2 弔い
私はユーリスを引き揚げた。父も、母も、私には重すぎてどうすることもできなかった。
濡れた身体が冷たくて可哀相だったから、服を脱がせて母の下に落ちていた肩掛けでくるんだ。彼の身体に傷がひとつもないことが救いだった。力ない身体は眠っているようなのに、あの温かさがなくなっているのが、ただ辛かった。
歯を食いしばって弟を抱いて山を登った。涙が止まらなくて視界がほとんどきかなかったけれど、足はあの洞窟に向かっていた。
「ユーリス、ユーリス……ごめんね。私が連れて行っていたら良かった。お父さん、お母さん……」
しばらく弟の遺体に縋って泣いて、それでも喉が渇いて空腹を覚える自分にどうしようもなかった。
悲しいけれど弟は弔ってあげなければならない。死体には魔物が寄ると言われている。なくなってから三日以上経ってしまうと魔物が死体を食らいにきて、魔物が力をつけて厄災を人に振りまくようになると言われている。厄災が分からなくて母に聞いたら、とても恐ろしいことだと言った。
村に来た恐ろしいこと、あれはまさに厄災だ。魔物が来たのだろうか、どこかで死体を食らった魔物が新たな死体を求めて村にやってきたのか。どうして、私の村に。
考えるのは辛く、私は洞窟の奥に穴を掘った。外から平たい石を拾ってきて無心に掘り続けた。そうしてまる一日ほどをかけて弟の身体が入る穴ができたから、そこに彼を納めた。顔に土がかかっては可哀相だから、肩掛けで全身を包んだ。
土を被せて、誰もいない空間の重さを思い知る。闇だけが私に残った。
「お父さん、お母さん、ユーリス……どうしてこんなことになってしまったの」
手に持っている石を見た。家族に酷いことをした奴らはまだ村にいるだろうか。
この石で、せめて一撃を加えることができないだろうか。闇を見抜く目を持つ私なら、魔物相手にも一矢報いることができるかもしれない。
夜の闇に紛れてならやれるかもしれない。獣の仕掛けは魔物にも有効だろうか。村の中に仕掛けを作って……。
何かに浮かされたように石を握りしめて山を下りていった。家の近くに行ったとき、見たこともない格好の男たちがいるのに気付いてさっと隠れた。人間がいる。魔物に取り憑かれた人間だろうか。それとも人間のふりした魔物? 一人ならともかく、たくさんいたら一撃を加えるどころじゃない。確実に仕留めないと……。
二人の男は同じような格好をしていて、こそこそと穴を掘っているようだった。
そこは私の家の裏で、母の遺体があったところだ。なにか悪いことをしているのではと不安になった。彼らは穴を掘りながら会話をしていた。
「はぁ……、いくら上の命令だからって、女子供まで皆殺しだなんて狂ってる」
「しっ、やめろよ」
「だってそうだろ。俺、故郷に帰りたいよ」
村の畑仕事をする大人達のような、ごく普通の様子に心臓が激しく鳴り出す。魔物じゃないの? 魔物じゃないならどうして村を、父を、母を、みんなを殺してしまったの?
この人たちが人間なら、大人の男の人が泣きそうな声を出すのを初めて聞いた。そんな風になりながらも、穴を掘る手を二人は止めない。道具をどこからか調達してきたようで、私が石で一日かけて掘ったぐらいの穴を二、三掘りであけていく。道具と大人の力は、これほどまでの違いがある。魔物でなくても一矢も報いることは難しい……。私は手の中の石を握った。
「……無理だろ、こんなことしてるのが知られたらまずいって隊長言ってたし」
「食料もないのに進軍するからだろ」
「でも食い物がなかったら俺たちも死ぬ」
「……もう戻れないんだな、俺も、お前も」
二人の会話の意味は分からなかったけれど、彼らが好きで村の皆を殺したわけではないようだと理解した。
大人の男が二人いれば大きな穴ができる。二人の男は人目を気にしながら、黒焦げの父の死体と、母の死体を穴に入れた。無言で土を被せたと思うと、祈りを捧げた。
「こんなんで罪滅ぼしにはならんだろうが、あんたが守ろうとしてた奥さん、助けてやれなくてすまん」
「勇敢な旦那だった。奥さんも、逃げずに火を消そうとしたんだろうな」
「俺たち、いつまでこんなことしてなきゃならないんだろうな……」
二人は敵を弔うのは規律違反だけど、父の戦いようと母に己の家族を思い出したと肩を落としていた。間違いなく両親の仇であるはずなのに、彼らは何かが違った。
二人が去って、土が被せられた場所の前に立った。
ここは朽ちかけた家の影になって村の中央からは見えない位置だ。
「お父さん、お母さん……わたし、どうしたらいいの……」
握っていた石が、手に食い込んで痛い。
彼らが歩いていった先に、沢山の大人がいた。みんな同じような服を着ていて、少し違う服を着た大人が大きな声を張り上げている。それに応えるように「おおー!」と叫ぶ声。
魔物だ。一人一人は人間でも、あれは厄災を連れてきた魔物だ。私の村はあの魔物に、殺された。
魔物は列になって村から出て行った。何かを倒すのだと叫んでいる。村人の死体を食らって、あれはさらに力をつけてしまった。目指す先に何があるのか知らないけれど、またどこかの村が襲われてみんな殺されてしまうのだろうか。
――わたしになにができるの。石の一つも投げられないで、ただ震えて立ちすくんでいる。
胸いっぱいに広がった悔しさとも悲しさともつかないものが苦しい。
私は苦しい気持ちを抱えたまま、山の洞窟にとぼとぼと戻った。
いつもの闇に包まれて、残ったパンを食べて湧き水を飲んだ。パンはあと少ししかない。母の味を忘れないように、良く噛んで味わった。涙は枯れたと思っていたけれど、食べながらまた溢れてきて、ただすべてが悲しかった。
ユーリスの墓に祈りを捧げて、寄り添うように眠った。闇はやはり私にはあたたかく感じた。