14 一つしか守れない
走っている途中で見慣れない兵士が手当たり次第に人々を斬っているのに気付いて、慌てて隠れながら進んだ。まただ、またあいつらは人を殺しに現れた。町の人たちが何をしたというの。
子を抱えた女性に剣を振り上げた兵士に、石を投げた。うまく顔に命中して、兵士が顔を押さえて動きを止める。その隙に女性の手を引いて兵士の目につかない場所まで連れてきた。抱かれた子供は声もなく震えている。子供に怪我がなさそうなことにほっとした。このまま母親と一緒に逃げ延びて欲しい。
「逃げて、あっちはまだ火があがってなかった! 路地から行ったほうがいい!」
「ありがとう!」
アーシジルのことは気になるけれど、見過ごしてはいけなかった。土地勘のない兵士たちは大通りに多い。通りの両側にある屋台にも火が移って、煙で見えにくいのは逃げるのに役立つかもしれない。兵士も煙に巻かれて咳込んでいる。
「あんたも! 行き先がないならあの人たちを守って!!」
ぼんやりと道の端に座って喧噪を見ている浮浪者の男に、落ちていた棒と懐から金貨を出して渡した。棒と金貨を見比べている男に「早く!」と促すと、立ち上がって親子を追ってふらふらと走り出した。
あんな奴でもいないよりはいいだろう。ダラスが言っていた。戦争に嫌気がさした元兵士が流れ着いて浮浪者になっていることもあると。あいつがそうではないかもしれないけれど、役割を与えてやれば生きられるかもしれない。
人が逃げた後には屋台を蹴り倒して、まだ火がついていない屋台に火をつけて回った。兵士が追えないように。そうして、アメシンディに辿りついた時には、娼館の端は焼け落ちて、残っている窓からは火を噴き上げていた。余計なことをして遅れただろうか、いや、あそこで親子を助けなかったら、震えて隠れていた昔と変わらない。アーシジルは私を待っていると言った。あの子だって強いんだから――。
「アー!! アーシュ!!!」
「ソリス! こっちだ!」
ダラスの声だった。アメシンディの井戸のほうだった。建物のないそこには十人ほどの人間がいて、半分は焦げて倒れていた。人間の焼ける臭いが鼻をつく。
「アーシュは!?」
「……リディナの部屋は一番上の奥だ」
ここにはリディナもアーシジルもいない。ぱっと踵を返した私の腕をダラスが掴む。
「もう無理だ!」
「いや! アーシュは生きてる! まだ全部焼けてない!」
「もうだめだ! だめなんだ、ソリス!」
「いや、アーシュ! アー!!」
あんなに鍛えたのに、ダラスの手が外せない。早く行かなければアーシジルが死んでしまうのに。
その時、最上階の窓から椅子が飛び出た。焼けて緩んだ格子ごと落ちてくる。中から誰かが投げたんだ。
「ダラス! あれ!!」
「リディナか!!」
小さな人影が窓から飛び降りた。アーシジルだった。ダラスが受け止める。意識がないようで、ぐったりしているがどこかが焼けた様子はない。息もしている。アーシジルを受け取ってぎゅっと抱きしめると、すぐに次の人間が落ちてきた。ダラスが受け止めたが、それは身体の半分が焼けたリディナだった。
彼女には意識があった。
ダラスの腕の中でソリスを見つけると、いつもソリスに向ける皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「っ……ソリス、アーシュは……コホッ……ほとんど煙も、吸っていないわ」
「リディナ、しゃべらないほうが」
ダラスがリディナの手当てをしようとするが、彼女は「いらないわ」と拒否した。
「私は死ぬ。……最期は、そう悪くなかったわ……アーシュの……っおかげね……生きて動けるものは……逃げなさい……生きていれば……希望を……捨てないで……ソリス。……アーシュ……を、連れて」
話せるから、そこまで悪くないと思いたかった。だけど、リディナは唐突に意識を失った。
「リディナ、リディナ」
怪我が酷くなかった者たちが泣いている。私はアーシュを抱きしめて立ち尽くすことしかできなかった。
まだリディナに伝えなきゃならないことがあるのに、私が自分の都合で言えないうちに永遠に機会を失ってしまった。リディナ、貴方は息子を守り切った、せめて、そう言ってあげられたら……。
「誰かいるのか!!」
「……逃げるぞ!」
ダラスが、リディナの呼吸が止まっていることを確認してから、燃えるアメシンディの近くに置いて上着をかけた。動ける娘たちに立つように促す。
「待って、ダラス、リディナが」
「もう死んでる。死体を連れては逃げられない。燃えてしまえば、辱めを受けることもない」
辱め……?
ダラスの顔が恐ろしいほど表情を失っている。半分が焼けてしまってもリディナは美しいのに、さらに焼いてしまうなんて。
「死体でもいいから綺麗な女に突っ込みたいってやつがいるんだよ。逆に男でも女でも穴があればいいってやつもいる。ソリス、兵士だけじゃない、戦争になるとみんな頭がおかしくなるんだ。とにかく逃げろ。お前が鍛えてたのはアーシュと生きるためだろ。俺はこの町で世話になったから、やれるだけのことをやる」
ダラスはリディナの名誉を守ったのだ。アメシンディいちの娼妓、彼女を振り向かせるためには金だけじゃないたくさんの条件があった。それが娼妓に身を落としてもリディナが守り抜いた誇りだ。アメシンディの女でリディナに憧れない者はいなかった。
「ゴホッ、ケホッ」
「アー」
「ケホッ、ソリス? リディナは?」
「起きたなら自分で歩けるだろ。話はあとにして、行け、ソリス、アーシュ」
ダラスが腰に下げていたナイフをベルトごと外して私に寄越した。彼は道端に倒れている兵士の死体から剣を奪う。死体から……甘いことを考えていてはダメ。なんとしてもアーシュを育てるって決めたでしょう。生き延びるためには何でもするんだという気迫を学ぶの。私はもう何もできなかった小さな子供じゃない。
ぎゅっとアーシジルの手を握る。この手も大きくなった。外見は相変わらず少女にしか見えないけれど、アーシジルは男の子なんだから強いはずだ。
「行こう、アー。またね、ダラス!」
「ああ、またな!」
さよならは言えなかった。
娼館の生き残って泣いている少女の手を引いて、ダラスは町の端に向かっていった。
ずっと考えていた。マナハから出ていく方法を。
私なら町道のない道でも行ける。闇は私の味方だから、むしろ町道を逸れて行くのがいい。方角を間違えないための勉強だけは頑張った。マナハは最果ての町と言われていたけれど、その先にも大地は広がっている。
人間がいないなら好都合だ。誰もいない、誰も来ない土地で静かに暮らしていきたい――。
これで1章終了です。
次回からは章ごとに更新していけたらいいと思っています。




