6 衣装箱の中の少女
「なんてことだ! この顔は……」
と根来の隣に立っている山岡荘二郎が、室内の生首を見るなり大声で叫んだ。根来は、はっとして荘二郎の顔を見る。
「小倉さんですか?」
「違う。萩本です。年越しパーティーに招待した客の一人ですよ」
そう言って、山岡荘二郎はしばし生首に釘付けになっていたが、直視できなくなったのか、顔を背ける。
萩本という男が一体どういう人物なのか、根来にも祐介にも分からなかったが、とにかく何者かに殺されて生首になっている事実だけは疑いようがないので、根来は、すぐに現場検証をしなければ、と思った。
「三田村さん。申し訳ありませんが、警察への通報をお願いします!」
「かしこまりました」
と三田村執事は焦った様子で言いながら、一旦、その場を離れた。
根来は鋭い視線で現場を確認する。部屋は、物置のようである。男性の胴体が乗っているベッドも日頃使わなくなったものとみえて、この物置部屋に運んできたのだろう。左側の奥の方には洋服を入れる、大きな衣装箱が置かれている。木の椅子の上には、ハードカバーの本が乱雑に積まれていて、その上に白い封筒がある。その上には何も置かれていない。
ところが奇妙なことに、その箱の右側の床に、ちょうど木箱が一杯になるぐらいの洋服が、無雑作に積まれていたのである。
衣装箱の蓋がガタリと音を立てて動いた。根来は、あっと声を上げそうになった。その蓋はゆっくり上に開いてゆき、その中から少女の眠そうな顔が出てきたのである。
「ふにゃにゃ……」
少女は、瞼をこすっている。
その時、山岡荘二郎があっと声を上げた。
「杏!」
根来と祐介はすぐに、杏が無残な死体を見ないように注意しながら、彼女を部屋の外に運び出した。杏は寝起きで、状況がまるで呑み込めていない様子で、うとうと目を細めている。
「君はいつから、あの箱の中にいたんだ?」
と根来は尋ねる。杏はきょろりと目を開いて、根来を見上げる。
「昨日の夜から……」
「一体あそこでなにをしていたんだ?」
杏は、根来の鋭い目つきを間近に見て、次第に目が覚めてきているようである。
「隠れんぼ、諭吉と……」
「諭吉というのは誰だい?」
「男の子……ちっちゃい……」
「それで君は衣装箱に隠れたまま、眠ってしまったというわけか、昨晩から……」
隠れんぼをしている最中に眠るだろうか、あれは相当スリリングなもののはずだけど、と根来は若干の違和感を感じた。
「君がこの衣装箱の中に隠れたのは、正確には何時ごろのことだ? 覚えているかな」
「たしか、十時を過ぎたくらい……。十時半とか」
「もしや、君はその時に、このドアの閂をかけなかったかい?」
「かんぬき?」
「このドアのこれだよ……」
と閂の差し込む金具を指差す。
「たしか、かけたと思う」
そこで、ドアに閂を差してしまったら、諭吉という少年は絶対に見つけることができないじゃないか、と祐介は思った。
「これで謎が一つ解けたな。羽黒。この部屋のドアの閂が内側から差さっていたのは、密室でもなんでもなく、室内にこの子がいたからさ。この女の子が、閂をさしたんだからな」
しかし祐介はまだ納得していない様子だった。
「ええ。でも、それは昨晩の十時半のことなのでしょう。山岡さん、あなたが最後に被害者を見たのはいつ頃ですか?」
「被害者を最後に見た時刻……。確か彼は年越しのカウントダウンの三十分ほど前までは居間にいて、談笑していたのですが、それから部屋に戻ったはずです。だから、午後十一時半頃までは彼が生きていたことは間違いなくはずです……」
と山岡荘二郎は証言する。
「なるほど。こちらの少女によると、この部屋のドアの閂がかけられたのは、午後十時半のことです。ところがその一時間後の十一時頃まで、被害者は生きていて、一階の居間にいたというわけですね。ということは、被害者はこのドアが内側から施錠された後に殺されたというわけです。これは立派な密室殺人ですよ……」
「ええい、なんてこった」
根来は祐介の話を聞いて、さも悔しそうに叫んだ。
「それだけではありません。一般的に、ミステリー小説で密室殺人という場合、それは「犯人が出れない密室」をさします。すなわち犯人が現場に入って、殺人を行ったという点については何の不思議もないのです。その後、どうやって施錠された室内から犯人が脱出したのか、そこに重大な謎が生じているわけなんです。しかし、今回はそれだけではなく、犯行以前にこの部屋が密室と化していて、被害者も犯人も外にいたことが分かっているのですから、被害者も、犯人も現場に入ることすらできなかったと考えられるのです。まさに現場は「犯人も被害者も入れない密室」だったことになります」
祐介の言葉を聞いて、根来はいかにも不機嫌そうに現場を睨みつけた。祐介は、先ほどからやけにしがみついてくる杏の右の手のひらを見ると、人間の血がベッタリとついていた。
「これは……。どこかで血に触った?」
「ううん」
杏は顔を横に振った。とはいっても、インドのダンサーのように左右に振ったのではなく、かぶりを振ったという意味である。祐介はこの血のことがひどく気になったらしい。
その時だった。三田村執事が廊下を走ってきて、
「電話が通じません!」
と叫んだ。
「なんだって、電話が通じないだと……? 」
根来と祐介は驚いて、三田村執事の案内のもと、一階の電話機のもとへ急いだ。根来が受話器を耳に当てる。そしてボタンを触る。
「確かに、電話が通じていないな。これは、この大雪だから、つまり、どこかで電話線が切れたとか……」
根来は、無意味に受話器をひっくり返しながら言った。
「仕方ない。俺たちの手で初動捜査をするしかねぇな」
と根来は言った。外はまだ吹雪なのだ。
「まったくとんだ元日だぜ……」
根来は憎々しげにぼやいた。遅れてエレベーターで一階に到着した山岡荘二郎は、電話が通じないことを知ると、さらに顔を蒼ざめて、
「根来さん。わたしたちにできることがあれば、なんなりと仰ってください……」
と言った。
「まず、わたしたちは現場検証をいたしますから、その間にこの館にいる皆さんを居間に集めておいてください。現場検証が済んだら、皆さんの事情聴取を行いますから……」
と根来は厳しい表情で言った。