13 小倉犯人説の否定
根来の頭の中では小倉・三田村共犯説がいよいよ濃厚になっていた。根来の目は爛々と光り、猛烈な勢いで、居間に駆け込むと、三田村執事を呼び出した。そして三田村執事の部屋に案内させたのである。
「よし、お前、正直に喋れ! 事件が起こった夜、お前はこの戸棚を開けて、鍵を持ち出したか?」
「い、いえ、わたしは確かに昨日、この戸棚を開けて、展示室と地下の階段横のドアを施錠しましたが、悪用はしておりません」
「じゃあ、開けてみろ」
執事は震えながら、七桁の暗証番号を入力すると、戸棚の鍵が解錠されて開いた。そして戸棚を開くと中にいくつもの鍵がぶら下がっている。
「何の変化もありません」
執事はそう言うと、なにやら安心したような表情を浮かべた。
「なるほどな。じゃあ、この美術品用のエレベーターの鍵をもらっていくぞ」
根来はそう言うと、美術品の運搬用のエレベーターの鍵を掴んで、それを山岡荘二郎に手渡した。
美術品運搬用のエレベーターは、地下階に停止していた。まさに倉庫や工場にあるような巨大なエレベーターであるが、美術品を運搬するためのものだから、ほとんど揺れないのだろう。ドアを開いて、エレベーター内を確認するも、死体を運搬したような痕跡は見つからなかった。
「痕跡なんか残っているわけねえよな。犯人もそこまで馬鹿ではない。まあ、いい。ところで、死体を切断した場所が浴室じゃなかったとしたら、あとはどこが考えられるだろう」
「まだ見ていないところがあります。それは屋上ですよ」
祐介はそう言って、山岡荘二郎の方に振り返った。しかしここから先は、山岡荘二郎がそばにいると捜査しづらいので、彼には居間に戻ってもらうことにした。
二人は、死体が発見された部屋の真向かいにある階段を登った。その上には、屋上に出られる引き戸がある。根来は、ガラス戸を開こうとしたが、降り積もった雪に覆われていてまったく開かない。
「こりゃダメだな。羽黒っち……」
と呼び慣れないあだ名をつぶやきながら、根来は祐介の顔をチラリと見た。祐介は寒気がした。視線を合わせてはいけないと思ってうつむく。しかし祐介はすぐに足元の床を見て、ある確信を得ることになった。
「根来さん。ビンゴですよ。ご存知ですか、ビンゴ……」
「ビンゴの説明はいいから、何を見つけたか教えてくれ」
と根来は呆れた声を上げる。
「ご覧ください。床の黒い塵が明らかに水に濡れた形跡があります。それも真新しい。そんなに時間は経っていないでしょう。そして、これはおそらく拭き取り忘れた血痕……」
祐介はふふっと笑った。白い壁に茶色い液体のようなものがとんで跡になっている。
「確かにそれは重要な手がかりだ。殺人事件と直接関係があると証明するのは難しいかもしれないが、まだ雪が本降りになる前に、このように屋根がついている屋上の一角で死体を解体した可能性はあるな……」
と根来も納得した。
だとしたら、屋上で解体された死体を、この階段を使って三階のあの部屋に移動したのだろうか。それだけのことができるのは、やはり腕力のある男性だろうか。根来と二人で三階に戻ると、祐介は一つ気になる点があるらしかった。死体の発見された部屋の外の廊下の突き当たりーーそれは死体の発見された部屋と目の鼻の先だった。いや、鼻の先と上唇ぐらいだろうかーーに大きな窓があったのである。
「奇妙ですね」
「なにがだよ」
自分には気がつけない矛盾点に祐介がどんどん気がついていくことに根来は、わずかにストレスを感じていた。
「実は今まで建物の構造をチェックしてきていたのですが、この大窓の真下は、ちょうど建物の裏側にあたります。この大窓から死体を突き落とせば、こちら側には窓がないものですから、まず人目に触れないし、死体は降り積もる雪に隠れてしまい、早々には見つからなかったはずです。そして翌日、犯人は車で出かけるふりをして、死体を回収し、どこか山の中にでも捨てることができたと思うんです。それなのに、犯人はわざわざ、この部屋のベッドの上に胴体を横たわらせて、首を床の中央に転がしました。そして文子さんを呼び出したのです、タイマーと手紙を使って……。犯人はまるで、死体を発見してもらいたかったみたいじゃありませんか」
「まあ、そういう犯人なんだろうね」
根来は納得しているらしい。
犯人が死体を発見してもらいたかった、それがいかに異常な状況であるかは根来にも分かる。普通、犯人というものは犯罪をできる限り隠すものだ。異常な状況ということは、その人物が異常な人物であることを意味しているにすぎない、これが根来の持論である。
「もしも、犯人が小倉さんであった場合、彼は死体を発見してもらいたいなどと思うでしょうか。彼は、この館の関係者ではありません。ならば一刻も早く、この館から死体を遠ざけたかったはずです。そうでないと死体を回収するチャンスを失ってしまいますからね」
「小倉が犯人じゃないというのか!」
根来は驚いて声を上げた。
「それだけではありません。もし小倉さんが犯人であったとすれば、自分の存在を匂わせるあんな手紙を文子さんに送りつけたりするでしょうか」
と祐介は言うと、根来は考え込む。
「根来さん。もう一度考えてみましょう。杏ちゃんがドアの閂をかけて、衣装箱に隠れていたこと、すなわち現場が密室となったことは犯人にとっても予測できない出来事でした。つまり偶然の産物であったわけです。だから犯人の本来の意図を知るには、もし現場が密室になっていなかったらどんな状況になっていたか、を推理するしかないのです」
根来は感心して、このことについて深く考え込んだ。
もう一度、祐介は死体の発見現場である部屋に入った。そして室内から天窓を見上げた。廊下の灯りが、逆光になっていてよく見えない。祐介は物置の中央に置かれていた椅子を持ってきて、その上に立ち、天窓を確認する。
「この天窓には、クレセント錠がついていたのでしたね」
祐介が天窓の枠に触ると、左側の一枚の引き戸は元々固定されてあるらしく動かない。右側の引き戸だけが動くのである。二枚のガラス戸によって出来ているこの天窓。なにか仕掛けがあるのだろうか。
「なにか……」
祐介は飛び降りて、物置の中を探りだす。そして、先ほど椅子から床に下ろした白い封筒の上に置かれていた木製の定規を拾い上げた。
「これは……」
そこで祐介はあることをひらめいた。それは、祐介の脳裏に浮かんでいたある仮説を完全に証明するものだった。
祐介は根来を連れて、居間に戻ると、ゆっくりしている楓を捕まえた。
「楓さん。失礼ですが、萩本さんと小倉さんの体型はとても似ていませんでしたか?」
「そうですね。似ていないこともありませんね。どちらも小柄で……。でも、それがどうしたのですか?」
「いえ、なんでもありません」
祐介は、ふふっと笑った。
これで銀泥荘で巻き起こった殺人事件の真相が分かったのだ。祐介はしかし、ある理由から、すぐには動き出さなかったのである。根来にも真実を伝えず、一人黙っていた。
さあ、読者諸君、手がかりは提出された。銀泥荘殺人事件の犯人は一体誰だろうか……?