婚約パーティーの夜 2
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午後になって城へ向かうと、ちょうど絵を描き終えたリシャールからお茶に誘われた。お茶を飲みながら、次の題材を何にするか決めるようだ。
「そう言えば、リシャール殿下は、人物画は描かないんですか?」
リシャールの部屋にあるどの絵にも、人が描かれたものはなく、レナがふと不思議に思って訊ねると、リシャールは紅茶に砂糖を一つ落としながら頷いた。
「うん。人物画は……なんていうのかな、描いているとその人が心で考えていることが読めるような変な気がして、あんまり描きたくないんだよね」
「考えていること?」
「うん。気のせいかもしれないけど。……ただ、僕は絵を描いているときには綺麗なものしか見えなくて、どうしても、人を描こうとすると視界が歪んじゃうんだよね」
「そういうものですか?」
その感覚はレナにはわからなかったが、リシャールにしかわからない何かがあるのだろう。
「もしかしたら、リシャール殿下が描きたい人がまだ現れていないだけかもしれませんね」
「描きたい人?」
「はい。描きたい人が現れると、きっと筆が進みますよ」
「そうだといいけど」
リシャールは笑って、ティーカップに口をつける。
(殿下はもしかしたら、人の内側にある何かを直感で感じ取ってしまうのかもしれないわね)
人の感情と言うものは複雑で、それは決して綺麗なものだけではない。リシャールはそう言ったものに敏感なタイプなのかもしれなくて、だから人をじっと見つめて絵を描くことが苦手なのかもしれない。
(なんとなく繊細な方だとは思っていたけど、人の心の機微をよく見ている人なのね)
クラウスがリシャールを気にするのもわかる気がする。繊細すぎると、生きにくいものだ。クラウスはリシャールの繊細な心を守りたくて一生懸命なのだろう。だが、リシャールもそんなクラウスの心にも気づいていて、先回りして気を遣っているのだ。
(これではきっと、堂々巡りでしょうね)
かといって、これはレナではどうすることもできない問題だ。レナは図太い方なので、もう少し肩の力を抜いて生きていけばいいのにと思うけれど、繊細な人にそんなことを言ったところで困らせるだけだ。
「ところで、あの絵はどうするの?」
あの絵、と言われて、レナはリシャールの部屋の隅に立てかけてある青い鳥の絵を振り返った。クラウスが取り返してきた後、追加で少し修正を入れて完成した絵は、まだクラウスに渡せず置いたままだ。
「取り返してきた本人へのプレゼントです、なんて言えないもんね」
「そうですね……」
渡されたクラウスも困るだろう。
「邪魔になるでしょうから、家に持って帰ろうと思います。持って帰ったところで、部屋の隅に置いておくだけになりそうですけど……」
「そう? それなら、よかったら僕にくれない?」
「あの絵ですか? それはかまいませんが……」
「じゃあ、もらうね。ありがとう!」
リシャールの笑顔にレナがつられて笑い返していると、仕事の休憩時間になったのか、クラウスが部屋にやって来た。
クラウスの顔を見た途端に心臓が跳ねて、レナは赤くなった顔に気づかれないようにティーカップに口をつけるふりをして俯く。
「兄上、どうしたの? 何か困りごとでもあったの?」
レナにはクラウスはいつも通りに見えたが、リシャールの目には違ったようだ。
言い当てられて、クラウスが少々バツの悪そうな顔になる。
「いや……もうすぐジョルジュのパーティーだなと思っただけだ」
「婚約パーティーだね」
「どうせお前は欠席だろう?」
「僕は子供だから」
「……その言い訳は、成人した後は使えなくなるから覚悟しておけよ」
はあ、とクラウスが嘆息して、当たり前のような顔をしてレナの隣に腰を下ろす。
レナの体温が急上昇して、ティーカップを持つ手が微かに震えた。
リシャールはレナにちらりと視線を向けて、微苦笑を浮かべた。
「じゃあ兄上の悩みは、パーティーのパートナー女性の問題かな」
「その通りだが、毎回毎回、どうしてわかるんだ?」
「それは、兄上が毎回毎回同じ悩みを抱えているからだよ」
何当たり前なことを言っているの? とあきれ顔をして、リシャールがテーブルの上のクッキーに手を伸ばした。
「パートナー女性を選ぶたびに騒動が起きるからね。……主にその女性が起こすんだけど」
「騒動?」
気になって顔を上げると、クラウスとばっちり目が合って、レナは慌てて視線を落とす。
クラウスは挙動不審なレナの様子を不審に思わなかったようで、「ああ」とため息のような声で頷いた。
「パーティーのパートナーを頼むと、決まってなぜかその女性が私の婚約者になったという意味不明な噂が流れはじめる。噂をたどっていくと、決まってその噂の出所はその女性本人なんだ。意味がわからん」
「だから兄上はパーティーには一人で出かけることが多いんだけど、さすがに今回は城で開かれるから、パートナーなしで出席するわけにもいかないよね」
「誰だ、王家のパーティーには一人で参加してはならないと決めたのは」
「うーんと、確か六代前の国王陛下だね」
「余計なことを……!」
「そうとも限らないけどね。このルールによって、社交デビューしたての、まだあまりルールも知らないような若い男女の多くは弾くことができるようになったし」
王家主催のパーティーでは、他国の要人が招かれることもしばしばだ。パーティーの参加者の中にマナーを知らない人間が混ざると困るので、そう言った意味では悪いルールではない。招待状は家に配られるので、父や兄にくっついて、成人したてのまだ半分子供のような人たちが押しかけて来るのは、これによってだいぶ防げる。
だから、レナも六年前に婚約破棄をされてからと言うもの、王家主催のパーティーには一度も参加したことがなかった。今回も欠席になるだろう。父は、親戚筋の誰かを伴って出席するかもしれないが、レナには無理だ。
「パーティーは五日後なんだから、そろそろ真面目に探さないとまずいんじゃないの?」
「わかっている。……わかっているが」
はーっと息を吐きだしたクラウスに、リシャールはポンと手を打った。
「じゃあさ、レナはどう? レナなら、兄上も安心できるんじゃない?」
その選択肢は頭になかったのか、クラウスがハッと顔をあげてレナを見た。
じっと見つめられてレナは真っ赤になる。
「わ、わたしなんかがクラウス様のパートナーなんて、とんでもない!」
レナはぶんぶんと首を横に振った。リシャールはクラウスになんて提案をするのだろう。
「いや、リシャールの言う通り、君なら安心できる」
「だ、だめですって! わたしなんかをパートナーにしたら、クラウス様が恥をかきます!」
「何を言っているんだ。そんなことはあるはずがない」
「でも……!」
レナは一度婚約破棄されたことのある、二十二歳の嫁ぎ遅れの伯爵令嬢だ。クラウスがよくても、世間の目はそうではない。どうにかして思いとどまらせようとするも、クラウスはすっかり本気だった。
「頼まれてくれないか? この通りだ!」
真剣な顔で頭まで下げられて、レナはこれ以上拒否できなかった。
(わたしの命は五日後に燃え尽きるかも……)
クラウスのパートナーを務めて、心臓が無事でいられるとは思えない。
レナは赤くなったり青くなったりしながら、蚊の鳴くような声で「はい……」と頷いた。







