2 群馬県警の鬼根来
星野文子と諭吉が到着した午後三時半以降、大雪と強風の勢いは増す一方だった。
そして、この星野文子たちの到着よりも一時間以上前に、銀泥荘の主人、山岡荘二郎の学生時代の友人で彫刻家の萩本裕二が邸宅に到着しており、荘二郎と書斎で話し込んでいた。
このように銀泥荘の館内は一見楽しげな雰囲気が漂っているが、事件の不吉な予兆がまったくなかったわけではない。
当日の予定されている客人に小倉雅之という人物がいたのだが、午後五時を過ぎても彼は銀泥荘に到着せず、連絡も一切なかったのである。
「どこかで車がスリップして横転でもしていないか」
と言って山岡荘二郎は、館の電話から何度か彼のスマートフォンに電話をかけたのだが、反応はなかった。そもそもこのあたりの山は圏外になってしまい、携帯電話が通じない。もし不慮の事故があったとしても、知らせることはできないだろう。そこで荘二郎は、山道の様子を見てくると言って、車で出かけた。
帰ってきた彼は、
「山道には、交通事故らしきものも見つからなかったし、人らしきものは見つからなかった」
と言った。
午後六時を過ぎた時点で、邸宅には連絡のつかない小倉雅之を除いた全員が揃っていたとされている。当日の客人は星野文子、星野諭吉、萩本裕二。山岡家の関係者は、山岡荘二郎、その妻の富士江、娘の楓とその妹の杏、料理人の上沼栄之助、執事の三田村慶吾である。
事件発生後、根来警部によって容疑者と目されたのは、この十人である。被害者まで容疑者に含まれているのはそれなりの理由があるのだが、ここではそれに触れないでおこう。
それでは、年越しパーティーの様子から見ていくとしよう。
*
銀泥荘の一階にある広い居間には、巨大なテレビがあり、人々がくつろぐためのソファーがL字に置かれている。一面には、広い窓ガラスがある。窓からは白い雪が吹き荒れて、暗くなってしまった世界が見えている。
この時、執事と料理人を除いた人々が、ソファーに腰掛けてくつろぎ、さまざまな西洋料理を食していた。山盛りのポテトサラダ、蟹のクリームスパゲティ、ローストビーフ、チーズケーキなどなど。幼稚園児の諭吉も玉子入りのサンドイッチなどを食べている。
山岡荘二郎は、四角い顔つき、黒髪を撫でつけており、ばりっとした高級なスーツ姿で、客人の前に現れて以降、美術評論家らしく、赤ワインを片手に、エジプトの猫の女神、バステトの像を先日買い求めたという自慢話をしている。近々、彼のエジプト芸術についての記事が某芸術雑誌に掲載されるらしい。
星野文子も、萩本裕二も、ここにいる客人は、山岡の関わっている美術倶楽部の会員なのだ。美術の話に夢中になっており、テレビの画面の中のお笑い芸人の漫才や、演歌歌手の歌などには興味が湧かないらしい。
「旦那さまもいらっしゃったらよかったのに」
と山岡荘二郎の妻、富士江が微笑んで、星野文子に言った。
「あの人は駄目なんですよ。ほんとに仕事一本で……」
と文子はいかにも不満そうに言った。
「それに主人は、芸術関係のことは何もわからないので、東京の自宅に一人で残してきて、本人にとっても良かったと思いますの」
と文子はさらりと酷いことを言う。
自身も芸術家として活動している萩本裕二は、荘二郎の語るエジプト芸術に興味を抱いたらしく、
「それで、そのバステトの像は今どこにあるのですか?」
と尋ねた。
「展示室にあるよ。せっかく銀泥荘においでになったのだ。ご覧になるかな」
山岡荘二郎はさも嬉しそうに答えた。
「是非、拝見したいものですね」
「わたしもどんなものか、見せていただきたいですわ」
と文子も言った。
そこで山岡荘二郎は、萩本裕二と星野文子の二人を連れて、玄関ホールからエレベーターに乗り、三階の展示室に向かったということである。
このようにして三人がいなくなると富士江も出て行ってしまい、居間に残されているのは楓の他には、妹の杏と諭吉の二人である。杏は小学五年生の女の子で、山岡家の末の娘だ。諭吉を自分の弟のように思っており、三人は楽しそうにトランプをしていた。
「大富豪は面白いね」
と杏は微笑みかけて言ったが、諭吉はじっとしていられない性分なのか、カードをテーブルに投げ出して立ち上がり、
「鬼ごっこしようよ」
と叫んだ。
「駄目だよ。こんなお家の中で、鬼ごっこしたらお母さんに怒られるよ。もしするんだったら、かくれんぼかな」
などと話している。
その時、チャイムが鳴った。
「小倉さんが到着したのかな」
と楓ははっとして言った。厨房の方にいた執事の三田村が廊下を走ってきて、玄関に向かってゆく様が見えた。楓は執事一人のお迎えでは小倉に悪いと思って、自らも急いで玄関に走っていった。居間の前には長い廊下があり、その一方が玄関ホールになっている。
玄関ホールで、インターホンの画面を確認した執事は、ぞっとして叫ぶような声を出した。
「小倉さんじゃありません」
と言った。楓もそう言われて、さっと顔が青ざめた。こんな山の中で突然の来客だなんて到底考えられない。
「じゃあ、誰なの」
「強面の中年の男が……インターホンのカメラをじっと睨みつけているんです」
「一人?」
「後ろにもう一人、男がいます……」
「うそ、強盗かな……」
と楓は恐ろしくなる。見も知らぬ他人がこんな山荘に用などあるはずがない。あるとしたらそれはこの銀泥荘にある美術品を盗もうとしているとしか考えられないではないか。
「開けない方がいいでしょうかね。こんな山の中ですから、もし犯罪者だったら大変です」
三田村執事はそう言うが、小倉に関する情報を何か持ってきてくれた人物かもしれないし、せめてインターホンで会話だけでもしたら、と楓は勧める。
「もしもし、あの、なんでがしょう」
と三田村執事は震えた声で尋ねた。
『警察だ! このドアを開けろ!』
「警察?」
三田村執事はさらにささっと蒼ざめる。楓は、小倉さんの身になにかあったのでは、と不吉な想像をする。そして三田村にもっと話を聞きだすように促した。
「警察ですって?」
『そうだ。群馬県警の根来だ。これを見ろ。警察手帳だ。分かったな。分かったら、すぐにこのドアを開けろ!』
みると確かに、根来と言う人物は警察手帳をカメラに向けている。抵抗すると後々ろくなことがないだろうから、三田村執事は頷いて、玄関のドアを開けた。
ドアを開けると、虎のような鬼のような面構えの、肩の張った中年男がのそのそと入ってきた。凄みの効いた眼つき、比喩がくどくて申し訳ないが、東大寺の仁王像のような豪傑ぶりを感じさせる風体である。ふうふうと息を吐きながら、肩と胸が膨らんだり、萎んだりしているのである。
「ありがとう。助かったよ……」
その根来という男はじろりと三田村を睨んだ。