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銀泥荘殺人事件  作者: Kan
15/16

14 犯人との最後の対決

 事件の真相に気がついているはずの羽黒祐介は、なかなか動き出さなかった。動かざること山の如しとは、孫氏の言葉であるが、まさに今の彼のことであろう。

 外では、吹雪がまだ猛威を振るっていて、銀泥荘にいる人々は、行方不明の小倉が犯人だと決めつけて疑わないまま、時間ばかり経っていったのである。


 事件の幕が下りることになったのは、元日の夜のことであった。一同は再び上沼の作った料理を食堂で食べることになった。そして三十分ほどしてから、多くの人が強烈な眠気を感じ、うち数人は自分の部屋に戻ることになったのである。

 楓は食欲が湧かず、上沼の料理が喉を通らなかったこともあって、他の人々のようには、あまり眠気が生じなかった。楓は、料理の中に睡眠薬が仕込まれていたのだろうと推測したが、一体誰がそんなことをしたのか、分からないまま、朦朧としながら自分の部屋に戻った。

(気分が悪い……。でも、一体、誰がこんなことを……)

 料理を作った上沼だろうか、それとも料理を運んできた三田村執事だろうか、隣に座っていた星野文子だろうか。


 意識がはっきりしなくなってきて、楓はベッドの中で眠ってしまった。次に目を覚ました時、それは銀泥荘が不気味に静まり返った夜中のことだった。

 その時、なにか音が聞こえた。低い唸りのような音だ。これは美術品運搬用のエレベーターが動いている音だろう。楓の部屋の隣に、美術品運搬用のエレベーターが通っているのである。


(なぜ、こんな時間に……?)

 楓はのそりと立ち上がった。そしてふらふらと廊下に出たが、そのエレベーターは二階には止まらないので、上に向かっているのか、下に向かっているのかは分からない。どこに止まるのか、気になって階段を登り、三階に向かった。

 三階のエレベーターのドアの前に立つ。そのゴーッという音が内側から聴こえてきている。エレベーターのランプを見ると、どうやら三階に上がってきているようである。エレベーターが止まり、ドアがゆっくりと開いた。エレベーターの床には、青い寝袋のようなものが置かれていた。


(これは……)

 その時、楓はぐっと後ろから誰かに口を押さえられた。楓は恐怖のあまり、逃げようともがく。しかし抵抗した結果、振り返って、背後の人物が誰なのか、一目見ると黙ってしまった。

(お父さん……!)

 そこには山岡荘二郎が冷たい表情をして立っていたのだった。

「睡眠薬が効かなかったのだな……」

 荘二郎はそう言うと、それ以上は何も言わずに、その寝袋のようなビニールを掴んで、それを一台の台車に乗せようとした。


「それは……一体」

「死体だよ。人間の胴体だ」

 なぜ、と楓は尋ねようとしたが、言葉が口から出てこなかった。

「俺を告発するか。ふっふっふ。楓。父さんが事件の犯人だと知って、すべてあの刑事と探偵に教えてしまうつもりかね。それはお前の自由だよ。警察に真実を伝えるのも、父を憎むのもお前の自由なのだ」


 荘二郎は、そこで寝袋を台車に乗せることを中断すると、楓の方に向き直った。

「しかし、お前に心の余裕がまだあるのなら、騒がずに聞いてくれ。小倉と萩本はね、わたしの過去の秘密を知っている数少ない人間だよ。父さんはね、かつて盗品を無数に購入していたのだよ。この銀泥荘の収蔵室にも、名のある美術館やコレクターから盗まれたという美術品が隠されている。美に目が眩むのは美術愛好家の宿命というものだね。しかし彼らにとってその事実は、ゆすりの種でしかないのだよ。わたしはもう社会的にも著名な美術評論家であり、この事実が晒されれば、わたしの地位が揺らぎ、お前や杏にも不幸が訪れるだろう。秘密が彼らに知られ、実際にわたしは、あの二人にいくつもの美術品をゆずることになった。そんなこと、もう終わりにしようと思ったのだよ……」

 楓は、なんと声をかけてよいか分からず、沈んだ気持ちになって、その話を静かに聞いていた。しかし父子として生きてきた手放し難い関係が、結局、楓の心をこの哀れな父に同情させるよう揺れ動かした。


「お父さんを裏切ったりしないよ、わたし。でも、わたしが言わなければ、警察から逃げ切れるの……?」

「あの根来という刑事と、羽黒という探偵さえ欺くことができれば、わたしが犯人だという事実は永久に葬り去られることだろう」

 山岡荘二郎には、絶対の自信があるらしかった。


 しかしその時、荘二郎は、階段の下から聴こえてくる足音に気付き、楓をエレベーターの内側に隠して、美術品運搬用のエレベーターのドアを閉めた。

 階段を登ってきたのは、羽黒祐介と根来警部だった。二人は、山岡荘二郎の姿を確認すると、驚いた様子もなく、ゆっくり歩いてきた。

「山岡さん。こんな時刻に何をされているのですか?」

 と祐介。

「それはこちらの台詞ですよ。てっきり眠っておられる頃かと思ったが……」

「皆さん、すっかり眠ってしまったようですね。それはあなたが仕込んだ睡眠薬のおかげだ。残念ながら僕と根来さんはこのことを事前に予測していたので、食事を取らなかったのですよ」

 そう言って、祐介は爽やかに微笑んだ。


「何のことですかな。睡眠薬とは……」

「もう逃げられませんよ。真相に気付いたんです……。銀泥荘殺人事件の犯人はあなたですね?」

 と羽黒祐介は真実を見透かしたように、山岡荘二郎の目を真っ直ぐに見つめた。

「何を仰います。羽黒さん。なぜわたしが犯人だと思ったのか、是非お伺いしたいものですな」


「いいでしょう。この事件の真相をお話ししましょう」

 このようにして、羽黒祐介と山岡荘二郎の最後の対決が始まったのである。薄暗いランプ型の灯りがともっている廊下で……。


「この事件の最大の謎は、密室の謎でした。しかしこの謎は案外、簡単に解き明かすことができたのです。最大の手がかりは、衣装箱から出てきた杏ちゃんの右の手のひらに血がついていたことです。しかし、これはよく考えてみると不自然です。被害者が殺害される少なくとも一時間前に衣装箱に隠れてしまった少女の右手に、なぜ血が付着していたのでしょうか」

「それはつまり、被害者の血じゃなかったのではありませんかな」

 と山岡荘二郎はすぐさま反論する。


「ところが、被害者の血だったと断定できるのです。まず、衣装箱に、杏ちゃんのものと思われる血の手形が残っていたんです。それなのに、入り口のドアノブにはまったく血が付着していませんでしたし、部屋の至るところを探しても、血の手形はどこからも発見されなかったのです。杏ちゃんは隠れ場所を探していたわけですから、もし室内に入る前から、手のひらに血が付着していたのなら、もっといたるところに血の手形が残っていたはずです。ということは、あの手の血は室内で付着したことになります。僕の見る限り、あの部屋には被害者の鮮血があるのみでした」

「なるほど、筋は通っているようですが、なにか答えをお持ちなのかな?」

「答えはきわめて単純です。午後十時半の段階で、すでに室内には死体があったのです」


 この言葉に、山岡荘二郎は嘲るように笑い、殺意を込めた目で目の前を探偵を睨みつけると、こう叫んだ。

「あなたはもはや正気ではないようだ! 愚かな私立探偵め。お聞きしますが、萩本は何時まで生きていたのか、ご存知かな」

「午後十一時半まで居間にいたということでしたね」

「それでは、その一時間も前に彼が死体となって、部屋のベッドで横たわっている可能性はどれほどあるのかね?」

 山岡荘二郎は祐介に、ありません、と言わせようとしてきている。しかし祐介は動じる様子がまったくない。


「ところが、確かに杏ちゃんが部屋に侵入した段階で、室内のベッドの上に死体があったのです。これは極めて単純な理屈です。萩本さんが生きていた時、すでに部屋に死体があったのなら、その死体は萩本さんのものではない。つまり、それは別人の死体だったということになるのです」


「杏があの部屋に入った時、死体に気がつかなかったというのですかな?」

「杏ちゃんは床の上に生首はなかったと証言していますが、ベッドの上に胴体がなかったとは証言していません。さらに、その時、杏ちゃんは睡眠薬の効果で、意識が朦朧としていました。そして部屋の電灯は切れていて、室内が真っ暗だったのです。考えてもみてください。ベッドの上に寝かせられた胴体は、掛け布団が床に払いのけられていました。死体を隠したいはずの犯人が、掛け布団を床に払い除けるでしょうか。それでありながら、掛け布団の裏側には大量の血が付着していたのですから、以前、死体の上に掛け布団がかけられていたことは間違いないのです。死体から掛け布団を払いのけたのは、杏ちゃんだったというわけです……」

「なるほど。実に面白い推理だが、あの死体は誰のものだと言うのだね」

「小倉さんです」


「はっはっは……。小倉と萩本の顔はだいぶ違うよ。まったく君の言うことは下らんな。本当に恥知らずのアンポンタンだよ。吹雪の中で頭を冷やしたらよかろう……」

「そうです。確かに、現場に落ちていた生首は、萩本さんのものでした。しかし胴体の方は、小倉さんのものだったのです。二人の体格は小柄でよく似ていた。だからこんなトリックが可能だったんです」

「どういうことかね。説明したまえ」

 ここまで語ると、山岡荘二郎はじろりと祐介を睨みつけた。もう無視できないところにまで祐介が迫ってきていることを山岡は感じたのである。


「あの部屋に、杏ちゃんが入ってゆき、内側から閂をかけたのは午後十時半のことです。しかし、それよりも遥か前からあのベッドの上には、小倉さんの胴体が寝かされていたのです。それに杏ちゃんが気がつかなかったのは、電灯が切れていて部屋が暗かったことと、彼女が睡眠薬を飲んで、朦朧としていたからです。死体の胴体にかけられていた掛け布団を払い落としたのは、おそらく杏ちゃんでしょう。隠れる場所を探しているうちに払いのけたのです。その時に右手に血が付着したのです。彼女は、衣装箱の中に隠れました。そして眠ってしまったわけです。それから犯人は、萩本の首を持って現れた。これは十一時半以降のことです。ところが、この時、犯人は部屋のドアが開かないことに驚きました。半ば混乱したことでしょう。そして犯人は、天窓から萩本さんの首を室内に投げ込んだのです。萩本さんの頭部にへこみがあったのは、床に落ちた時の衝撃でできたものです。犯人が首を放り込んだ理由は、後ほどしっかり説明いたします。このようにすることで、室内には小倉さんの胴体と、萩本さんの首が揃ったわけです」


 山岡荘二郎は再度、嘲るように笑った。

「愚かな私立探偵め。貴様は、決定的なミスを犯している。天窓は、内側からクレセント錠で施錠されていたはずだ。どうやって、天窓から萩本の首を放り込むのだね」

「これは簡単なトリックです。天窓の左側のガラス戸は元々固定されていて動かないようになっていました。となると、動くのは右側のガラス戸だけなのです。このクレセント錠は、外側からみると、かかっているのかどうかは分かりません。実際、わたしたちはガラス戸が動かないということだけで、クレセント錠がかかっていると思い込んでしまいました。実際には、クレセント錠などかかっていなくて、内側の溝の上で、定規が横木になっていたのです。その定規は、引き戸の外側からでも容易に仕掛けられます。天窓に手を突っ込み、内側に手をまわして、定規を斜めに立てかけて、引き戸を閉めれば、定規は自然と倒れてちょうど横木になるのです」

 祐介は、一本の定規を山岡荘二郎に見せつけた。それは死体発見現場で見つけたものだった。山岡荘二郎は忌々しく思えてきて、口の中で、インドに伝わる呪いの呪文を唱えた。


「大した知恵だ。よし、確かにその通りにすれば、天窓は施錠されているものと思えるから、密室殺人は完成するというわけだな。よしよし、なかなか利口だ。だがな、何のためにそんなことをしたのだ。犯人にメリットがあるのかね」


「いいでしょう。この事件はそもそも犯人の行動の目的が常に不明確でした。そのために犯人の心理がどのように変化していったのか描けなかったのです。ここで犯人の行動の動機を考えましょう。そもそも犯人の最大の目的は、突然のように小倉、萩本の二人を殺害し、自らは容疑を免れることでした。しかし、それだけではありませんでした。犯人は、三田村執事に容疑をなすりつけようとしていたのです。もっと正確に言えば、三田村執事と小倉さんの共犯に思わせようとしていたのです。わたしにとって、萩本さんの首と小倉さんの胴体があの部屋に並べられていたことの目的はずっと謎でした。しかし三田村執事のコーラに睡眠薬が入れたのは、おそらく彼に深夜のアリバイを作らせないためのものだったのでしょう。それはつまり、彼を犯人に仕立て上げようとしたものなのです」

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