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想輝石と奏で手の蛍  作者: 十目六子
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第13話 失言


 まだマフラーだのコートだの口にするのも嫌だった、夏休み最中さいちゅうの八月の出来事できごとだ。


 大学一年の夏休みだ。蛍は単純に、自由にできる金がほしくて空いた時間さえあればバイトを入れていた。

 大学に入ってすぐに始めたバイトだったから、そのころにはもう同じ職場の人とはかなり話すようになっていた。それなりに、親しそうにもしていた。

 店の外でも連絡を取って会うかというと、そんなことはしなかったけれど。この職場では、なるべく愛想あいそよく、周囲に合わせてそつなくこなそう。そういう気持ちで、毎日同じバイトの仲間に接していた。


 蛍は昔から、自分の気持ちを言葉にするのが得意ではなかった。

 引っ込み思案と言えばそうだけれど、そのうえ斜に構えたところがあり、どうせ言っても誰も自分の本当の気持ちなどわかりはしないのだと考えていた。

 だって自分も、誰かの気持ちなどわからないのだから。


 ありがとうと言われても、相手が本当に喜んでいるかなんてわからない。

 ごめんなさいと言われても、相手が本当にいているのかなんてわからない。


 目に見えないじゃないか。

 嘘かもしれないじゃないか。


 そんな大した嘘をつかれた記憶もないのに、そう考えていて。

 そう考えることで自分の中のとても柔らかいものが守れるような気がしていた。


 そんなある日の、暑いある日の出来事だった。


「あいつ、女と付き合ってるってマジだったって」

「え、相田あいだ? はー、彼氏作るつもりないって言ってたのは、そういうことだったわけだ」

「ただの噂にしちゃ、いかにもっぽいですもんね、相田先輩。髪型とか服装とか、かなり男っぽいし」


 新しく注文も入らず、厨房ちゅうぼうひまを持て余していた蛍のすぐ近くで、そんな話が始まった。

 話しているのは同じ厨房担当の、大学生たちだ。ひとりは二年生、あとのふたりは三年生。

 話題に上っているのは相田という女性で、彼女は大学四年生だ。


「レズってやつだ。もったいねぇなー、結構美人なのに」

「いやホールやってるときはスカートだからそうでもないけど、普段は完全に男だろあれ。女が好きってのも頷けるわ」


 はは、と誰かが笑う。


「なあ、三門もそう思うだろ?」


 誰かが蛍にそう言った。

 だから蛍は、ははと笑った。


「いや、あんま俺普段の相田さん見てないんでよくわかんないですけど」


 そう言ってから。


「それって、同性愛者ってことっすよね? 本当にいるんですね、そういう人。俺初めて見たかも」

「俺もー。え、恋人いるんですかね」

「なに、女の?」


 その辺りから、話題は少し下世話になった。

 恋人同士の情事の話に踏み込みそうになり、互いの間でどこまで話題にしていいものか突然間合いの測り合いのようなものが起こる。


 それがなんだかわずらわしくて、話を打ち切りたくて蛍はやめましょうよと笑いながら言った。


「なんか気味悪いですよ、女同士とか」


 その瞬間だったのだ。

 真正面にいた大学二年生の先輩が一瞬顔をこわばらせ、逃げるようにコンロへ向かった。


 それですぐに蛍もわかった。

 視界をめぐらせると、さっぱりとしたショートカットの女性が厨房(はし)の水道で手を洗っていた。

 今の今まで話題にあがっていた『相田(ひかり)』だ。

 明らかにスポーツをやっているだろう健康的な体つきで、目じりの上がった気の強そうな大きな目をしている。その大きな黒目が、ぐるりと見渡すように厨房の面々を見た。


「おはようございます」


 血色けっしょくのいい唇を持ち上げて、彼女は職場であるキッチンへと颯爽さっそうと出て行った。


 厨房にはしばらく、ぎこちない空気が流れた。


 ややあってから。


「びびったー」


 誰かがそう言い、張っていた緊張がだらしないほどにゆるむ。

 そこからもう普段通りだった。

 ホールから数十分ぶりの注文が入り、コンロが稼働し始める。


 蛍もセットのサラダの用意を始めた。


 レタスを盛って、きゅうりを並べる。


 飲み込めないかたまりが喉のあたりでつっかえていた。




 相田はその翌月、九月の末でバイトを辞めた。

 理由を蛍は知らない。

 だけど蛍は、十月の末でバイトを辞めた。

 あのままあの厨房で、これまでの約半年間と同じような顔をして談笑はできないと、そう思って決めたことだった。


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