青い鳥の絵 1
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「姉上の妄想じゃなかったんだね」
クレイモラン伯爵家に迎えに来た王家の馬車を見て、弟のアレックスが驚いたような顔をした。
クラウスに雇われたと父にもアレックスにも伝えたのに、どういうわけか二人ともそれをレナの勝手な妄想だと決めつけて信じてくれなかったのだ。
父などは、お前の妄想で宰相閣下に迷惑をかけてはいかんと怒り出す始末で、レナは腑に落ちないものを感じていたが、迎えに来た馬車を見て父もレナの言うことが本当だったと信じたようである。
「信じられん……何が起こっているんだ?」
クラウスから雇用契約書を見せられた時にレナが思ったことと同じことを父がつぶやく。
(まあそうよね。わたしもいまだに信じられないもの)
今日が来るまで、何度も夢ではないのかと疑っていた。
「じゃあ行ってきます」
「こら待て!」
絵を描くからと汚れてもいい服で出かけて行こうとするレナの腕を、父が慌てて掴んで引き留める。
「その格好で行くつもりか⁉」
「だって、絵を描くんですもの。ドレスが汚れたら嫌じゃない」
「馬鹿を言うな! そんな格好で登城しようものなら、投獄されるぞ!」
「えー……」
レナは自分の服を見下ろして、むーっと唸る。絵を描くときに着ている服で、あちこちに絵の具がこびりついているので、確かに褒められるような格好ではない。
レナが口答えをする前に父はキャサリンを呼びつけて、レナを着替えさせてくるように命じた。
(お父様ったら、絵の具って落ちないのよ?)
ドレスを何着も買う余裕がないのだから、一着も無駄にしたくないのに、どうしてわかってくれないのだろう。
渋々ドレスに着替えて、レナが迎えの馬車に乗り込むと、どうやら一部始終を見ていたらしい使者として迎えに来ていたクラウスの側近がくすくすと笑った。
「閣下が、絵を描かれるときのために服をご用意しています」
「本当ですか?」
「ええ。リシャール様に言われて急いで手配したそうです。サイズがわからなかったので大きめのものを買われたそうですが、ご不快に思わないでいただけますと幸いです」
「もちろんです! むしろいいのでしょうか……?」
「構いません。こちらが無理を申したのですから」
いやいや、無理と言うが、とんでもない好条件の仕事である。その上着替えまで用意してもらって本当にいいのだろうか。
城に到着すると、クラウスの側近がリシャールの部屋ではない別の部屋に案内してくれた。
「着替えるのに部屋が必要ですから。こちらはあなたにご用意したお部屋ですので、お好きに使ってくださって構いません」
「え……」
(部屋まで⁉)
城の中に専用の部屋が与えられるなんて、眩暈がしそうだ。父に教えたら卒倒するだろう。
客室なのか、ベッドと棚、そして一人掛けのソファとテーブルがあるだけの部屋だったが、それでも自分の部屋よりも何倍も豪華だ。
(ひえ……絨毯、ふかふか……。ベッドも。やだ、お茶の葉まで用意してある……!)
あんぐりと口を開けていると、いつの間にかメイドが一人やってきていた。着替えを手伝ってくれるそうだ。どこまでも至れり尽くせりである。
クラウスが用意したという、小柄なレナには大きなワンピースに着替えると、その上からエプロンをして、レナはリシャールの部屋へ向かった。
扉を叩くと、今日は中から返事がある。
リシャールの側近だというエルビスが扉を開けると、リシャールがソファにちょこんと座ってレナを待っていた。
「いらっしゃい、レナ」
「こちらこそお邪魔します、殿下」
にこりと微笑み合っていると、エルビスがティーセットを用意してくれる。
レナのためのキャンバスもすでに用意されていて、リシャールのキャンバスと向かい合うようにして三脚に立てかけられていた。
「今日は何を描くか決められているんですか?」
見ればリシャールのキャンバスは真っ白だった。描きかけの絵は仕上がったのだろう。
「まだ決めていないんだ。窓からの景色も飽きたし、何がいいかな」
「でしたら、スケッチブックを持ってお庭を散歩するのはいかがですか?」
「散歩か……」
リシャールは考えこむように視線を下げた。あまり気乗りがしないようだ。
ならば、とレナはポンと手を打った。
「わたし、部屋を用意していただいたんです。こことは反対側の部屋なので、窓からは違う景色が見えると思いますよ」
「それいいね! じゃあ、スケッチブックを持ってレナの部屋に行こうよ!」
「すぐにご用意いたしましょう」
エルビスがにこりと笑って、二冊のスケッチブックとコンテを用意してくれる。コンテは絵の具と違ってそれほど色が揃ってはいないが、木炭で描くよりもカラフルに描けるのでスケッチにはもってこいだ。
リシャールが服の上からエプロンをつけて、大切そうにスケッチブックを抱え持った。
レナも自分の分のスケッチブックを持って立ち上がると、エルビスも一緒に来るようで、二人分のコンテを持つ。
リシャールと廊下を歩いていると、様子を見に来たのか、途中でクラウスとかち合った。
「リシャール?」
クラウスが目を丸くして、リシャールとレナを交互に見やる。
「どこかに出かけるのか?」
「レナの部屋だよ。そこから見える景色を描くんだ」
リシャールが答えると、クラウスはなぜか嬉しそうな顔をした。
(また笑った!)
どうやらクラウスは、リシャールが相手だとよく笑うようだ。
感動してクラウスの顔に見入っていると、クラウスがレナの視線に気が付いてわざとらしく咳ばらいをする。
「レナ、悪いが弟を頼む」
「ひゃい!」
レナ、と名前で呼ばれたことに驚いて声を裏返すと、リシャールがぷっと吹き出した。
「レナ、ひゃいって何? しゃっくりみたい。ふふ……」
「す、すいません。ちょっと喉が乾燥していたみたいで……」
苦し紛れの言い訳だったが、クラウスは信じたようで、喉を傷めないように気をつけろと言われる。
「リシャール、またあとで様子を見に行くからな」
「うん。わかった。行こう、レナ」
「はい」
「ふふ、今度はひゃいじゃなかった」
「もう、殿下ってば揶揄わないでくださいよ」
レナはクラウスに頭を下げて、リシャールと一緒に部屋へ向かう。
そんな二人を、クラウスがじっと見つめていたことには気がつかなかった。







