3 名探偵 羽黒祐介登場
根来と名乗ったその男は、頭や肩の上に乗っかった白雪を床に払い落とすと、手袋を取った。根来の後ろから、二十代ぐらいの色白の美男子が一人、玄関ホールに入ってきた。
この人物ときたら、その面体、美しいこと極まりない。後で知ったところによるとこの人物こそ、人類史上最高の美男子にして名探偵の羽黒祐介だったのだが、楓はそんなことは何も知らず、一瞬にして心が奪われてゆくのを感じた。
「ああ、凍死するところでしたね」
とその美男子は言った。
「よかったな。羽黒。人がいて……」
「もしこのお家に誰もいなかったら、動けなくなった車内で今頃、凍死してましたねぇ」
根来はその言葉に深く頷きながら、三田村執事の顔を見ると、にこりと微笑んで、
「そういうわけです。今晩はどうぞよろしくお願いします」
と、丁寧にお辞儀をする。
「一体なんなのですか、あなた方は。群馬県警ということでしたけど……」
と三田村執事は不審げな目を向ける。
「群馬県警の刑事だよ。群馬県警捜査第一課、根来拾三警部だ……」
と名乗りながら、根来はずいずいと玄関ホールの中央に歩み出る。
「本当に雪山は怖いなぁ。こんな吹雪になるとは夢にも思わなかったよ。それにしても、広いお屋敷だな。別荘なのかな」
楓は反応に困って、三田村執事の方をみた。三田村もどう返事をしてよいのやら分からなくなってしまったらしく、
「旦那さんをお呼びしましょう。少々、こちらでお待ちくださいませ」
と言って、玄関ホールについているエレベーターに乗ると一人、展示室のある三階へと向かった。
楓は、この根来という刑事のことはともかく、その後ろにいる美男子の羽黒祐介のことが気になって、しばし呆然として、彼のことをうっとりと眺めてしまった。
「すみませんねぇ。お嬢さん。山道で自動車が事故を起こして、運悪く溝にはまって動かなくなってしまいましてね。車の中にいては、どうすることもできないんで、民家を探してここまで歩いてきたんですよ。それにしても、こりゃあ本当に大変な吹雪だね」
と根来は寒そうに両手をする。
「よろしくお願いします。羽黒祐介と申します」
と美男子が丁寧にお辞儀をしたので、楓はにこっと笑って、
「あの、お兄さんも刑事さんなんですか?」
と尋ねた。楓は、ずっとこの人のことが気になっていたので、二人のちょうど間に立っている根来の発言には反応もしないのだった。
「いえ、僕は刑事ではなく、私立探偵です。根来さんの知り合いで、この山奥で起きたという殺人事件の捜査をしていたところなのですが、こんな吹雪に見舞われては、もう捜査どころではありませんね」
今夜はこの人は銀泥荘に泊まっていくしかないだろうな、と楓は思った。とにかくそれが嬉しかった。上手いこと、この人と仲良くなりたいと思った。
「わたし、あの、楓です。山岡楓。それでこの家は、わたしのお父さんの別荘なんです」
楓は、いつも以上にはきはきとした口調で話した。祐介は、へえ、と感心したように呟いて、玄関ホールを見まわした。
「すごい別荘ですね」
「ええ。わたしの父は、山岡荘二郎といって、美術評論家なんです」
と楓のその言葉に、羽黒祐介の瞳がきらりと光る。
「もしかしてテレビによく出演されている。『名宝鑑定TV』でコメンテーターを務めている……」
「そうです。そうです! ご存知だなんて嬉しいです」
楓は、そう言いながら、うっとりと羽黒祐介を見つめているで、祐介は少し困ったような苦笑いを浮かべた。
このようにして、名探偵の羽黒祐介と群馬県警の根来警部は、銀泥荘に宿泊することになった。もしこの二人が居合わせなかったら、この事件の真相は永久に謎に葬られただろうと考えられる。
時刻は七時頃。もう外は真っ暗だった。
祐介と根来は、その後、銀泥荘の主人である山岡荘二郎と玄関ホールで面会し、事情を説明した後に、二階の廊下の一番奥の部屋に案内された。
そこは幾分、埃をかぶっている小さなタンスや丸テーブル、椅子などの家具が並び、しばらく使われていないと思われる客室で、長方形の部屋の中の寝具は、なぜかダブルベッドが一つあるだけである。
「おい、これは一体どういう冗談だ……」
根来は、ベッドを見るなり、祐介の方に振り向いて言った。
「冗談ではなく、これが現実なんですよ。なんでも、先ほどご主人のお話では、この部屋しか空いてないらしいんですよ」
「男同士で、一つのベッドの上に寝るのか。いやだな。羽黒、間違っても変なことするなよ」
ととんでもないことを言ってくる根来。
「しませんよ。なんですか、変なことって。僕だって、根来さんのいびきを真横で聴きながら眠らなきゃならないなんて拷問ですよ」
と祐介もすぐさま言い返す。
「そう言うなって……。しかし、まあ、こんな猛吹雪の中で、どうにか命が助かっただけでも奇跡なんだから、贅沢を言っちゃあいけないなぁ。羽黒、今夜はよろしく頼むぞ」
「あらたまって言わないでください。気持ち悪いなぁ」
とこんな会話をしているが、二人は実に仲が良いのである。
根来は荷物を、椅子の上に放り投げると、
「じゃあ、せっかく宿泊するんだから、早速、この邸宅をくまなく探検しようぜ」
と、完全に旅行気分な発言をする。
「駄目ですよ。別荘に赤の他人を泊めるだけでも、向こうからしたらいい迷惑だろうに、その上、勝手に歩きまわっちゃ……」
「そうか? でも、こんなでっかい別荘に泊まっていながら、部屋にずっとこもってんのはもったいないなぁ」
と根来はさも退屈そうに、枕元のランプを触ったり、家具の引き出しを端から開いてみたりしている。面白いものは何一つ出てこない。窓の外を見ると、もう夜なので暗くなり、何がどうなっているのかよく分からないが、吹雪の勢いは先ほどよりも強まっているらしい。窓ガラスがガタガタと音を立てている。
このようなわけで、群馬県警の根来警部と美男子の羽黒祐介は、年越しパーティーには参加せずに、二階の一番奥の部屋に二人揃ってこもることとなった。