6 町へ向かう
二人でテラの川に沿って山を下りることにした。テラは川の名前で、この辺りでは一番大きな川だ。小さな川を辿っていくと、必ずテラに合流すると父が言っていた。
川の先には町があり、町ではたくさんの人がいるんだと聞いていた。
「たくさん? 村の人全部ぐらい?」
「もっとだ。村の人たちみーんな集めて、それを十は集めても足りないぐらいだよ」
「十……」
私は両手の数だけしか数字がわからない。たくさんになるとどう呼んでいいかわからなくて、嫌になってしまう。
「町にはあちこちから人が来て帰っていく。だから見たこともないようなものが、たくさん売られているんだよ。ソリスが大きくなったら行ってみたらいい」
小さな村で全てが完結していたのに、父がそう言ったのは、私の未来を案じてのことだったのかもしれない。私と同じ年頃の子供は男児ばかりで、家に男がいなければ婿を取れば良かったけれど弟が生まれたから。
器量が良ければ嫁としても大事にされるが、私は同年代の子供達と折り合いが悪かった。赤みがかった髪が気持ち悪いと笑いものにされていた。私を嫁に取る奴はとんだ貧乏くじだと聞こえよがしに言われたものだ。あんな奴らに嫁ぐぐらいなら、村を出るのも一つの手だったのだろう。
両親が村の端で暮らしていたのは、赤毛の子が生まれやすい家系だったからかもしれない。シジルを折った裏切り者のギィが赤毛だったから、赤毛は嫌われる。
ギィは古い歌に出てくる魔物の名前だ。
「裏切り者のギィ、シジルが欲しくて村を燃やした。
村を燃やした炎はシジルも燃やして、ギィは次の村へ。
次々燃やして、シジルは手に入らない。
ギィは怒ってたくさん燃やして進んだ。
ギィの髪は炎の色。
神の怒りに触れて、今は闇の中」
懐かしい歌を口ずさむと、アーシジルがたどたどしく真似してきた。彼は何も知らない。教えられるのは私しかいないから、教えてあげなきゃ知らないままだ。
両親との思い出を辿るように私はアーに知っていることを話し続けた。
大人は怖いけれど、私たちは何も知らない。このまま隠れて生き続けるのは難しい。町でも、よく見ていればわかるはずだ。悪い奴はわかる。私ならできる。生き延びる術を、一つでも多くアーと身につけるんだ。
山を下って見えてきた川を見つめて、父を思い出しふていた。山を降りたらあとは草原しかない。川沿いを延々と歩いていくのは危険だけれど、草原の草より私達の背丈のほうが低いから目立たずに移動できるはずだ。
「ソリス?」
黙り込んだ私をアーシジルが心配している。彼は幼いなりに頑張って歩いている。背は小さいままだけれど、最初の弱々しさがなくなった。
暑さも寒さも少ないこの時期なら、歩いて行けるだろう。川の水は飲めるはずだし、川に危険な動物はいなかったはず。
「町に行こう、アー」
小さなアーシジルの手を握りしめて、足を踏み出した。二度と守れないなんてことがないように、私は強くなる。
川沿いの道は歩きやすかったけれど、水の中と陸の境に住む獣が厄介だった。茂みに潜んでいて、水の中に獲物を引きずり込んで溺れさせるのだ。水辺にいた獣を狙っていた時に、そいつに横から攫われて危険に気が付いた。横取りされたことが幸運だったのだろう。
「アー、私から離れちゃだめよ」
「うん」
村を焼かれてから、感覚を研ぎ澄ませて生きてきた。山と草原は違っていても、気をつけるべきものは変わらない。危険な獣、危険な人間、そういうものに見つからないことが大事だ。
合間に小さな獣や魚を狩って飢えを凌いだ。獣は皮を剥いで乾かしながら歩いた。小さな獣の毛皮は、手触りが良いから売れるかもしれない。町ではなんでも売ってると父は言っていた。
——お父さん、あなたのくれた知識が私を生かしてくれてる。命がけで守ってくれたことを忘れない。
小さかったアーシジルは、いつのまにか魚ぐらいなら獲れるようになった。物陰から川の中を覗いて、油断している魚を棒で刺すのだ。
初めのうち、尖らせた棒だけではうまく刺さってもすぐに抜けてしまっていた。棒の先に鏃のような引っかかるところをつけてみると、面白いように魚が獲れた。アーシジルも楽しいようで、すぐにコツを掴んだ。二人で小さな魚を沢山取って、内臓を取って炙ったら美味しかった。
見渡す限りの草原に、巨岩が二つ聳え立っていた。私は岩の間に懐かしい気配を感じて、少し早いけれど今日のねぐらにすることにした。久しぶりにぐっすり眠れそうな予感がした。
「ここなら大丈夫な気がする。アー、おいで」
安全だと思う気持ちと裏腹に、離れては危険な気がして、アーを抱きしめて目を閉じた。
洞窟を出て何日も経ったけれど、私たちの旅は順調だった。父には夜の獣が最も恐ろしいと聞いていたが、遭遇しなかった。むしろ私は、夜の闇に洞窟で感じていた慕わしさを感じていたから怖くなかった。
アーシジルは夜も闇も怖いようだったから、私だけが少し違うのかもしれない。
アーシジルが眠ってから、僅かな荷物の内容を改めた。シジルの枝に少し力を入れたら、大きな枝と小さな枝に分かれた。折ってから何年も経つのに、不思議と瑞々しく見える枝だ。
小さなほうを裂いた布で編んだ帯に織り込んで、アーシジルの腰に巻いた。この枝は神の木だから、きっとアーシジルを守ってくれる。
私達がここまで無事に来れたのも、神の木が守ってくれたに違いない。私は弱くて、大人が来たら逃げることしかできない。私が倒れても、アーシジルが一人で生きていけるように、父がそうしてくれたように……。
「ソリス? なぁに?」
「この帯にね、魔除けを入れてあるの。ここ、硬いでしょう? この帯はいつも身につけていてね。アーを守ってくれるから」
「ソリスは?」
アーは、私のことを気遣ってくれるようになった。私を守るものがないか心配してくれる。
「アーとお揃いのがあるから、大丈夫」
アーシジルと同じような帯を見せたら笑った。お揃いが嬉しいと笑う。無邪気な笑顔に、強く彼を守りたいと願った。
そのための町だ。隠れて住んでいるだけでは、いつか恐ろしい災害が来たときにあっという間に死んでしまう。弱い獣が群れて身を守るように、人のなかに紛れて身を守るんだ。
テラの川が広くなり対岸が見えなくなった頃、町が見えてきた。想像していたよりも大きな街に、逃げ出したいほどの不安が体を満たす。
「ソリス、あれがまち?」
「そうよ。あれが町。入れるところを探そうね」
人がいるところを通るつもりはなかった。子供が二人じゃ、どんな悪い大人が来ても太刀打ちできない。悪い大人がどんなものか想像もつかないけれど、アーシジルと引き離されたら嫌だ。
町の外周を見るだけでも一日以上かかりそうだ。食料はまだもつし、毛皮が売れたらお金にできるかもしれない。旅の間に狩ってなめした毛皮は、固い地面で寝るのにも役立った。
荷物にならないように、自分とアーシジルの胴体に毛皮を巻きつけて入れるところを探した。