第66話 君の名前
フロラの家に入ってから、フロラが俺達のために飲み物を用意してくれた。
「はい」
「ありがとう」
俺の分、そしてビアンカの分と自分の分を机に置いてから、フロラも俺の横に着席する。
今、俺とフロラはフロラの家のダイニングで、ビアンカと向かい合う形で座っていた。
そのビアンカが、不安そうに俺達を見比べながら問うてくる。
「あ、あの……お話っていうのは」
「ああ、うん。これから一緒にこの村で暮らすっていうのは、もう分かってくれてる? もしビアンカが嫌だったら、その時はまた何とかして別の方法を考えるつもりなんだけど」
ラルヴァが遺言という形で打ち明けてはくれたのだが、ラルヴァを失ってしまうショックでその辺りの記憶が飛んでしまっている、という可能性もある。
だから、俺は念のためにビアンカに確認を取った。すると、ビアンカは首を横に振って、
「嫌というわけじゃないです。むしろ、こんな私を拾って頂けるなんてありがたいです。不束者ですが、よろしくお願いします」
と、律儀にも頭を下げてくれた。あまりにも深々と頭を下げすぎたので、ゴツンと頭を机にぶつけてしまった。本人は痛がってないけど可愛い。
おそらく、まだ痛がるとか他のリアクションを取る気力がないんだろうなぁ。鬼族全員を失ったショックが大きすぎて。
「こちらこそ」
フロラの可愛さには負けるけど、と思いつつ、俺は応える。
「……お話はそれだけ、ですか? まだ……ありますよね?」
流石ビアンカ。鬼族の屋敷で侍女をしていただけある。ちゃんと相手の意図――しかも隠れた意図を確実に読み取っている。話が早いから、俺としてはありがたい。
「ビアンカ、君の名前のことなんだけど……」
「私の、名前」
「うん。ラルヴァも言ってた通り、『ビアンカ』っていうのは鬼族での君の名前だ。これから一緒に暮らすに当たって、やっぱり俺も君に人間としての名前があった方がいいんじゃないかって思うんだ」
ひとしきり話し終えてから、俺は気付いた。ビアンカが顔を伏せたまま、黙り込んでいることに。
「……ビアンカ?」
しかもただ黙っているわけではない。背中を丸め、前かがみの体勢で胸を押さえているのだ。
俺が彼女の容体に明らかな異変を感じた瞬間、ビアンカが震える声を漏らした。
「ら、らるゔぁ……さん……!」
「ビアンカ――! 大丈夫⁉︎」
はぁ、はぁ、と息を切らしながら苦しそうにしているビアンカに、すぐさまフロラが駆け寄って背中をさする。
不安そうに俺を見やるフロラに、俺は自分の推測を述べた。
「多分、ラルヴァが死ぬ間際のことを思い出してるんだよ。やっぱりこの話は早かったか……!」
「で、でも、あまり先延ばしには出来ないし……あたしは、このタイミングで正解だったと思うけど……」
フロラが俺をフォローしてくれている間も、ビアンカは目尻に涙まで浮かべて苦しそうに息切れをしている。
「ビアンカ、大丈夫。大丈夫だよ」
フロラはそんなビアンカを抱きしめ、背中をさすり続ける。
「……ビアンカ?」
ふと、ビアンカの息切れが止まって、フロラが彼女の顔を覗き込んだ。ビアンカは目を瞑ったまま、しゃくりあげるような息をしている。
ただ疲れて眠ってしまった、というわけではなさそうだ。まだビアンカの息切れは続いている。気絶に近い状態になってしまったのだろう。
「多分、まだ疲れとかショックが抜けきってなかったんだ。起きるまで休ませてあげよう」
「そうだね」
俺とフロラは頷き合い、ビアンカを近くのソファーまで運んだのだった。
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ビアンカが気絶してしまってから、どれくらいの時間が経っただろうか。一向に目を覚まさない彼女を見守っていると、不意にフロラの家の扉がコンコンと叩かれた。
「はい」
真っ先にフロラが玄関に赴き、訪問者を確認する。
「レノン」
フロラに名前を呼ばれて玄関の方を見た俺は、訪問者の正体に少なからず驚いた。
「リッターさん、シュヴァリエさん……!」
「やあ、レノンくん。疲れは取れたかい?」
手を軽く上げ、赤髪の男騎士・リッターさんが尋ねてくれる。
「はい。もう俺は大丈夫です。ただ……」
「ビアンカ、どうしたのですか?」
隠すつもりもなかったのだが、俺は無意識にソファーのビアンカを見てしまい、それを紫色髪の女騎士・シュヴァリエさんに気付かれた。
「俺が彼女に新しい名前の話をしてしまったんです。そのせいで気絶……に近い状態になってしまって」
「そうですか……」
シュヴァリエさんはそれだけ言うと、まっすぐにビアンカが眠っているソファーへ歩いていった。
その場に残ったリッターさんをダイニングへ案内して、俺とフロラと向かい合う形で座ってもらう。
「ラルヴァの最期の言葉は、僕達も聞いてたよ。難しいのは、それを彼女本人に話すタイミングだよね」
「はい……。早すぎたでしょうか」
俺が尋ねると、リッターさんは顎に手をやって、
「うーん、どちらとも言えないね。村としては早く『ビアンカ』とは別の名前で呼んだ方が何となくいい気がするし、ビアンカちゃんとしてはまだ鬼族の死を思い出すのに免疫がついていない。心が、拒絶しちゃうんだろうね」
「ビアンカには悪いことしちゃったな……」
フロラが後ろ――ソファーに横たわるビアンカを振り返り、申し訳なさそうにポツリとこぼす。
「あ、それで、ご用事があるんですよね。すみません、聞きそびれてました」
俺は急いで、話題を本題に戻した。こうして俺達を訪問してくれた以上、俺達に何か用事があるのだろう。
「うん? ああ、用事があるってわけじゃないよ。もうすぐ夕食の準備が出来るから、皆のことも呼びに来たんだ。僕達もちょっとだけお手伝いしたんだよ」
リッターさんは少しだけ得意気に笑ってから、奥のビアンカとシュヴァリエさんを見やって、
「けど、もう少し待ってもらう方がいいね。ヒルスさん達に伝えてくるよ」
「すみません、わざわざ。お願いします」
「謝ることないよ。これくらい朝飯前さ」
キザにウインクをして、リッターさんはフロラの家を出ていった。
それからビアンカが目を覚ますまで、俺はフロラとシュヴァリエさんに打ち明けた。
俺が考えた、ビアンカの新しい名前のことを。




