第39話 本番
その日はとてもよく晴れた、気持ちのいい天気だった。
寒い日が続いていた中で不意に暖気が灯ったような、唐突に気温の上がった日で。正午には、コートを着込んでいると冷気などまるで感じないくらいだ。
風もない、穏やかな日。
十二月最後の土曜日。午後四時。
蛍はハリの家の応接間で、ソファに腰かけていた。
隣にはハリがいて、ローテーブルを挟んで反対側のソファには引き締まった体をスーツに押し込んだ男性がいる。
蛍にとって初めての依頼人となってくれた、林龍二だ。
いつものように藍がお茶を淹れて、持ってくる。
三つ置かれた紅茶のカップ。その三角形の真ん中に、預かっていたあのブレスレットが来た時と同じようにお菓子の箱に収まって鎮座している。
「さあ。じゃあ、お互いに準備がよろしければ、始めますか?」
藍が静かに応接間から出ていくと、林が紅茶のカップに口をつけるのを待ってから、ハリが切り出した。
「あ、は、はい。えっと……」
返事というにはかなり曖昧なことを口走りつつ、蛍は盗み見るように林の様子を窺った。
ハリの家に現れてからというもの、必要最低限のこと以外、林はまだ口を利いていない。見るからに生真面目そうな顔立ちをさらに生真面目にさせて、戦に挑む武士のような様子でソファに腰を沈めている。
彼が依頼を取り消そうとしてきたときのことが、頭をよぎる。
蛍がブレスレットの調石を続けられたのは、それが若手の育成に繋がるであるとか、そういうことに繋がると林が思ってくれたからで、彼が想輝石に込められた想いを聞きたいと考え直したからではない。
あれからしばらくたって。林は今どういう思いでここにいるのだろう。
このブレスレットに対して、どんな思いでいるのだろう。
ややあって、林は深く息を吸い込むと、堅苦しい仕草で頭を下げた。
「お願いします。兄のブレスレットの中に入っているという声を、聞かせてください」
蛍とハリは目を丸くさせて、互いの顔を一度見合わせた。
蛍は思いがけないという気持ちから。ハリはどうやら少し違って、ほっとしたような面持で。
「……いいんですか?」
なにも聞かずにスマートに始めたりはできなくて、蛍は林に尋ねた。
林がどういうつもりでそう言ったのか、わからないのが不安だったから。
「はい。あれから私も考えまして」
くしゃりと表情を崩すように、林は苦笑した。
「憐れむあまり、私自身、兄と真正面から向き合ったことはなかったんじゃないかと。思い返してみれば、兄が本当はなにを考えて過ごしていたのか、わからないんです。きっとこうだろう、ああだろうと想像することは山ほどありましたし、そのたびに……考えたくないと目を背けてきましたが。腹を割って、嘘偽りない気持ちというのを聞き出したことはなかった」
だから余計に恐ろしく、おぞましいようにも思えた。
すでにこの世を去った兄の『本心』が石の中に入り込んでいるだなんて。
これまで自分が想像したことのある、一番聞きたくないものがそこにあると思えて仕方がなかった。
「これは最後のチャンスなんだなと思ったんです。わかっているつもりになって目を背けてきた兄と向き合えるのは、きっとこれが最後なんだろうと……。いや、兄から私は見えないでしょうから、私が一方的に彼を見るだけなんですが」
いや、声だから『聞く』なのかな。
そう言って林は苦笑を重ね、今度はラフな仕草で頭を掻いた。生真面目に強張らせたよそ行きの顔でない林だ。
胸を張って座っているときに感じてしまう威圧的なものはなく、普段、例えばスーツを着ていないときの林はこんな感じの人なのかもしれないと蛍は思う。
「以前はごちゃごちゃと申しましたが。今日は腹を決めてきました。よろしくお願いします」
再び顔を引き締めると、林は膝の上で手を軽く握り、もう一度武士のように頭を下げた。
「あ……は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
弾かれたように顔を上げて、蛍もまた頭を下げる。
よろしくお願いします。
こんなにも、この言葉通りの気持ちになるのは初めてのこと……な、気がする。
実際のとこと、前にもあったかもしれないけれど。なにもかもが改めてかんじられるような心地になるのだ。不思議と。
不思議と……想輝石というものに、触れ始めてから。何度も。
「始めますね」
林へというよりは、自分へ向けて。蛍はそう口に出すと、ずっと静かに膝の上で待っていた石琴へと、視線を向けた。
乳白色とか、緑白色とか。そんな名前で呼ぶんだろうか。白っぽく霞を取り込んだような半透明な石たちが、表面を綺麗に磨かれて並んでいる。
そうっと指先で触れると、ひんやりと冷たかった。
すっかり馴染みになった、硬くて冷たい石の感触。
ゆっくり、深く息を吸い込んで。それを細く糸のように吐き出しながら、蛍は指に覚え込ませた順番通りに石琴の音を奏でる。
初めは、中央よりやや右側の石だ。その真ん中を。
続いて隣の石の少し上。左側の端の方を、左の小指で押さえながら、右手の人差し指でいくつかを順番に叩く。
音が鳴る。
微かな、けれどはっきり空気を震わせる音だ。
音は柔らかく、ふんわりとしている。徐々に大きく、感じる振動が明確になっていく。のびやかな音が続く。ポーン、と。ボールでも放るように。軽やかに、温かく。
やがて音は、声に変わった。
しばらく投稿が途切れてしまい、すみませんでした。お待たせいたしました。次もなるべく早くに投稿できるよう準備いたします。
終わりまで、あと少しになります。どうか最後までお付き合いいただけたら、幸いです。




