11 展示室と小倉犯人説
そして事情聴取の最後に、根来は、銀泥荘の主人の山岡荘二郎を呼ぶことにした。
読者諸君は、おいおい、最後ということは、諭吉に事情聴取をしないのか、彼は隠れんぼの最中に杏を見つけられないまま部屋で眠ったという異様な行動をしているじゃないか、それを追求しないでなにが刑事だ、なにが探偵だ、とお思いになるかもしれないが、幼稚園児一人の行動を取り立てて、そのように大袈裟に考えることはあるまいと思う。
山岡荘二郎は、古風な人間らしく、ばりっとしたフロックコートを着ている。時代錯誤的な洋装のオーラが、このクラシックなミステリー小説風な状況にはよく似合っているように感じられる。
「まず、殺された萩本さんについてお伺いしたいのですが……」
山岡荘二郎の古風な雰囲気に、根来も幾分慎重になる。
「ええ、萩本というのは、わたしの大学時代の友人で、当時わたしが参加していた美術研究会のメンバーでした。彼自身、今でも彫刻などを制作しています。わたしは、彼のプライベートはほとんど知りませんね。彼とは美術の話しかしないのです。まあ、芸術活動以外では、平凡な会社員をしているようですがね」
山岡荘二郎はそう言う終わると、さも興味がなさそうに自分の手の甲を撫でまわしている。
そこで祐介が割って入り、山岡荘二郎に質問を繰り出した。
「少々質問してもよろしいですか」
「よろしい」
「萩本さんは、午後十一時半に自分の部屋に戻られたそうですね。それは年越しパーティーの最中で、カウントダウンの三十分前だった。どうも不自然な気がするのですが、年越しパーティーに参加しているのに、年越しの三十分前に戻ってしまったというのは、一体何があったのですか?」
「何も不自然なことはありませんな。彼は「体調が悪くなったから部屋で休む」といって、その場を離れたのですよ」
すると萩本も杏と同じように何者かに睡眠薬を盛られたのかな、と根来は想像した。しかし睡眠薬を飲んで、体調が悪くなるというのも不自然である。
この後、根来による事情聴取はさらに進んだ。
「なにか、萩本さんが殺された理由に心当たりはありませんか」
「犯行の動機、ですな、すなわち……。しかし、彼はある意味では性格もクセがあるし、敵は多かったんじゃないでしょうかね。実際に小倉と揉めているところを見たことがあります」
「行方不明の小倉さんですか。どんなことで揉めていたのですか」
根来は、ついに重要な手がかりが得られるかと思って、興奮気味に机に乗り出す。
「いや、知りません。しかし美術に関する揉め事でしょう。それしか興味のない連中ですからな。それはわたしも同じだが……」
そう言うと、山岡荘二郎はさも愉快そうにふふっと笑って、根来の顔をまじまじと見つめた。根来は反応に困って、視線を逸らした。
「昨晩の午後十一時半以降のあなたの行動を教えていただけますか?」
と根来は気を取り直して尋ねる。
「アリバイというわけですな。ふっふっふ、面白い。わたしは夜遅くまで、美術品の展示替えを行っていたのです。そういう点では、わたしのアリバイは無に等しいですな、これは確かに。しかし、アリバイから犯人を暴き出そうとするのも、犯人の動機から暴き出そうとするのも、そもそも無理な話ですよ。彼が午後十一時半頃まで生きていたのは、はっきりしているし、一時頃に年越しパーティーが解散となってから早朝までは、皆部屋で眠っていたことでしょうから……。そして、犯行の動機については、これは他人には結局分かり切らないものです。つまり個人的な事情というやつはね……。人はささいなことで他人をいとも容易く殺害しますからね。それに、萩本のプライベートをそんなに熟知している人間がここにいるとは思えませんね」
あまりにもふてぶてしい物言いに、根来は圧倒されてしまって、
「それは確かにそうですね。山岡さんがそう仰るのなら……」
と、あからさまにたじたじになる。なにやら山岡は、手強いオーラを醸し出しているのだ。
「ええ、それよりも、いまだに行方不明の小倉について、調べるべきではないですか?」
と山岡荘二郎はじろりと根来を睨んで、小倉犯人説を匂わせる。
「ああ、連絡がつかなくなっている、という……」
「ええ、彼が今どうしているのかまったく知りませんが、小倉と萩本はあまり仲が良くなかったのでね」
と山岡荘二郎は意味ありげに笑う。
「以前、わたしがあまり気に入らないロシア美術の絵画を誰かに譲ってしまおうと思った時も、萩本と小倉の間で、どちらがそれを受け取るかで争いになってしまいましてね。その時、その絵画はロシア芸術に造詣の深い萩本に渡しましたが、小倉はそのことをずっと恨んでいたようですね。犬猿の仲ってやつですよ」
根来は、そうなのかもしれない、と思いつつも、動機などから犯人は分からないと言いながらも、小倉の動機を匂わせてくる山岡荘二郎に陰険な性格を感じた。
「小倉さんは最近、あなたの美術品をよく購入していたのだそうですね」
「購入……? ああ、そうですね。この前も中国の書を一枚持っていきましたね。あれは宋代の有名な書家のものです」
「金襴手の伊万里焼きとか……」
「ああ、あれは素晴らしいものだった……」
山岡荘二郎は、その美術品のことを思い出したらしく、うっとりと目を細めていたが、しばらくして悲しげにうつむいた。
祐介は、このことに疑問を感じた。なぜ、そんなに気に入っている美術品を他人に売ってしまったのだろう、美術評論家ともあろうものが安易に手放すものだろうか、と思った。
「ところで、この別荘内に、たとえばあなたの展示品の中に、銀色の仮面、黒装束、ソフト帽などはありませんか?」
と根来は追求する手段を変更する。
「それはありますよ。日本の戦前の退廃したムードの中で上演されていた演劇で実際に使用されていたものです。結局、その演劇は、戦後しばらく上演されていて、それからもずっと劇団が保管していたのですが、その劇団が解散することになって、先月、わたしが譲り受けてきたのです……」
根来が興奮した様子で、前にのめり出す。
「もしかしたら犯人が使用したのは、その仮面かもしれませんな。後ほど、実物を確認させていただけますかな!」
「ええ、構いませんよ」
山岡荘二郎は、あまり関心が湧かないのか、無表情で自分の手の甲ばかり撫でている。
このようにして、事情聴取を終えた羽黒祐介と根来警部は、山岡荘二郎と共にエレベーターに乗り、三階の展示室へと向かった。
「このエレベーターには、防犯カメラがついているのですね」
と天井の角についている防犯カメラを眺めて、根来は尋ねた。
「その通りです。この別荘には、貴重な美術品が多数置かれている展示室と収蔵室がありますからな。もちろん、この別荘は高い塀に囲まれていて、部外者の侵入は不可能と考えておりますが、もしものことがあってはと考え、こちらのエレベーターには防犯カメラを設置しました」
「その映像、後で確認させていただけますか」
「わかりました」
もしかしたら、重要な手がかりが映っているかもしれない、と祐介は思った。すぐにエレベーターは三階に到着した。
エレベーターから廊下に出るとすぐのところに展示室はある。入り口の観音開きのドアは赤く塗られ、中華料理店を思わせる絢爛たる外見だ。ドアは、鍵で施錠されているらしく、荘二郎は防犯性の高いディンプルキーをポケットから取り出して、鍵穴に差し込み、解錠する。
「こちらの鍵は、どなたが管理されているのですかな」
と根来はすぐさま質問する。
「一階の三田村の部屋に、この邸宅のすべての部屋の合鍵と、展示室の鍵と、エレベーターの鍵をしまっている戸棚があるのです。それは七桁の暗証番号を入力しないと開けられない仕様になっています。その暗証番号を知っているのは三田村だけです。わたしも知りません。しかしながら、本日はわたしが展示替えを行っていたので、午前三時頃まで、展示室は施錠されておりませんでした。展示品の整理が終わった後に、三田村が施錠したのです」
なるほど、と根来は頷く。つまり午前三時までは誰でも展示室に出入りすることができたわけだ。
室内に入ると、まず彼らを出迎えたのは、西洋絵画、中国の磁器、アフリカの彫刻、日本の漆器や陶磁器の数々であった。展示室は長方形であり、交互に展示台によって仕切られていてるので、動線はS字に曲がりくねりながら奥へと奥へと入ってゆくものになっている。
「お二人ともご覧ください、この備前焼きを。展示替えをした時に、この備前焼きの壺を地下の収蔵室から持ってきたのですよ」
と突然、誇らしそうに山岡荘二郎が微笑んだ。祐介と根来が何事かと思って見ると、展示品が並んでいる展示台の上に、見事な壺が置かれている。黒く焼き焦げた土のような地肌に、緑がかった釉薬が幾筋も垂れていて美しい。高さは、25センチといったところだろうか。
「山岡さん。すみません。あの仮面と黒装束はどこでしょうか……」
と根来が不満げに言った。
「失敬しました。こちらです」
と山岡荘二郎は謝ると、さらに展示室の奥へ奥へと二人を導いてゆく。その時……。
「ありませんな」
山岡荘二郎は、低い声でぼそりと呟いた。
「仮面が、ですか?」
「ええ、この展示台の上に置かれていたはずの黒装束と銀の仮面とソフト帽がなくなっているのです。誰かが持ち出したのかもしれませんね。ただ、この展示室は、午前三時まで施錠されていませんでしたから、それ以前であれば誰でも盗めたわけですが……」
と言いつつも山岡荘二郎、首を傾げる。
「すると、犯人がつけていた黒装束や銀の仮面やソフト帽はやはり展示品だったというわけですね」
と根来は状況の確認をする。
「そうなりますね」
「しかし三時まで、あなたは展示替えをしていたのですよね。この衣装がなくなっていることに気がつかなかったのですかな?」
と根来は、矛盾点を見つけ出したような気持ちになって、すぐに指摘する。
「展示替えといいましても、こんな部屋の奥の方までは立ち入りませんでしたからね……」
と山岡荘二郎は、根来のしたたかな意図を理解したらしく、じろりと睨み返す。
「そうでしょうな。あなたが、この黒装束と銀の仮面を最後に見たのは、いつですか?」
「さあ。しかし、年越しパーティーの最中に、萩本、星野文子さん、そしてわたしの三人でここに訪れた時には、確かにあったと思うのですが……」
「それは何時ですか?」
「七時頃でしょうか。正確には分かりませんが……」
根来はその言葉に頷く。一応は信用しても良いだろう。ということは、犯人が銀の仮面、黒装束、ソフト帽を盗んだのは少なくとも午後七時以降である。
「これはなんだろう……」
その時、山岡荘二郎は展示台付近の床を見下ろして、ぼそりとつぶやいた。そこには銀色の懐中時計が落ちていた。
「これは奇妙だ。根来さん、ご覧ください。これは小倉が持ち歩いている懐中時計ですよ」
「なんですって、行方不明の小倉さんのものですか!」
と根来は驚きの声を上げる。そして、根来はハンカチを取り出すと、さっとそれを拾い上げる。手の中でくるりと回転させると、側面に「M・O」のイニシャルが刻まれている。
「間違いありませんな。ということは、行方不明の小倉さんがこの黒い衣装と銀色の仮面とソフト帽を盗んだということじゃありませんか。そして懐中時計を落としてしまったのでしょう。これで犯人が小倉であることは間違いありません。ねえ、山岡さん。殺人鬼である小倉さんがこの邸宅のどこかに隠れているのかもしれません。居間の皆さんにすぐに注意を促してください」
と根来が言うと、山岡は眩暈がしたようにくらりと揺れて、きっと宙を睨むと、
「わかりました!」
と言って、展示室から走って出て行った。
「どうだ、俺の推理、いつになく鮮やかだろう?」
と根来は嬉しそうに祐介に尋ねる。
「うーん。あんな大きな懐中時計を落としたら普通、物音が鳴りますよね。小倉さんが犯人だとして、彼は相当に気を配っていたはずです。彼はその音に気づかなかったのでしょうか?」
「ううん。そう言われると、相当間抜けな犯人だったと言うことか……」
根来にとって、この懐中時計は、小倉が間抜けな犯人だったという証拠にしかならない。
「疑問はそれだけではありません。犯人は今回、凶行を行うために、黒装束と銀の仮面とソフト帽を盗みました。そして、それで正体を隠して犯行を行ったのです。しかし、考えてみるとおかしいではありませんか。なぜ、そんなことをしたのでしょうか。なぜ犯人はわざわざ危険を犯してまで、夜中に展示室に入り込み、そんな衣装を盗み、星野文子さんの前に姿を現したのでしょう。そして何故、自分の正体を隠すための服装をどうして事前に用意してこなかったのでしょう?」
羽黒祐介は、その点がどうも引っかかっているらしい。
「犯人には犯人なりの都合があったんじゃねえかな……」
と根来は、ひどく物分かりのよい発言をした。
「根来さん。その都合は一体なにか、ということなんですよ。根来さんはどう考えますか」
「星野文子の前に姿を現した理由は、そりゃあ、星野文子を殺害するつもりだったんじゃないか。そのためには姿を見せなくちゃいけない。だから正体がバレないように盗んだ衣装を身にまとったんだよ。なんか布を手に持っていたというじゃないか、クロロホルムを嗅がせるつもりだったんじゃないか」
と根来は、小倉犯人説のことで頭が一杯になっていて、いまいち祐介の指摘が理解できないでいる。
「それも考えてみるとおかしいんです。怪人は、廊下に立っている文子さんの背後から現れました。怪人はどこに隠れていたのでしょう。僕が現場検証の際に確認したところ、死体発見現場の真向かいには、屋上への階段があって、人が隠れるだけの死角があることはあるんです。ところが、その死角から部屋のドアまでは5メートル近くありました。本人に気づかれずに容易に近づけるほどの距離感ではなかったんです。実際、怪人はかなり早い段階で文子さんに気づかれたために逃げられています。この計画はあまりにもずさんなんです」
「まあ、しかし、不自然な点があることは否めないな。もっと上手い手があったんじゃないかという気もする。星野文子を殺害するということであればな……」
根来は、羽黒祐介の指摘する不自然な点に共感した。しかし、それでも根来にとって小倉犯人説は揺るぎない持論となっていった。