10 金襴手の伊万里焼き
根来は次に料理人の上沼を事情聴取することにした。上沼は、いかにも不機嫌そうな表情を浮かべていた。根来の事件の説明を聞いて、腕組みをしたまま黙っていたが、ゆっくりと静かな話し方で、
「犯人が誰かは存じません。わたしは料理の後片付けで二時頃まで眠ることもできませんでした。その間、ずっと一人の作業です。したがって、アリバイを証明することはできません」
と言うと、首を横に振った。
「冷蔵庫にコーラがあったと思うんだが、これについて、何か知っているかね」
「コーラですか。三田村さんのものでしょう」
「勝手に飲まれていたそうだが……」
「存じ上げません」
「手を触れなかったかな」
「ふん。あれは三田村さんのものですからね。わたしがどうして触れるのですか……」
と上沼は、幾分不機嫌そうに笑った。
「なるほどな。それじゃ、昨日の十一時半以降の行動を教えてくれ」
「わたしは、基本的にはずっと厨房にいました。年越し蕎麦も作らなければならないし、食器の後片付けも、一人で大変でしたよ。まあ、三田村さんも手伝ってはくれていましたが、彼は料理ができないので……。皆さんの食事が終わり、午前一時半頃にはようやく自由になれたので、入浴しようとエレベーターに乗って、地下の大浴場へ向かったのですが……」
そういうと彼はなにか訳ありげに口ごもった。
「どうしたのですか?」
「浴場の入り口に「使用禁止の札」がかかっていたので、諦めて帰ってきました。あの札は主に、誰かが入浴をしている場合に他人が入ってこないよう、かけておくものです。そんなところでご婦人と出会ってしまうと、困ってしまいますからね。それで諦めて、部屋に戻ってベッドで寝入ったわけです。まあ、そんな具合です」
そんな時刻に、誰かが浴室で入浴していたのだろうか、しかし、今のところ、そんな時刻に入浴していたと証言している人物はいない、と根来は首を傾けたが、
「分かった。ありがとう」
と伝えた。
料理人の上沼に続いて、山岡楓を呼ぶことにした。楓は、事件に巻き込まれて、すっかり落ち込んでいる様子であったが、室内に入ってきて、祐介の顔をみると、少し笑顔が戻ったようだった。根来の方には見向きもしない。そこで祐介が代わりに尋問することになった。
「羽黒さん……」
「お嬢さん。もう少しの辛抱ですから、どうか捜査にご協力ください」
と祐介は相変わらずの美顔で訴える。
「わたし、協力します。なんとなりとおっしゃってください」
「午後十一時半以降のあなたの行動について教えていただきたいのですが……」
と祐介が言うと、楓はううんと唸って、
「年越しのカウントダウンをして……一時には眠ってしまいました。それからしばらくの間、夢の中を彷徨っていたので、残念ながらお役に立てそうな話はありませんね」
と申し訳なさそうに言った。
「なるほど。深夜に入浴はしていませんね?」
「入浴だなんて、まあ……、していません」
と楓は顔を真っ赤にしてうつむくと、ちらりと祐介の顔をうかがう。祐介はこの反応に困ってしまった。
「それでは質問の内容を変えましょう。萩本さんが殺害された動機になにか心当たりはありますか?」
と祐介は涼しい表情に戻して尋ねた。
「そうですね。わたし自身は萩本さんとはあまり付き合いがありませんので、その、つまり父親の知人なものですから、なにも動機に心当たりは……」
捜査協力したいのにできないのがもどかしいのか、楓は少し悲しげに微笑んだ。
「でも、萩本さんのことはよく分かりませんが、小倉さんは最近、羽振りが良いようでした。彼は、なにをされていたのかよく知りませんが、貧乏でしたので、あまり美術品を持っていなかったのですが、最近は父親のコレクションをいくつも買い取っているようで、この前なども、父親が大切にしていた金襴手の伊万里焼きを買い取ったらしく、ご自宅に持って帰っていました……」
「金襴手の伊万里焼きをね……」
祐介は、この情報をどう解釈してよいのか困った。しかし小倉の生活面になにか変化があったことは確かだろう、と思った。
続いて呼ばれたのは、山岡荘二郎の妻の富士江だった。富士江は、わたしに関わらないでほしいというオーラを醸し出していた。
「わたくしは何も存じません。そもそも、萩本さんとわたしは何の付き合いもありませんからね。萩本さんは確かに立派な彫刻家でございますけれど、主人のお友達なのであって、わたしとは無縁の方ですからね」
「小倉さんについてはどうですか?」
と根来は質問の内容を変える。
富士江は、じろりと根来の顔を睨みつけると、
「わたしとは無関係です。なにか関係があると思いますか?」
と言い切った。根来は呆れて、やれやれといった疲れた目つきで祐介にアイコンタクトした。
「わかりました。それでは、質問を変えますが、深夜一時頃、入浴されましたか?」
「まあ、下品な質問ですわね」
と言って、富士江は軽蔑したように根来を見下す。
「そんな時間に入浴するわけないじゃありませんか」
と不機嫌に言うと、彼女の鼻息は荒くなった。
富士江にもアリバイはなかった。彼女も、一時頃には部屋に戻って、眠ってしまったそうだ。いよいよ深まる謎。
気になるのは、上沼が見たという浴室の「使用禁止の札」である。何者かがこの浴室に誰も入ってこないようにしていたことは間違いない。しかし、その理由とは一体何だろうか。