10 アメシンディのリディナ
扉を開けた先にいたのは張り付いたような笑顔の男の人だった。私たちを見て、周囲をきょろきょろと見回している。
「連れは?」
「私たちだけよ」
誰かに売られてきたわけじゃなくて、自分の意思でここに来た。恥じることなんて何もないから、気おされないように背中を伸ばして男の人を見上げた。彼は首元のリボンを整えて、ひらひらと手を振った。
「子供の遊び場じゃない」
振った手を、私たちが入ってきた扉に向ける。いつの間にか体格の大きな人が扉の脇に立っている。捕まったらすぐにつまみ出されてしまうだろう。
「ここで働きたいの」
「娼妓になるには年が足りねえな。それに、ここは器量が良くないと雇えない」
道端の獣を追い払うような仕草だが、その目が私とアーシジルを一瞬で値踏みしたのに気付いた。望みはある。
「綺麗なのばかりじゃ、飽きちゃうでしょ。たまには私みたいなのがいてもいいわよ。要るでしょう引き立て役」
「アーも、がんばる」
私の陰からアーシジルが顔を出して、フードを下ろして男を見上げた。効果は覿面だった。
「……お、こっちは、なかなか」
私の容姿ではああ言われると分かっていた。アーシジルの援護のおかげで、男の表情が変わる。アーシジルを売るつもりはないけれど、目を引くためには有効な手だった。
娼館の奥から、女性が出てきて私は硬直した。どんな獣が相手でも足が竦んだりしないように、いつだって心の準備をしているつもりだったけれど、その女性は種類が違った。
静かに流れ続ける滝のような銀の髪がゆるく結われて片側に流れている。その肌は何でできているのかわからないほど白く滑らかで、手足の長さも、体つきも作り物のように美しかった。
私はさっきの引き立て役という言葉が恥ずかしくなった。ここには比較する必要もないほどに美しい女性がいる。
「——何の騒ぎ?」
声もまた鈴を転がすように澄んでいて、この声で歌われたら神の国に召されたような気分になりそうだ。
女性に気付いた男が、今までの不愛想な顔をかなぐり捨てて、全面の笑顔になった。
「リディナ。働きたい子供だってよ。あんた禿が気に入らないって言ってたろ。この子供らどうだ?」
「二人まとめてなら、いいわよ」
「マジか! 良かったなお前ら。リディナの言うことは何でも聞けよ!」
夢のような出来事だった。私たちはこの美しい女性に救われてしまった。きれいなものは好きだけれど、美しいからと言って無条件に慕えない。アーシジルは私に掴まって、いつも通りだ。彼にとって美しいものは私だと言っているから、ここで美意識が矯正されるかもしれない。
彼に普通の感覚を教えたくて街に来たのだから、これはいい機会だ。
いつだって私を正気に戻してくれるのはアーシジルだ。歌のように聞き流しかけた言葉をぎりぎりで拾えた。
「着替えなさい。服も、それは嫌よ。私の事は姐さん、と呼びなさい」
「うん」
「はい、よ。二度は言わないわ」
「はい」
「はい」
作り物のように美しい顔が少しだけ笑って、それが生き物だとわかる。村しか知らなかった私なら固まって動けなかっただろう。
いまは私の手を握るアーシジルがある。アーシジルの顔も十分きれいだけれど、見慣れたから見惚れない。きっとリディナの顔だって見慣れる日が来るんだから、見すぎないように気を付けたらだいじょうぶ。
リディナに連れていかれた先は、私たちと同じぐらいの女の子ばかりがいる部屋だった。皆、針と糸を持って縫物をしている。
「リディナ姐さん、何か御用ですか」
私より少し年上のような一番年長らしい女の子が、リディナを見つけて駆け寄ってきた。半分以上の子がリディナに気付いて見惚れている。見慣れているはずの子でもリディナに見惚れてしまうという事実にほっとした。
「この子たちに合う服を二枚ずつ渡して」
「はい」
一瞬、リディナに何かを聞きたそうにした女の子が、言葉を飲み込んで急いで部屋の隅に積み上げられた箱からいくつかの服を取り出した。私たちにくれる。
手触りも色も、今着ている服よりずいぶん上等だ。
「来なさい」
「はい」
「はい」
リディナからの言葉を待っている様子の女の子に一瞥もくれず、彼女は私たちに声をかけて歩き出した。
アメシンディは正面から見ても大きな建物だったから、中も広かった。階段があちこちに設置されていて、一つの階を上がるために端から端に行かねばならなかったり、迷いそうな作りをしている。扉が開いていて見える部屋の窓には格子がついていて、窓から外にでることも難しそうだ。
いつでも逃げられるように、階段の場所と部屋の位置を必死で覚えた。大丈夫、私が忘れてもアーシジルが覚えている。引き離されないようにだけ、気を付けていたらいい。二人がばらばらにされてしまっても、逃げ出して落ち合う場所を決めていたらまた会える。アメシンディに入る前に、逃げ出したら落ち合う場所を決めた。
大丈夫、大丈夫と緊張で張り裂けそうな心を宥めてごまかし続けた。
「私はここ。貴方たちはこっち。このベルで呼んだら何をしていても私のところに来なさい」
「はい」
「はい」
「来るのはどちらか一人でいいわ」
私たちは二人で一人分扱いのようだった。だけど、私でもアーシジルでもいいということは、同じ仕事を二人ともがわかっていなければならない。
「……二人でもいい? 仕事をおぼえたい」
「二人でも良いですか? 仕事を覚えたいです」
眉をひそめたリディナが顎を上げて、切りつけるような口調で言う。腹の底がきゅっと冷えたが、辛うじて口が動いた。
「二人でも良いですか? 仕事を覚えたいです」
「ふたりでもいいですか。しごとをおぼえたいです」
二人で復唱すると、リディナの顎が下がって口角が上がった。
何をしても美しいから、見惚れないように気持ちを落ち着けるのに必死だった。
「最初のひと月だけ許してあげる」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
私たちは禿と呼ばれる彼女専用の小間使いとなった。
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