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 N県某所 宿泊施設 六花邸(ろっかてい)


 都市の喧騒から離れ、豊かな自然に囲まれた隠れ宿。なだらかな丘には桜並木が立ち、それを道沿いに歩いて行けば切り立った崖と波飛沫がぶつかり合う海景色。山と海に囲まれた自然の砦。そんな場所に六花邸は存在していた。

 旅行に行くという観点から見れば非常に素晴らしい宿だ。振る舞われる御前にも、山と海の幸がふんだんに振る舞われ美味だと聞く。

 何の非もない素晴らしい場所ではないかと思われるだろう。我が彼女、留華 鰐真が選んだだけある完璧な旅行ではないかと。俺もそう思った。ただ一点、アクセスが悪いという点を除いては。


 ブロンブロンと音を立て、古い型のバスが俺達を置いてゆく。固まった身体をほぐす様に、鰐真はぐーんと背中を伸ばす。


「んーあっ! やっと着いたよ〜。身体がバキバキになっちゃった」

「確かにな。大丈夫か? 鰐真ちゃん」

「だーいじょうぶっ! せっかくの旅行だもん。うーんと楽しまないとねっ!」

「そうだな」


 そう言って笑う鰐真。旅行に行こうと言ったあの日と同じ服装で、違うのは頭に帽子を被っている事と荷物が多い事くらいだろう。


「持つよ」


 そう言って彼女のスーツケースを手に取る。


「わ、ありがと!」


 俺達は桜並木の始まる地点にポツンとあるバス停に立っていた。この桜の咲く道を通って行けば、俺達の宿泊する旅館『六花邸』が見えてくるのだ。と、移動中に鰐真から説明を受けていた。俺達は進むべく道先を見上げて感嘆の声を上げる。


「おお……!」


(これはすごい、圧巻だ)


「わーっ、すごいね……! 桜がずっと並んでるよ!」

「あぁ、綺麗だな。バス停からは歩くのがオススメと訊いたが、その通りだな」


 狭い一車線の道路を挟む様に、二列の桜並木が坂道の上の方までずっと続いている。一応旅館からの送迎車も出ているのだが、目当ての桜を楽しむ為、二人でゆっくり歩く事を選んだのだった。


「ちょっと待ってね」


 そう言って肩掛け鞄の中を漁る鰐真。カメラを取り出すと桜とは反対側に周り、俺に向かって構える。


「いえーい」


 カメラを向けられたので、そう言ってピースサインをする。パシャパシャと音がしてフラッシュが焚かれる。


「いえーい! 今日もイケメンだねぇ!」

「フツメンだよ」

「私にとってはイケメンなの! 今日もいっぱい撮るからねっ」

「はいよ」


 そんなやり取りをした後、二人でゆっくりと坂道を歩いてゆく。鰐真はあちこちにカメラを向けながら、俺はそんな彼女と桜を眺めながら。彼女の白い髪と薄く色付いた桜の花が重なり、綺麗だ、と思う。この旅行が如何なる発達であったか、俺達の記念日を祝う物であったと記憶しているそれは、今簡単に塗り替えられた。白く、薄紅色を纏う、彼女の笑顔に。

 一枚、また一枚と落ちる花弁も、緩やかな風に撫でられてふわりふわりと落ちてゆく。全ての桜が散るまでは、まだ時間は残されている。

 パシャリ、と音のするカメラから鰐真がひょこりと顔を出す。そのいたずらっ子の様な顔を見るに、自然と笑みが溢れていたらしい。少し照れるが、彼女の嬉しそうな顔を見られたのだから良いのだ。



 延々と続くに思われた桜並木だが、歩いている内に片側が途切れ、少し開けた場所に出た。ベンチと簡易な自販機、駐車スペースが設けられており、休憩スペースと言った所だろう。地面のコンクリートも新しく塗った様に色が濃い。


「あ、自販機あるよっ! 何か飲んでく?」

「うーん。俺は良いかな、確かペットボトルの残りが1センチ程……」

「はーい。私はちっちゃいやつにしよっと」


 俺はベンチに座って荷物の中からペットボトルのお茶を取り出す。

 鰐真が自動販売機を操作すると、ガコン! と音を立ててペットボトルが落ちる。購入した飲料に品切れのマークが点灯した。


「あら、品切れになっちゃった。此処って補充しに人来るのかな。最後の一本って、なんか申し訳ない気持ちになるよね」

「きっと旅館の人が管理してるんだろう。それを見越した料金設定になってる筈だし、気にしなくて良いんじゃないか?」

「そうかも」


 俺の隣に彼女が座り、ぷしゅりと蓋を開けて飲み始める。炭酸を嚥下する音を聴きながら、一口で飲み終わった俺は自販機に備え付けのゴミ箱に空のペットボトルを投げ込む。網目のゴミ箱に入っているペットボトルは俺の入れた一本だけだ。


「確かに、木の本数の割に人の通りが無いな。此処ってそんなに有名な観光地じゃないのか?」


 この休憩場所はバス停と旅館の中間程だろうか、ここに来るまですれ違った人はゼロだ。こんなにも美しく壮観な場所だ。いくらアクセスが悪いとはいえ近隣の人が散歩に来そうだが。


「んーっとね、桜の木は前からあるらしいけど、旅館を立ててお客さんを呼ぶ様になったのは最近なんだって。今呼び込み中なのかも」

「こんなに綺麗な場所なのに、他の客が居ないのは不思議だよな」


 そのお陰でこの絶景を二人占め出来たのだから、嬉しい事なのだが。

 鰐真はペットボトルの蓋を締めると立ち上がる。

「そろそろ行こっか!」

「おうよ」


 桜に囲まれたベンチで休憩した俺達は、その後も楽しく桜並木の道を歩いて行ったのだった。後ろを振り返れば、散り始めた桜が薄くコンクリートを染めている。この旅館では二泊三日の予定だ。帰り道では桜吹雪に変わっているかもしれない。


 旅館に辿り着いた俺と鰐真は、入り口で女将さんに迎えられていた。


「留華様、篠嶺様、遠路はるばるご足労頂きありがとうございます。ようこそ六花邸へ」


 旅館は思っていたよりも大きく、立派な造りをしていた。木造の四階建て、朱や金に塗られた壁面、広々とした中庭、背面に従えた海、六花邸は桜並木を突き当たった地点に堂々と建っていた。

 静かな隠れ宿的な物を想像していただけに少し面食らってしまう。古城や立派な神社に泊まっている様で、客として嫌な気はしないのだが。



 鰐真が先に勘定を済ませる。お高めの価格だが、この建物や桜並木の手入れ等を考えれば安いのだろう。受付が終わると従業員に部屋へ案内される。


「東京からですか? それは遠かったでしょう、温泉に浸かってゆっくりと疲れを癒やして下さいね」

「温泉もあるんだ」

「あるよっ!」

「ええ、ございますよ。各室に備え付けのものと、大浴場があります。大浴場は時間帯で男女が切り替わりますのでご注意下さいね」

「はい! ご飯はいつですか!」

「御夕飯は、17時半から20時のお好きな時間帯にお持ちしますよ。何時になさいますか?」

 今が13時半。早くても後4時間の余裕があるのか。

「早いのにするか?」

「うん! 17時半でお願いします!」

「はい、かしこまりました」



 畳に転がって足を休める。身体を投地して室内をぼんやりと眺めていれば、畳や木のいい匂いがしてくる。気を抜くとこのまま寝てしまいそうだ。

 鰐真はまだまだ元気なのか、楽しそうに部屋の備品を確認したりパンフレットを読んでいる。


「お風呂♪ お風呂♪ あ、今女湯の時間なんだ。入っちゃおうかな」

「そうか、じゃあ俺も軽く休憩したら入ってこようかな」

「そうしよっか。私も撮った写真チェックしちゃお」


 夕食まではまだ時間がある。今のうちに長旅の汚れを軽く落としたい。

 少し身体を休めてから俺と鰐真はそれぞれの風呂場に向かった。


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