青い鳥の絵 5
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「レナは青い鳥?」
レナが描いている絵を覗き込んで、リシャールが笑った。
「この鳥は空想? 可愛いね」
「殿下の絵もとても素敵ですよ。特にこの右端の鳩の表情が可愛いですね」
「そう?」
レナは青い鳥が一輪の花を咥えて飛んでいる絵で、リシャールは公園で白い鳩たちが餌を食べている絵だ。相変わらずの描写力で、さすがとしか思えない。
「きっとこの鳩はご飯が美味しくて笑っているんですね」
「すごい、よくわかったね!」
「鳩の目がキラキラしていますから」
「ふふ、ありがとう!」
リシャールがくすぐったそうな顔をして、それから再び自分のキャンバスに視線を落とした。すっと、表情が引き締まる。
(いつ見てもすごい集中力……)
この瞬間、リシャールには目の前のキャンバスしか見えていないはずだ。周りの音も、景色も、全部彼の意識の外にある。
レナの絵は構図が簡単だからまもなく描き上がるだろうが、リシャールはまだまだかかりそうだ。特に彼は細部にまでこだわるので、描きはじめると長い。
(わたしも集中しなくちゃね!)
ただの名目上だが「教師」という立場で雇われている以上、リシャールに負けるわけにはいかないのだ。
集中して絵の仕上げにかかっていると、コンコン、と控えめに扉が叩かれる音がした。
集中しているリシャールは気づかなかったようだが、リシャールほどの集中力がないレナはその音に振り返る。クラウスだろうかとちょっぴりドキドキしたが、彼の場合、扉を叩いて数秒後に、リシャールの返事がなくとも問答無用で部屋に入ってくる。しかし、今回は扉が開く気配がなかった。
エルビスもどうやらクラウスではないと判断したようで、扉の外を確かめに行った。すると、開いた扉から、ぽんっと飛び出してくるように、三、四歳ほどの子供が部屋に飛び込んできた。
「おじうえー!」
(おじうえ? ってことは、ジョルジュ殿下⁉)
国王ジョージル三世には、今年四歳になる王子が一人いる。ピカピカの金髪に大きなオレンジ色の瞳の子供は、リシャールとはあまり似ていないが、リシャールを叔父と呼べる存在は今のところジョルジュだけだ。
「あ、殿下! いけませんよ!」
リシャールに飛びつこうとしたジョルジュを、エルビスが慌てて抱き上げる。
「やー!」
ジョルジュがエルビスの手の中で暴れると、さすがに目の前で騒がれたからか、リシャールが気づいて顔をあげた。
「ジョルジュ?」
「おじうえー!」
「あ、だめだよ、絵の具がつくからね」
エルビスに抱きあげられた姿勢でリシャールに手を伸ばすジョルジュに、リシャールが苦笑して自分のエプロンを指した。
「むー!」
リシャールの返答が気に入らなかったのか、ジョルジュはぷうっと頬を膨らませる。
「エルビス、何かお菓子を。ジョルジュ、ソファに座っていてくれる? 着替えるからね」
「ん」
お菓子と言う単語に反応したらしいジョルジュは大きく頷いて、エルビスにソファの上に降ろしてもらうと、ちょこんと行儀よく座った。
エルビスがメイドを呼んでジョルジュのためにお茶とお菓子を用意するように頼む。
その間にリシャールはエプロンを脱いで、下に着ていた服を確かめていた。下の服にまで絵の具がついているかどうかを調べているのだろう。
「レナ、背中の方とか絵の具ついてない?」
「大丈夫ですよ、どこにもついてないです」
「よかった。ありがとう」
さすがに王弟殿下と王子殿下の語らいに伯爵令嬢が口を挟めるわけもないので、レナは静かに二人の様子を見守ることにした。
リシャールがジョルジュの隣に座ると、ジョルジュがリシャールの膝の上によじ登る。
美形の子供が可愛らしい幼い甥をお膝抱っこする姿に、レナは身もだえそうになった。
(絵、絵に描きたい……)
運ばれてきたお菓子をリシャールがジョルジュに「あーん」して食べさせている。
なんて創作意欲を刺激する構図だろう。二人とも可愛すぎる。天使か!
「それで、ジョルジュはどうしたの? お勉強は?」
「おべんきょう、や!」
「またそんなことを言って逃げてきたの?」
「ははうえ、いいって言ったもん」
「……はあ」
リシャールがやれやれと肩をすくめる。どうやらジョルジュは勉強嫌いなようだ。まだ幼いから仕方がないとも思うが、王族の学ぶ量は貴族令息のそれとは比較にならないほど膨大だというので、レナの浅はかな感覚で判断してはならないだろう。
「将来王様になるんでしょ? 勉強しないとだめだよ」
「おべんきょうできなくても、おうさまになれるもん」
「誰がそんなことを言ったの?」
「ははうえー!」
「またあの人は……。お勉強ができない王様だと、国民が困るでしょ?」
「だいじょうぶ、そのために、こん、こん……こんにゃくするんだって!」
「こんにゃく? ……もしかして、婚約?」
「そう、それ!」
「勉強しないことと婚約に何の関係があるの?」
「こんにゃくしゃがおべんきょうすればいいって、ははうえが!」
ジョルジュがキラキラした笑顔で言うと、リシャールが硬く目をつむって天井を仰いだ。はあ、と吐き出す長いため息に、彼の心情が表れている気がする。
「ジョルジュは誰と婚約するの?」
「あんりえった!」
「アンリエッタ? もしかして、伯母上の孫娘のアンリエッタ・ソルフェーシア?」
「そう!」
アンリエッタ・ソルフェーシア伯爵令嬢の名前は、レナもよく知っていた。前王エルネストの姉のイザベラの孫娘の一人で、確か年齢は三歳だったはずだ。イザベラが目に入れても痛くないほどに可愛がっていると聞く。
「またとんでもないところに目をつけたな……。まあ、伯母上がついているんだ、アンリエッタなら安心かな」
「あんりえった、かしこい! らしい!」
「だろうね。溺愛していようと、伯母上が教育に手を抜くとは思えない」
「だから、ぼく、ありがとうっていうの」
「ありがとう?」
「ぼくとこんにゃくしてくれてありがとうって! でね、ぷれぜんとがほしい」
「ありがとうと言うのはいいことだけど、プレゼント?」
「おじうえの、え! クラレンスおじうえが、いつもおじうえに、えをもらってるっていってた!」
ジョルジュはそう言うと、リシャールの膝の上から飛び跳ねるように降りて、部屋の隅に置かれている絵の側までぱたぱたと走っていく。エルビスが慌ててジョルジュを追いかけて、不用意に絵に触れないように、ギリギリのところでジョルジュを抱き上げた。
ジョルジュはきょろきょろと部屋の中の絵を見渡して、ふと、レナに目を止めると、レナの前に置かれたキャンバスを見てぱあっと顔を輝かせる。
「これ! これがいい! あおいとりしゃん!」
「え……?」
これはリシャールの絵ではなくてレナが描いている絵だ。まだ描きかけだし、構図も簡単で、とてもではないが王子の婚約者にプレゼントするような絵ではない。
(それに……これ、完成したらクラウス様にプレゼントしようと思っていたし……)
クラウスは鳥が好きらしいから、もしかしたらもらってくれるかもしれないと思った。もちろんいらないと言われる可能性も充分にあるが。
(でも……殿下にいると言われたら、差し上げないわけにはいかないわ……)
レナはただの伯爵令嬢だ。王子の機嫌を損ねるわけにはいかない。
レナがジョルジュの目線にあわせてその場にしゃがみこんで、「いいですよ」と言いかけたその時、少し硬質なリシャールの声が割り込んできた。
「ダメだよ、ジョルジュ。それだけはダメだ」
「え……?」
まさかリシャールに「ダメ」と言われると思っていなかったのだろう、ジョルジュが大きな目をさらに大きく見開く。
「他の絵なら持って行っていい。でもそれはダメだ」
「……や! ぼく、これがいい!」
「殿下、わたしなら……」
「ダメだよレナ。それに、ほしがれば何でも手に入ると思わせるのはよくない」
(そうかもしれないけど……)
見れば、ジョルジュは顔を真っ赤に染めていた。年の離れた弟を見てきたからわかる。これは泣きだす一歩手前の顔だ。
「ジョルジュ、これは諦めて、ほかの絵にしなさい。ほかのものなら何でも持って行っていいから」
「や!」
「ジョルジュ!」
リシャールが少し強めにジョルジュの名を呼ぶと、ジョルジュは大きな目にいっぱいの涙をためてキッとリシャールを睨みつけた。
「おじうえのいじわる! うわあああああああん‼」
大声で泣きだしたジョルジュに、リシャールが頭を抱えると、エルビスがジョルジュの背中をポンポンと叩いてあやしながら苦笑した。
「あとは私の方で。寝室をお借りいたします」
「……ありがとう、エルビス」
「いえいえ」
エルビスがジョルジュを抱えて、部屋続きの寝室へ向かうと、リシャールが疲れたような顔で嘆息する。
「レナ、うるさくしてごめん」
「いえ、でも、いいんでしょうか? 絵ならまた描けばいいので、こんなものでよかったら差し上げても……」
「だめ。だってそれは、兄上のために描いている絵でしょ? ちゃんと完成させて、兄上にあげないと」
「……もらってくださるか、わかりませんよ?」
「受け取るよ。絶対に。賭けてもいいよ」
リシャールとそんな話をしているうちに、寝室からジョルジュの泣き声がしなくなっていた。エルビスが寝かしつけたようだ。
(子供だし、目が覚めたらコロッと忘れているわよね……?)
レナは能天気にそんなことを考えたが、数日後、事態は思わぬ展開を迎えることになった。







