3 一人の生活から
洞窟は獣も来ないし、虫すらいない不思議な空間だった。湧水は綺麗だし、私は洞窟を住処にすることにした。たまに村に下りて使えそうなものがないか探したけれど、何も見つけることはできなかった。私以外の生存者もいなかった。
洞窟から少し離れたところに仕掛けをいくつも作った。二日目には小動物がかかっていて、パンがなくなっていた時だったから嬉しかった。火をどうしようと考えて、村に下りたら燃えた家の竈の奥に種火があったから助かった。
火打石ならどこかにあるかもしれないと探したら、見つけることができた。母の使っていた火打石だ。まだ、私は両親に守られている。
二人が埋められた場所に花を供えて、また山に登る。村の中まで入らないのは、明らかに異様な雰囲気になっているからだ。
両親は運良く弔ってもらえたけれど、ほかの村人は違ったのだろう。弔ってもらえなかったから、魔物がやってきたのかもしれない。昼間だというのに、どこかどんよりと澱んだ暗い空気に覆われている。
どうして自分が生きているかなんてわからないけれど、母は私を生かそうとしてくれた。だから生きる。一人でいるのは怖いけど、洞窟に行けば不思議と安心するから、疲れすぎるということもない。
澱みに追われるように洞窟に戻って、洞窟を拠点とした私の生活が始まった。
「あ、また、ない」
処理に困っていた骨のかけらや皮がなくなっている。洞窟の中に動物は入ってこないと思っていたけど、何かが来ているのかもしれない。外に捨てれば獣を呼び寄せてしまうかもと隠していたから、無くなって困るものでもないけれど……。
始末が楽だから放っておいてしまっている。両親を失いまだ大人というには早いから、深くものを考えるのは難しい。あれから半年、なんとか生き延びている。
「なにかいるのかなぁ……」
私は独り言が増えていた。母が教えてくれた数え歌を歌い、父が狩りの時に話してくれた昔話を呟き続けた。何か話していないと言葉を忘れそうだったから。
仕掛けは初めのうちは順調だったけれど、すぐにかからくなった。動物だって馬鹿じゃないから、そこにあるとバレてしまえば来なくなる。
仕方なく、川に魚を探しに行った。端に行き止まりを作って追い込むのだ。他に人間がいなくて油断しきっている魚が面白いようにとれて楽しかった。
持ちきれないほどの魚を袋に詰めて、なんとか運ぼうと担ぎ上げたとき、川を流れてきたものがあった。
小さな籠は偶然私の作った行き止まりまで流れついてきたか、思わず手に取った。道具が少ないから、使えそうなものは何でも使いたい。
「えっ、こ、子供?」
大ぶりの籠の中には歩き始めたころぐらいの子供が、丸まって眠っていた。籠が揺れたのに反応して身じろいだから死んではいない。顔色が良く、あの最後に見たユーリスの生気のない白さとは違う。
ユーリス、助けられなかった私の弟。生きていたらこの子と同じぐらいだったろうか。
駄目だ、引き受けてはいけない、自分一人でいっぱいいっぱいなのに無理だ。
だけど、一人は寂しい。
私は魚を半分にして、子供と魚を洞窟まで運んだ。洞窟の外は獣がうろついているから、日が高いうちに戻らないといけない。危険な獣は夜にうろついている。いざとなったら魚を一匹ずつ囮に投げつけていけば大丈夫だろうか、と食料よりも子供を守るほうへ心は決まってしまっていた。
獣に逢うこともなく無事に洞窟にたどり着くと、待っていたように子供の瞳が開いた。きれいな菫色の瞳だった。むくっと籠の中で体を起こして、辺りを見回してから泣きだした。
「あーっ! あーっ!」
「な、泣かないで。怖くないから。ここは怖くないから。ね」
「ぅええええっ!」
抱きしめると、ぎゅっと私の胸に縋りついて泣いた。温かく元気な声が心を満たしていく。ユーリスが帰ってきた。今度こそ守り切ってみせる。
「大丈夫、大丈夫よ……」
まだ言葉のわからない子供が今までどうやって暮らしてきたかわからない。籠の中には綺麗な布が厚く敷き詰められていたし、着ている服も驚くほど柔らかかった。
「いいおうちで生まれたのかな。あなたを探してるひとが……いるかな」
洞窟のなかは枯葉を集めた寝床はあるけど、こんなきれいなものが普通だったら嫌だろう。私に抱き着いたまま眠ってしまった子供を籠にそっと戻した。すこし狭そうだけど、こっちのほうが快適だろうから。抱きしめたまま眠りたかったけれど、籠ごと寝床に引っ張り込んで寄り添うように眠った。
「あーっ」
「ユーリス、いたい……」
顔をぺしぺしと叩かれる感触に、懐かしい夢を見た。母に無理を言って、母とユーリスが眠っている寝台に一緒に眠らせてもらった日の夢だ。ユーリスは私の存在に大興奮で、大暴れだった。小さな足が私を蹴って、容赦ない小さな手が私の顔をバシバシと叩いていた。
「あ゛ーっ!!」
「わっ」
ユーリスじゃないとでも言うように激しさを増した手に驚いて起きたら、籠から出てぴったりとくっついた子供が見ていた。ユーリスの緑とは違う菫色の瞳に、ユーリスはもういないことを思い知らされた。
「あ、ごめんね、おなかすいたの?」
昨日の魚を急いで火にかけて、身の白いところをほぐして冷まして口に持っていった。ためらいもなく口を開けて食べていく。
「あなたはどこからきたんだろうね。わたしと一緒にいてくれる?」
「あーん」
「ふふ……迎えが来たら、そっちのほうがいいね」
こんな生活は異常だってわかっている。村が近くて安全な場所だから、洞窟から出られなかった。きっとこの子を探しているひとがいるだろう。そのひとが現れるまで、少しだけ弟のいる生活を楽しませてもらおう。