冷徹王弟の告白 1
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「ひどいです! クラウス様の、ばか‼」
そう叫んで駆けだしたレナを、クラウスは追いかけることができなかった。
クラウスは言葉がきついところがあるので、女性を泣かせたことは今までにもあったけれど、レナの涙を見た途端、足が凍り付いたように動かなくなってしまったからだ。
怪我をしたわけでもないのに、胸の奥がじくじくと痛い。
途方に暮れて立ち尽くしていたクラウスは、しばらくすると、とぼとぼと歩き出した。
(何が悪かったんだ……)
やはり、突然すぎたのだろうか。
リシャールはもちろんだが、クラウスはレナにも幸せになってほしいと思っている。
彼女は素晴らしい女性だ。優しくて、懐が深くて、笑顔が可愛くて――あんな女性はなかなかいない。
彼女にならばリシャールを任せられる。同時に、リシャールにならば、彼女を幸せにできると思った。リシャールはクラウスのように人当たりがきつくないし、ずっと優れているから、きっと十年後は素晴らしい男に成長していることだろう。
リシャールは大人びたところがあるから、レナもそのうち、年の差なんて気にならなくなるに違いない。
クラウスが思いつく限り、あの二人は最高の組み合わせなのだ。
とぼとぼ歩いているうちにパーティー会場の外に出て、いつの間にか廊下を歩いていた。自然と足が向くのはリシャールの部屋だ。
クラウスは何故レナが泣いたのかがわからなかったが、聡明な弟ならばその理由がわかるかもしれない。
リシャールの部屋の扉を叩くと、すぐにエルビスが顔を出した。パーティーにいるはずのクラウスがやってきたことに目を丸くして、部屋の中に入れてくれる。
「兄上?」
リシャールは寝室にいると言われたので、続き部屋の寝室へ向かうと、夜着姿のリシャールがベッドの上で本を読んでいた。
「どうしたの? まだパーティーの時間でしょ? レナは?」
「それが……」
「何かあったの?」
クラウスの様子から何かあったらしいと察したリシャールが、本にしおりを挟んで閉じると枕の横に置く。
クラウスがベッドの縁に腰を掛けて、ぽつぽつと事の顛末を語ると、リシャールがあきれ顔になった。
「そんなことを言ったの? っていうか、そんなことを考えていたの? レナと僕は十二歳も年が離れてるんだよ? どこの世界に二十二歳の女性に十歳の子供を婚約者としてあてがおうとする人がいるんだよ。迷惑以外の何でもないよ」
「だ、だが、お前もレナに懐いているじゃないか」
「その理由で誰彼かまわず婚約させていけば、人は犬や猫とも婚約することになるね。兄上って賢いのに、どうしてたまに信じられないくらい馬鹿なことをするんだろう」
十八歳も年が離れている弟から馬鹿と言われて、さすがにクラウスは傷ついた。
「だいたい、その話を持って行った相手が最悪だね。よりにもよって兄上から言われたなんて、レナは相当ショックだったと思うよ。デリカシーなさすぎ」
「な、何故だ」
「何故かどうかは僕の口からは言えないし、むしろどうして気づかないんだろうって不思議で仕方がないけど、まあいいや。じゃあさ、逆に訊くけど、兄上はどうしてレナと僕を婚約させようと思ったの? 少なくとも兄上は、僕に対しておかしな女性をあてがうつもりはなかったでしょう? つまり兄上の中で、レナは何かしらの基準をクリアしたってことになるんだろうけど、その基準が何だったのか、ぜひ聞かせてほしいね」
「…………」
これではどちらが兄かわかったものではない。
寝室の外まで話し声が聞こえていたのか、長くなることを見越してエルビスがハーブティーを二つ持って来た。
(カモミールか。そう言えばリシャールは寝る前によくこれを飲んでいるな)
柔らかい香りを吸い込むと、少し心が落ち着いてくる。思っていた以上に、レナの涙を見て、クラウスは動揺していたらしい。
「レナは……お前と趣味があうだろう?」
「それから?」
「気が利くし、優しい」
「ほかには?」
「明るいし、よく笑うし……とびきりの美人ではないが笑顔が可愛いだろう?」
「具体的に?」
「お前と絵の話をしているときとか、よく笑っている。公園に行ったときも楽しそうだったし、絵を描いているときもたいてい笑顔だな。それから……」
「兄上」
リシャールは途中でクラウスの言葉を遮った。
「そこまで言っていて気づかないの?」
「何がだ?」
「僕と婚約させたいって言いながらさ、その基準は全部兄上の基準なんだよ」
「もちろんだ。だからお前に……」
「兄上が好きだと思った女性をあてがおうとした」
「――――――」
「気づいてよ。子供じゃないんだから。レナの笑顔とか性格とか、仕草とか、ずっと見ていないと気づかないよ。絵を描いているときにレナが笑っていたなんて、僕も知らなかった。別にさ、絵を描いているときに笑っていようがいまいが、関係なくない? それは婚約者に選ぶ基準じゃないよね? それは、兄上が好ましいと思ったレナの表情だ」
クラウスは愕然とした。
リシャールがカモミールティーをゆっくりと飲み干して、これ見よがしなため息をつく。
「レナのことが女性として好きなのは僕じゃない。兄上だ」
「…………それは……」
「無自覚だったのかもしれないけど、面倒ごとを避けたがる兄上が、あっさりレナをパートナーにしたこともおかしいんだよ。普通なら、しつこいくらいに調べるじゃないか。レナのことは多少知っているとはいえ、長い付き合いじゃない。それなのに僕の提案を飲んで、あっさり今日のパートナーにするなんて、普段の兄上ならあり得ない。いい大人なんだから、自分の感情くらい自分で分析してよ」
「……だが…………」
「まだ否定要素がある?」
クラウスは一度口をつぐんで、カモミールティーに映り込む自分の顔を見下ろした。
「たとえそうだとしても……」
「たとえじゃなくて、そうなんだよ」
「そ、そうかもしれないが……その、私は女性に人気がない」
女性相手でも容赦のないクラウスは、女性を怖がらせてばかりだ。こんな男に好かれても、レナが困るだけだろう。
「女性に人気がないのと、レナから好かれないのは別物だよ。というか、それだけレナのことをよく見ているのに、どうしてもう一つ重要な点を見落とすんだろうね」
「重要な点? なんだそれは?」
「教えないよ。教えたらレナに怒られそうだから」
リシャールはからになったティーカップをベッドサイドに置くと、ベッドに横になった。
「あとは自分で考えなよ。僕はもう寝る」
「リシャール……」
リシャールはクラウスを見上げて、仕方がなさそうな顔をして小さく笑った。
「兄上が僕のことを大切にしてくれているのは知ってる。でもさ、そろそろ自分の幸せも考えるべきじゃないかな。少なくとも僕は、僕のせいで兄上が自分の幸せから目を背けるのは嫌だよ」
「…………」
「おやすみ、兄上」
リシャールがそう言って目を閉じると、クラウスはのろのろと立ち上がった。
エルビスにティーカップを返して部屋を出る。
とぼとぼと廊下を歩いて、自室の近くまで来たとき、ふと足を止めた。
廊下の窓から爪痕のような細い月が見える。
(泣かせたかったわけじゃない……)
心の底から、レナにはリシャールがいいと思った。それは本当だ。クラウスが大好きで大切な二人だから、幸せになってほしいと思った。そこに自分がいなくても、あの二人が幸せならそれでいいと思っていたのに。
(まさか十歳の弟に諭されるなんてな……)
無自覚だったのは間違いない。
しかし自覚してしまうとどうしてか、欲が出る。
(私なんかに好かれて、迷惑ではないだろうか)
ほしいと思った。
リシャールの相手にではなく、自分に。
そんな自分に戸惑って、感情のままに行動していいのかどうかわからなくなる。
(いい年して、何をうじうじと悩んでいるんだろうな……)
クラウスは自嘲して、再びゆっくりと歩き出した。







