婚約パーティーの夜 4
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クラウスから贈られたドレス一式に着替えて待っていると、城からの馬車がやって来た。
てっきりいつものようにクラウスの側近が使者としてやってきたと思っていたレナは、馬車から降りてきた人物に目を丸くする。
「クラウス様?」
降りてきたのは、ライトグレーのジャケットとズボン姿のクラウスだった。いつもきっちり一つにまとめてある銀髪は、今日はほどかれて背中に流されている。
いつもと違う姿に心臓がぎゅっと押しつぶされたようになって、レナは胸が苦しくなった。
クラウスは玄関まで出てきたレナの格好を見て、僅かに口端を持ち上げる。
「ああ、よく似合っている」
クラウスの視線が首元に注がれたのを見て、レナはそっと彼から贈られたペンダントに指先を触れた。
イヤリングとセットのこのペンダントは、小さな鳥のモチーフのものだった。すごく可愛いのだ。
「こんな素敵なものを贈ってくださり、ありがとうございます」
「いや、こちらが無理を言ったのだから気にするな。お父上に挨拶をした方が?」
「い、いえ! ……そんなことをすれば、たぶん、ひっくり返りますから……」
「は?」
「なんでもありません。父は、無視していただいて大丈夫です」
「そうか?」
クラウスは不思議そうな顔をしたが、レナがそう言うならと片手を差し出した。
「では、行こうか」
一瞬、差し出された手の意味が解らず、馬車に乗るために手を貸してくれているのだと気づいて真っ赤になる。
(ハンカチ、ハンカチ!)
グローブをつけてはいるが手を拭くべきだとレナは慌ててドレスのポケットを探したが、いつも着ているワンピースと違い、このドレスにポケットはない。あわあわしていると、クラウスが首をひねりながらレナの手をつかんだ。
(ひ!)
「何をしているのか知らんが、急がないと遅れるぞ。ほら」
つながれてしまったからもう遅い。レナは手を拭くことを諦めて、クラウスにエスコートされて馬車に乗り込んだ。
以前にもクラウスと二人で馬車に乗ったことはあるのに、今日はその比ではないくらいにドキドキする。
「きょ、今日はリシャール様は出席されないんですよね」
沈黙していると心臓の大きな音が聞かれそうな気がして、レナは声を上ずらせながらクラウスに話しかけた。
「ああ。成人していない王族には出席義務はないからな。リシャールは兄上が苦手だから、まあ、顔は出さないだろう」
「え……?」
クラウスが兄と呼ぶ人物はジョージル三世その人しかいない。
「あ、いや……」
つい口を滑らせてしまったのか、クラウスが「しまった」と言わんばかりに眉を寄せた。そして、諦めたように息をつく。
「今のは内緒にしていてくれ。外部に漏れると、さすがに体裁が悪い」
「それは、もちろんですけど……」
レナはふと、リシャールの部屋に王妃が乗り込んできたときのことを思い出した。王妃相手にはそれなりに毅然とした態度を取っていたリシャールは、その後、ジョージル三世が登場した瞬間に様子が変わった。
(そう言えば、緊張しているみたいだったわ……)
ぎゅっと拳を握りしめて、何かに耐えているようにも見えた。年の離れた兄を相手にしているから緊張しているのかとも思ったが、考えてみれば、ジョージル三世と一歳しか違わないクラウスを相手にしているときとまったく様子が違ったのだ。
(苦手だったからなのね……。気になるけど……わたしが首を突っ込んでいい問題ではないわよね……)
そんなことを考えていると、レナの横顔をじっと見つめていたクラウスが、小さな声で訊ねてきた。
「気になるか?」
「え?」
「気になるなら……君になら教えてもいい」
クラウスが何故レナにならいいと思ったのかはわからなかったが、レナがぎこちなく頷くと、クラウスは僅かに目を伏せて口を開いた。
「君も気づいているかもしれないが、リシャールはとても利発な子だ。昔から物覚えもよく、子供のくせに自分の感情をコントロールすることに長けていて……何というか、兄弟の中で一番、そして圧倒的にあの子は優秀だった。それに気づいた父――前王は、リシャールが幼い時に、リシャールを次の王にしたいと言い出した。すでに王太子の地位にいた兄はそれを聞いて焦り、リシャールにつらく当たるようになった。私も弟も、まだ物心がついたばかりのような弟を捕まえて、次の王はリシャールだと言った父に戸惑って、どうしていいのかもわからず、そして兄と弟の間に確実に刻まれて行く溝にも気づくことすらできずに、ただ傍観した。父は一度決めたら後に引かないような性格なので、私たちが何を言ったところで変わらないとそう思っていたからだ」
クラウスはまるで昔を思い出すかのように、馬車の窓に移った自分の影に視線を向ける。
「気づいた時は遅かった。リシャールは自分の存在が家族を壊したと感じたのか、自分の殻に閉じこもるようになった。同時に、幼い身で父を説得し、自分は王にならないと宣言した。言ったところですでに疑心暗鬼に捕らわれていた兄には通じなかったが、その後父が退位し、兄に玉座を譲ったおかげか、兄も冷静になれたようだった。しかしそのころにはすでにリシャールの心は兄から……そして私たちから離れていた。あの子は多分、私たちのことを家族だとは思っていない。どこか一歩引いて、他人のような目で私たちを見る。そうすることが私たちのためになると思っている。それに気づいた私と弟は、なんとかしてリシャールの心を取り戻そうとしたけれど、たぶん、それに気づいたあの子が私たちに気を遣っているだけで、心を開いてはくれていないのだと思う。兄に至っては、負い目があるのか、リシャールにはあまり会いに行こうとしない。リシャールも兄を苦手としているからできるだけ関わらないようにしている。君は以前、リシャールが庭に下りたがらないと言ったが、それは、あの子が兄の目に触れることを恐れているからだ。兄はよく、気分転換に庭を散歩しているからな」
(そんなことが……)
リシャールとクラウスの間にある、少し他人行儀な空気。ずっと気になっていたその正体がわかって、レナは息を呑んだ。
「……だから、君のことが少し羨ましいんだ。私や弟は、リシャールを笑顔にしようと必死なのに、君はあっさりあの子の笑顔を引き出してしまう。私なんかより、君の方がよっぽど、リシャールと姉弟に見えるよ」
「そんなことは……」
「あるんだ。だから私は君を雇った。君がリシャールにいい影響を与えると、そう確信したから」
だから急にレナを雇いたいと言い出したのか。絵の教師と言いながらリシャールに教えられるほどの技量のないレナはいる意味がないと思ったが、そういうことなら納得だ。
「私はいつもうまくいかない。あの子に心を開いてほしいのに……、近頃は、もしかしたら永遠に無理なのではないかとも思ってしまう」
クラウスはあまり表情を変える人ではないから、その横顔はいつもと同じように見えるけれど、どうしてだろう、レナには彼が泣いているように映った。
レナは咄嗟に、彼の手を握った。
「大丈夫ですよ。リシャール殿下は、クラウス様のことが絶対好きですから」
「気休めは……」
「気休めじゃないです。だって、リシャール殿下が言いましたもん。クラウス様は鳥とか花とか、可愛らしいものが好きなんだって。だから鳥の絵を描こうって。好きでなければ、その人が何を好きかなんて、わかるはずがないじゃないですか」
クラウスが驚いたように、碧眼を丸く見開く。
レナはにこりと笑った。
「ね? だから、きっと大丈夫です」
クラウスは泣くのを我慢するかのようにぎゅっと眉を寄せて、それからぽつりと言った。
「……ありがとう、レナ」







