出して、叫んでパーティー会場から逃げ出して、きっとクラウスを困らせてしまっただろう。
(はあ……。次にお城で会ったときに、どんな顔をすればいいのかしら……)
二十二歳にもなって、あんなことで泣くなんて。
顔を洗えば少しは目の腫れも落ち着くだろうかと、レナはバスルームで念入りに顔を洗う。
(多少はましになった気もするけど、やっぱりまだ腫れているわね。ま、もともと美人でもないし、人から見たらそれほど変わらないと思うけど)
それでも敏いリシャールは気づいてしまうだろうから、今日がお城に行く日でなくてよかったと思う。
レナはクローゼットから自分でも着られるワンピースを出して着替えると、朝食を食べるために階下へ降りた。
「おはよう、姉上」
すでにダイニングにはアレックスがいたが、レナを見て怪訝がらないところを見るに、目の腫れには気づいていないようだ。
「お父様は?」
「昨日夜遅くまで伯母上につき合わされて、まだ寝てるよ。相当飲んでいたみたいだし、今日はきっと二日酔いだね」
「そう。じゃあ、今日は静かにしていてあげた方がよさそうね」
レナは二日酔いになったことがないが、父によると二日酔いになると頭が痛くなるらしい。小さな音でもガンガンと響くらしいから、うるさくしては可哀そうだ。
「美術館にでも行ってこようかしら?」
「それがいいんじゃない? 僕は家庭教師が来るから家にいるし、たまには遊びに行って来れば?」
「そうね。何かお土産を買って帰るわ。何がいい?」
「甘いものがいい」
「わかったわ。美味しそうなものを探してくるわね」
父はおそらく降りてこないだろうから、弟と二人で朝食を取ったあと、レナはキャサリンに手伝ってもらって出かける準備を整えた。
馬車を出すかと訊かれたが、なんとなく歩きたい気分だったので、美術館まで歩いて行くことにする。
一時間ほど歩いて美術館にたどり着くと、館内に入って、レナはほーっと息を吐きだした。
(歩くのは失敗だったわ……)
朝晩はまだ涼しいが、晩春ともなれば日中は暑い。一時間も歩けばすっかり体がほてっていた。美術館のひんやりとした空気が気持ちいい。
入館料を払って中に入ると、涼みたかったのもあって、レナはいつもよりもゆっくり絵を見て回ることにした。
館内の案内を見ると、レナが佳作入賞した例のコンテストが終わってしばらくたったのに、その絵はまだ場所を変えて展示されているという。場所的に美術館の出口に近いので、あとで見に行こうと決めて、レナは何度も見に来た絵をじっくりと眺めていく。不思議と、同じ絵なのに、新しい発見があったりするのだ。
(リシャール殿下とも来ようねって約束したけど、まだ果たせていないわね。今度改めて誘って見ましょう)
リシャールが外出するとなるとクラウスもついてくるから、その前にクラウスに昨夜のことを謝らないといけないのだが。
(謝ったら許してくれるかしら……)
許してくれなかったらどうしようとふと憂鬱になって、レナははあと重たいため息をつく。
(考えてみたら、わたし、本当に失礼よね。昨日だってデミアンから助けてくれたし、すごく好条件で雇ってもらっているのに、感情的になって、ばか、なんて言っちゃって……)
クラウスはきっと怒っているだろう。美術館に来る前に謝罪の手紙を書いて届けてもらった方がよかっただろうか。いやしかし、謝罪するのに手紙と言うのも失礼な気がする。やっぱり直接会って謝った方がいいだろう。
(泣き出した理由を訊ねられたらどうしよう。クラウス様が好きだからショックだった、なんて言えるはずがないし。でも、あのままだったら、リシャール殿下との婚約が嫌で泣いたみたいに思われるわよね。それってリシャール殿下にも失礼だわ)
考えれば考えるほど、なんてことをしてしまったのだろう。
自己嫌悪に陥りながら、レナはコンテストの作品が飾られているコーナーへ足を向ける。
そして、思わず足を止めた。
(え……?)
ドキリと心臓が跳ねる。
レナの描いた空の絵の前に、一人の男性が立っていた。
背が高くて、背中ほどの長さの銀色の髪を一つに束ねている。
(クラウス様? ……まさかね)
同じ銀色の髪をしている、たまたま背格好の似た男性だろう。そのはずだ。
そう思うのに、どうしてか確かめずにはいられなくて、レナはそっとその男性に近づいた。
レナの足音に気づいてか、その男性がゆっくりと振り返る。
「……クラウス様?」
まさか、信じられないことに本人だった。
レナは驚いたが、それはクラウスもだったようで、言葉をなくしたように立ち尽くす。
「レナ……どうして君が?」
クラウスの碧い色の瞳が、動揺しているように揺れていた。
「わたしは……絵を、見に来て……」
レナの声も震える。
美術館に絵を見に来たなんてそんな当たり前な受け答えがあるかと自分でもあきれたが、そこから先は何も言えなかった。
(どうしよう……昨日のこと、謝らなきゃ……)
謝罪しなければと思うのに、声が出ない。
気まずい空気が落ちて、互いの間に沈黙が流れる。
どのくらいそうしていただろうか、クラウスがわざとらしく咳ばらいをした。
「館内のカフェに行かないか。いつまでもここにいては、人の邪魔になるだろうし……ちょうど、喉が渇いていて……」
「は、はい……」
美術館の二階には、休憩用のカフェが作られている。絵を見たあとにカフェで休憩する人は少ないので、いつも空席ばかりが目立つ静かなところだ。
クラウスとともに二階に上がり、いつも通り人気のないカフェの窓際の席に座る。クラウスが紅茶を二つと、レナのためにショコラケーキを頼んでくれた。
紅茶とケーキが運ばれてきて、レナもクラウスも無言のまま口をつける。カフェに来たはいいがやはり会話が弾むわけでもなく、レナも、どうやって謝罪を切り出したらいいのかがわからない。
(どうしよう……)
沈黙を切り裂く勇気が持てず、ショコラケーキをちまちま食べながら何か話のきっかけがないかと探していると、紅茶でのどを潤していたクラウスが、唐突に頭を下げた。
「昨日はすまなかった」
「……え?」
レナはぱちぱちと目をしばたたく。
何故クラウスが謝るのだろう。失礼なことをしたのはレナの方だ。
「正直に言うと、まだ、私の何が君を泣かせてしまったのか理由はわからないんだ。だが、私のせいだということはわかる。それに……昨夜、あんなことを言うべきではなかった」
ああなるほど――、とレナは合点した。
(クラウス様は優しいから、わたしが泣いたことに責任を感じているんだわ……)
それこそ、気にする必要はないのに。
レナが勝手に傷ついて、勝手に泣いて、そして無礼にも彼に対して「馬鹿」などと吐き捨てた。どこにもクラウスの落ち度はなく、むしろ全面的にレナが悪い。
「私は無神経だから、言葉も選ばず発言してよく女性を泣かせてしまうんだ。本当に申し訳ない。昨日私が言ったことは、都合のいい話かもしれないが、忘れてくれ」
(……たぶんだけど、女性が泣くのはクラウス様のせいではないと思うわ)
何となく、これまでにクラウスの前で泣いたという女性は、レナと同じ気がする。
希望もないのに勝手に期待して、勝手に恋焦がれて、そしてそれが叶わない現実なのだと突きつけられて泣いてしまう。
本当はとても優しいクラウスは、そのすべてに責任を感じてしまっているのかもしれないが、違うのだ。彼のせいではない。
確かに彼は、女性たちの――レナの、恋心にはちっとも気づかなかったのかもしれない。だからと言って、それを責めるのはおかしな話だ。何も言わないのに気付いてほしいなど、傲慢にもほどがある。
「クラウス様は何も悪くありません。……失礼な態度を取ったのはわたしです。本当に、申し訳ありませんでした」
「いや、君は悪くない。君が泣くなんてよっぽどのことだ。私のせいだ」
クラウスはテーブルの上に置かれているティーポットからカップに紅茶を注ぐと、砂糖を一つ入れた。そしてまた一つ。もう二つ。またまた一つ。さらに一つ。
それを何気なく見ていたレナは、ハッとして彼の手を押さえた。
「クラウス様、さすがに入れすぎです」
合計六つの角砂糖を入れたクラウスは、どうやら自分が砂糖を入れていたことに気づいていなかったようで、ティーカップの底に溶け残っている砂糖を見て何とも言えない顔をする。
(今日はいったいどうしたのかしら?)
なんだかクラウスの様子がいつもと違う気がする。ちょっと落ち着きがなくて、そして緊張しているようにも見える。
クラウスはいくら混ぜても多分全部は溶けないだろうに、ティーカップをくるくるとスプーンでかき混ぜだ。
「その…………昨日、リシャールに言われて気が付いたんだ」
「まあ、お仕事ですか? ……すみません、紅茶のお代わりを」
砂糖の味しかしない紅茶をクラウスに飲ませるのは可哀そうで、レナは店員を呼んで新しい紅茶を注文した。
「い、いや、仕事ではなく……」
「クラウス様、それは甘すぎるから飲まないほうが――」
「…………甘い」
(でしょうね)
砂糖が解け残るほど入っている紅茶に、何故口をつけた。
レナはそっとクラウスの前から大量に砂糖の入ったティーカップを遠ざけて、店員が運んできた新しいティーカップを彼の前に置いた。砂糖を一つだけ入れてかき混ぜる。そして、念のため砂糖の入った容器はレナの手元まで回収した。今日のクラウスは様子がおかしいので、また同じことをしでかしそうだと思ったからだ。
(変なクラウス様……)
クラウスはどうやらレナに対して怒ってはいないようだ。しかし、彼が挙動不審すぎて、レナは素直に安堵できなかった。
クラウスは新しく置かれたティーカップを、じーっと穴があくほど見つめている。
「あ、あの……クラウス様……?」
「……だから、リシャールに言われて……」
「は、はい。リシャール様ですね」
クラウスにとってリシャールはこの上なく大切な存在だ。きっとリシャールとの間に何かあったのだ。そうでなければ、目の前のクラウスの様子は説明がつかない。
「リシャールが……」
「は、はい。もしかして喧嘩ですか? 心配しなくても、兄弟喧嘩は普通ですよ。わたしも弟と喧嘩したりしますし――」
「リシャールが言うことは……正しい」
「はあ……」
(するとつまり、今回の喧嘩で悪いのはクラウス様だったのかしら?)
だったら一言謝ればすむ問題だと思うのだが、よほど深刻な喧嘩なのかもしれない。
もしクラウスがリシャールに謝りたくて謝る勇気が持てないなら一緒についていってあげようかと思ったとき、ふとクラウスが顔をあげた。
真面目な色をした碧眼が、じっとレナを見つめる。そして――
「どうやら、私は君が好きらしい」
「……………………え?」







