8 始まった事情聴取
この事件の謎を解決するには、まず死体の第一発見者である星野文子の事情聴取を行わなければならない、という話になって、一階の一室を借りることになった。
その部屋は、取り調べ室のような見た目の部屋であった。中央にテーブルがあり、両側に椅子を並べ、根来と文子が向かい合って座り、祐介はその背後に立ってその様子をじっくり眺めている。
「星野文子さん、まずはあなた自身のことをお伺いしましょう。あなたは山岡荘二郎さんの知人なのですか?」
と根来が尋ねた。
文子は、貴婦人といった外見の上品な女性であるが、この不安な状況に、すでにやつれているように見えた。そんな彼女は、根来と視線を合わせないように気をつけている様子で、物静かに語り出した。
「山岡さんの大学時代の後輩で、美術研究会に所属しておりました。毎年、年越しパーティーに参加しておりまして、昨年は参加しませんでしたが、今年こそはと思いまして……」
「昨年というのは、一昨年のことですね?」
と根来は言い間違えを正そうとする。
「ええ、そうです。なんだか年越しってややこしいですね。ええ、久しぶりの参加でした」
「旦那さんはお家に?」
「そうですね。わたしと諭吉だけで参りました」
「なるほど。わかりました。それで本題に移りますが、なぜ、午前五時半という時刻にあの部屋に向かったのですか?」
と根来は睨みを効かせた。
「それについてはお話ししようと思っておりました。五時頃のことでしょうか。夜中にタイマーのアラーム音に起こされて、目を覚ましたんです。どこにタイマーが仕掛けられているのか探したところ、ベッドの下に黒いタイマーが落ちていました。ところが、そこには一緒に手紙があったんです」
「手紙、それは一体、誰から?」
根来の眼光はいよいよ鋭くなる。
「分かりません。ただ手紙には、五時ちょうどにあの部屋に来るように、と書いてあったんです」
文子は恐ろしげに視線をテーブルの上に彷徨わせた。
「なるほど。その内容にあなたはしたがったと……」
「わたしはあまりの恐ろしさに、そのおぞましい手紙を細かくちぎって捨てました」
「捨ててしまったのですか。そんな大事な証拠を。それから?」
「部屋に着いたのですが、ドアは開きませんでした。背後に人の気配があったんで、振り返ったら、そこには銀のお面をつけた怪人が立っていて……」
「銀のお面をつけた怪人。あなたはそれをはっきり見たのですか?」
「ええ、でも誰かは分かりませんでしたし、そんな人物、思い当たる節もありませんでした。その人物は、右手に持った布でわたしにとらえようとしてきたので、すぐにピンときました。これはクロロホルムを嗅がせようとしているのだろうって……」
「その可能性はありますな」
根来は、こほんと咳払いをする。
「わたし、一目散に逃げたんです……」
「犯人の身長はどれくらいだったか覚えていますか?」
「さあ、一般男性ぐらいだったでしょうか。でも、黒装束のコートのようなものを着ていて、よく分かりませんでした」
「もう一度質問しますが、怪人が誰であったか、心当たりはありませんか?」
「いえ、存じません」
と文子は首を横に振った。
そこで羽黒祐介の推理が光った。祐介は、根来の質問を手で止めると、机に手を置き、文子の顔を覗き込むようにしてある事実を追求することにした。
「いえ、あなたは怪人が誰なのか、心当たりがあるはずです。違いますか?」
「えっ、何のことですか」
文子は突然のことに驚いて、祐介の美顔を見上げる。
「まず、あなたは手紙を捨てたとおっしゃいましたが、そのような重要な手紙を捨てるものでしょうか。あなたが手紙を我々に見せたくない理由、これはわたしたちには分かりませんがね。また、よほどの理由がない限りは、そのような差し出し人不明の手紙の指示に従うことはなかったはずです。その理由を仰らないところをみると、それはあなたの弱みなのでしょう。そして、あなたが居間で動揺している時、怪人のことを「あの人が」と口走っていたことからも、あなたは怪人に思い当たる節があると推理できるのですが、星野文子さん、いかがでしょうか……」
これには文子も反論できなくなり、観念したような表情を浮かべて、うつむいた。
「さすが、有名な名探偵と呼ばれているだけのことはありますね。嘘はつけないものです。わたしは、たしかにあの手紙を読んで思い当たることがあったんです。その手紙には、こう書かれていました。『諭吉の本当の父親が誰なのか、周囲にバラされたくなければ三階の部屋に来い』と。実は諭吉は、行方不明の小倉さんとの間にできた子で、旦那の子ではないんです」
「なんですって……」
と根来は驚いて、祐介の方を振り返った。祐介は腕組みをして、そのことを考えているようである。
「わたしはそれを知られたくなかった。だから、はじめ読んだ時、小倉さんからの手紙かと思ったんです」
根来は頷くと、ちらりと文子を睨みつけ、重々しい声を出して尋問を再開した。
「諭吉君が旦那さん以外の男性との間にできた子であることはよく分かりました。年越しパーティーに旦那さんを連れてこなかったのはそんな理由があったのですね。その事実を知っているのは誰なのですか?」
「誰にも知られていないはずです。でも、誰かが察していた可能性はありますが……」
根来は、黙々としてメモを取った。諭吉の父親は、小倉ということになる。
「なるほど。それではまた一つ、お尋ねしますが、あなたは何時頃まで年越しパーティーに参加していたのですか?」
「午後一時頃までですかね。その後は、自分の部屋に戻りました。自分の部屋には、すでに諭吉が眠っておりました」
星野文子の話は以上であった。彼女には、とりあえずアリバイらしいものは何一つ持っていなかったので、ここで彼女の事情聴取を終えて、居間に戻ってもらうことにした。彼女がいなくなると、根来はじろりと祐介の方に向き直った。
「どう思う? 羽黒。残念ながら、犯人の外貌は銀色の仮面のせいでまったく見えなかったというわけだ。身長も分からなかった。手がかりはなし、というわけだな」
すると祐介は、ふふっと余裕のある笑みを浮かべて、再び精悍な瞳で、根来の顔を見つめる。
「とんでもありません。犯人は重要な手がかりを残していきましたよ。まず第一に、犯人はなぜ星野文子さんを現場に呼び寄せたのでしょう? 第二に、なぜ怪人の格好をして星野文子さんの背後に現れたのでしょう? この二つの疑問を提示してくれただけでも、重大な手がかりですよ」
と羽黒祐介はすでになにかを掴んだような表情をしている。
「そう言えば、そうだな。その点が気になるな。よく考えてみよう」
と根来は口の中でもごもご呟いた。