7 入江の町マナハ
町を囲む壁は厚くて、入るところがないと思ったけれど、回って行ったら崩れて穴が開いているところがあった。私の身体でぎりぎりの大きさの穴は大人では無理だろう。先に入ってみて、誰もいないことを確認してからアーシジルを中に入れた。
壁の中は薄暗かった。人の気配はするけれど、あまり生きている気配がない。街の裏側まで回ってしまったのが良くなかったのだろうか。物音を立てないようにして、喧噪のあるほうへ向かった。まずは毛皮を売って食料を買いたいと思ったからだ。
町には驚くほどの人間がいた。私たちみたいな年頃の子供も荷を持ってうろついている。決まった場所で物を売っている大人と、必死で道行く大人を呼び止めて荷を売ろうとしている子供がいる。目指すのは子供のほうだ。
「おい、汚ねぇな。毛皮売るならあっちの端に行け」
どん、とぶつかった男に腹が立ったけれど、いいことを教えてくれた。アーシジルの手を引いて急いで男が言った方向へ向かう。すると、毛皮を置いて売っている大人がいた。じっと見ていると、私の持っている毛皮と同じものを銀色のお金三つで売っている。私の持っているほうが大きいし処理も綺麗だ。
「毛皮を売りたい」
アーシジルには見える位置で隠れさせた。破裂しそうな心臓を抑えて、声が震えないように地面の感触を忘れないように、毛皮売りの男に声をかけた。
「ああ? どれだ。これなら銅五がせいぜいだな」
「銅五?」
「ああ、ほら」
さっきの色とは違う、茶色いお金を五枚出された。数は多いけれど、この男は私を馬鹿にしていると思った。
「じゃあ売らない」
毛皮を取られそうになったのをさっと引き戻して、逃げようとした。大人は怖い。
私には無理だ。こんな難しいこと、どうしたらいいの。お父さん、私はアーシジルを守れない。
「待った。くそ、ガキのくせに交渉か? 仕方ねえな、銀イチでどうだ」
男が、さっき出していた銀色のお金を一枚出していた。さっきは三枚で売っていた。でも、私相手にこれを三枚も出してくれる人がいるかわからない。茶色いの五枚よりは上みたいだから、これで売ってしまう……?
「おいおい、おっちゃん、シラットの皮でそんないいやつが銀イチ? 俺が銀三で買ってやるよ」
「またお前か! 商売の邪魔すんな!」
私よりも少し大きいだけの少年が、毛皮をひょいと取り上げて触り心地を確かめている。私の手に銀色のお金を三つ落とすと、「貰ってくな」と歩いて行ってしまった。
「おいガキ! 商売には許可がいるんだ! お前許可証持ってるんだろうな!」
銀イチだと言った男が、怒鳴りつけてきた。恐ろしくて堪らなくて私は逃げ出した。男は追いかけてこなかった。アーシジルはついてきていて、ほっとした。守ろうと思っていたのに、逃げることしかできなかった。
「アー、だいじょうぶ?」
「うん。ソリス、茶色いのがこれと、白いのいっこがいっしょ」
両手を広げて、アーシジルが教えてくれた。周りを見ていて気付いたらしい。
彼は賢くて、一度教えたことを忘れないし。そのかわり危険に対する意識は低くて、知らない人にも話しかけていくから慌ててしまう。
「アーはすごいね。私、細かいの苦手だからアーに頼んでいい?」
「うん!」
毛皮はその日のうちにほとんど売れてしまった。お金がずっしり重くなったけれど、見えないように服の中や靴の中に隠した。私たちは子供だから、取り上げられてしまうかもしれない。
現に、ひと気のないところで、殴られて持っていたものを取られている子供を見かけた。目をつけられたらおしまいだ。
「ソリス、あれ」
寝るところをどうしようと悩んでいると、アーシジルが布がたくさんあるところを指差した。服を売っている。
「こじきにやる服はねえぞ」
「金ならある」
銀色を一枚見せると、私とアーシジルに合う服を出してくれた。
「子供用のはこんだけだ。銀イチなら4枚までだ」
「アー、どれがいいかな」
「これと、これと、これと……」
アーシジルが私の服を三枚、自分のを一枚選んだ。ニコニコと嬉しそうに笑っていたけれど、私に選んでくれた赤い服をやめて彼の服を増やした。
「これちょうだい」
「あいよ」
久しぶりの服は嬉しかった。裏で着替えてもいいと言うので、警戒しながらも有り難く着替えさせてもらう。
「子供だけで出て来たんなら、教会に行くといい。あの高いのが見えるやつだ」
「ありがと!」
服売りの男が町の中に聳え立つ旗の立った塔を指差した。私のいた村に教会はなかったけれど、父からそういうものがあるということは聞いていた。
私が何かを言う前に、アーシジルが満面の笑顔で礼を言った。欲目を抜きにしても、彼は可愛い顔立ちをしているから効果は覿面だった。
「間違っても女の子が野宿なんてするんじゃないぞ」
服売りの男の言葉に、彼が私たちを姉妹だと思っているとわかった。彼に出されて買った服は全て女物だった。
「ソリスといっしょ」
裾が広がる服が楽しいらしく、くるくると回るアーシジルはどこからどう見ても美少女だ。
一方で、私は赤毛がバレないように泥で髪を茶色くしているから、酷くみすぼらしいだろう。服売りの男は、よく私が女だと見抜いたものだ。
人を信じることは怖いことだけれど、多少は信じていかないと何も進めない。むしろ今日の行く先が決まって良かったと思うことにした。
「私から離れちゃだめよ? 一緒に教会に行こう」
「うん」
アーシジルの紫色の瞳が、興味津々にあちこちを見ている。途中の川で洗ったりはしていたけれど、彼の銀色の髪も薄汚れて灰色になっている。今はその方が都合がいいかもしれない。目立つのは危険だ。
教会という建物は、遠くから見て想像していたよりもずっと大きかった。正面には綺麗な格好の人々がひっきりなして出入りしていて、私たちのようなみすぼらしい格好の子供はいない。
怖気付いていると、アーシジルが私を引っ張った。彼の指し示す方向を見ると、同じような年頃のみすぼらしい子供が教会の端でチョロチョロしている。
近づいていくと、ひとりの女性が私たちを見た。
「あら、初めて見る顔ね。きょうだいかしら。どうしたの? 困っているの?」
「あの、お金、少しならあるから、寝るところを貸してください」
何度も心の中で復唱した言葉だった。町の中の人間は、剣を持っているものも少なくてあまり怖くない。
「あら、寝るところに困っているならお金はいいのよ? どうしてもというのなら、教会への寄付として預かりますね」
銀色は出してはいけない。数枚の茶色いのを出すと、少しだけ女性の顔が曇った。その表情はほんの一瞬だったけれど、私とアーシジルの警戒心を呼び覚ますのには成功した。
内心はわからないけれど、水瓶いっぱいの水と寝台のある部屋を貸してくれた。部屋の扉を開かないようにして、二人で久しぶりに体を拭いた。
さっぱりして、アーシジルが初めての寝台を楽しんでいると扉がコンコンと音を立てた。
「開けてもいいかしら」
「あっ、はい」
木のトレイに、パンとスープを乗せた女性が入ってきた。視線はアーシジルに釘付けになっている。
「あの!」
「あらごめんなさい、妹さん可愛いわね。これ夕飯ね。お盆は外に出しておいてくれていいから、部屋の外には出ないでくれるかしら」
「はい。ありがとうございます」
「いいのよ。困ったひとを助けるのが教会のつとめです」
いいことを言っているのに、その目はアーシジルを値踏みするように見ていて気分が悪かった。
その晩、私はアーシジルと一緒に寝台の下に潜り込んで眠ることにした。