第6話 生贄の儀式
いよいよだ。いよいよ、運命の時がやってくる。
俺は密かに喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「これより、我が村に代々伝わりし儀式を執り行う」
月明かりの下、この村一の長老であるデイルさんの宣言により、生贄の儀式が始まった。その少し離れた所で、村長のヒルスさんを筆頭とする男たちは、地に片膝をつけて座っていた。
見ると、今回の儀式に捧げる生贄として選ばれたフォーレスの娘・ウィンディーは、特別な衣装を身に纏っていた。
薄桃色の柔らかく薄い生地で作られたそれは、頭から足の体全体をすっぽり覆う造りになっていて、頭に被るためのフードも縫い付けられている。そのため、彼女の顔はよく見えない。
これが、生贄に選ばれた少女だけが着ることのできる服装だった。
「レノン……」
いつの間にか俺の隣にやって来ていたフロラが、俺の手をギュっと握った。
「いよいよだな」
俺もフロラの手を握り返す。
これまで何回も儀式の終始を見送ってきたが、儀式が始まる瞬間というのはいつも緊迫した空気に包まれる。どれだけ経験しても慣れないものだ。
これまでの俺なら、儀式が終わるのを見届けるだけだった。
同じ村の住人だと言っても、みんながみんな仲が良くて接点があるというわけでもない。そのため、鬼に連れていかれる娘達を見ても、特別悲しい気持ちは湧いてこなかった。ただ、いとも簡単に人間を連れ去っていく鬼に対して、沸々と怒りの炎を燃やしていただけだ。
でも今日は違う。俺は初めて行動に出るのだ。今までは『こうしたい』『こうだったら良かったのに』といった感じで、願望や欲望を心の中でぶちまけていただけだった。
もう一度言う。今日の俺は一味違う。胸の中にしまっていたもの____怒りと憎しみを、「行動」としてぶつけるのだから。
それに相手は他でもない鬼。勝てる相手じゃないのは分かってる。でもやらなければ、いずれ村は滅びる。それを黙って見過ごし、自分も命を落とすなど嫌だ。
俺は立ち向かってやる。この残酷な運命を、俺の手で変えてやる。そしてみんなが本当に笑ってられる村にするんだ。そのためには鬼だろうと何だろうと、立ち向かって倒さなくちゃいけない。
村で学んだ剣術なら、キッチリと頭に入っている。そしてずっと使い古してきた相棒も今は俺の腰にある。
「時間だ! 女は全員今すぐに家の中に入れ!」
突然、今まで明るく光っていた月が陰り始めた。出るはずのない雲に隠れ始めているのだ。
これが、奴等がやって来るという合図だった。
男たちの合図で、村の女性たちは一斉に家の中に逃げ込んだ。
これが、生贄の儀式でのもう一つの決まりだった。
今まで共に暮らしてきた村の仲間を見送るのに何と失礼なと思われそうだが、こうしなければならないのだ。
鬼が狙う娘は1人だけ。しかしそれはあくまで、村側が『生贄の儀式』を介して鬼側に女性を提示しているからである。だから鬼も、仕方なく守ってくれているのだ。
つまり村にいる女は、村側が提示したものだと鬼は認識している。
だから、生贄の娘以外の女性たちが生贄の儀式を外で見守っていたらどうなるか。
想像がつくだろう。
鬼は、外で見守っているだけの今回だけは無関係だった女性たちも『村が提示した生贄』だと思い込んで、さらっていってしまうのだ。だから鬼が来る合図___月が陰って雲隠れし始めた時に、他の女性たちは鬼の視界から消えなければいけないのだ。
勿論、それは村長の娘であるフロラとて例外ではない。
「じゃあね、レノン」
そう言うと、フロラは俺に手を振って家に駆け戻っていった。フロラの長髪が風になびいている。俺はフロラのさらさらした髪が好きなのだが、この髪も見れなくなるのかと思うと不意に寂しさが込み上げてくる。決して髪フェチとかではない。純粋な恋心であることを、俺の純粋さに誓って断言しておく。
そんな冗談はさておき、俺が寂しいのは本当だ。十数年一緒に過ごしてきて、なおかつ恋人同士となった彼女との、もしかしたら永遠の別れになるかもしれないのだから、当然である。永遠の別れとなった時点で俺の試みは失敗し、この村に幸せは訪れなくなることを意味しているのだが。
フロラが家に逃げると同時に、俺もデイルさんの背後で片膝をつけている男たちの列に並び、彼らの体勢に倣った。
「レノン、本当にいいんだな?」
俺の前に座っているヒルスさんが、俺にしか聞こえないくらいの小声で確認を取ってきた。
「勿論です」
俺は頷き、心変わりがないことを伝える。もっとも、心変わりなどしようものなら最初からこんなことは考えないのだが。
「分かった。健闘を祈る」
ヒルスさんは労いの言葉をかけてくれた。俺は今度は答えずにその言葉を心の内で噛み締めた。何故か。やって来たからである。
俺たちの天敵である「鬼」が____。
月が雲隠れした途端に地響きが鳴り響いた。
「さあ、ウィンディー・フォーレス、生贄台へ」
デイルさんがウィンディーを生贄台へと促し、彼女は頷いてゆっくりと台へ歩いていった。
あの台に上ったら最後、鬼に『提示された生贄』として認識されてしまう。それを防ぐには____。
「す……」
「すみませーん!」
俺が声を張り上げようとした直後、背後からそれを遮る声が近付いてきた。後ろを振り返ると、走ってきたのは。
「フロラ!?」
俺は思わず叫んでしまった。けどフロラは俺には目もくれずにデイルさんの元へ駆け寄っていった。
何で……家に入ってたんじゃなかったのか!?
「長老! お願いがあります!」
フロラはデイルさんに駆け寄って、息を切らしながら訴えた。
「あたしを……私を生贄にしてください!」
「!?」
フロラが発した言葉にデイルさんだけでなく、ヒルスさんや俺も驚愕した。フロラは何と、自分を生贄にするように懇願したのだ。
「ふ、フロラ!? 何を言い出すんだ!!」
思わず立ち上がったヒルスさんが、娘のフロラに向かって叫んだ。
フロラは真剣な表情でヒルスさんを見やると、
「ごめんなさい、お父様。でもあたしも、どうせその時が来たら行かないといけないので。ウィンディーは、大事な友達だから」
「フロラ……」
ウィンディーは、目尻に涙を浮かべてフロラを見つめた。フロラが乱入したことにより、生贄台に上ろうとしていた彼女の足も止まっている。
そう、今回生贄として選ばれたウィンディーは、俺とは接点が無くてもフロラの友達だった。フロラにとって、友達であるウィンディーが生贄として連れ去られてしまうのは、家族を奪われるのと同じくらい辛いことなのだ。
「だからお願いします、長老」
そう言ってフロラは頭を下げた。
デイルさんは白髭を撫でながら迷っているようだった。
駄目だ。このままだとフロラが生贄になってしまう。そんなことになってたまるか。
「どうした? レノン」
黙って手を挙げた俺に気付いて、デイルさんが割り込む隙を与えてくれた。俺は立ち上がって二人の元に向かった。足早に歩いてくる俺を見て、フロラが青い顔をする。
「れ、レノン!?」
「勝手なことするなよ。フロラが生贄なんて、俺は死んでもごめんだ」
すると、フロラは歯を食いしばって悲しそうな顔をした。
「だ、だって……ウィンディーは大事な友達で……」
「そんなことは分かってるよ!」
俺が叫ぶと、フロラはビクッと肩を縮めた。俺を写す彼女の瞳が恐怖で揺らいでいる。俺は心を鬼にして、フロラに厳しい視線を送ると、
「だからウインディーを助けるんだよ」
「どうやって……?」
フロラが涙目になりながら尋ねてくる。
「見てたら分かるよ」
俺はそれだけ言って、生贄台の近くにいるウインディーの元に向かった。そして彼女に手を差し出す。
「……え?」
突然のことでウインディーは相当困惑していた。当然だ。急に男に手を差し出されるんだから。しかもこんな切羽詰まった儀式の最中に。
「それ、貸してくれ」
俺が指差したのは、彼女が着ている薄桃色の生贄用衣装だった。
「これ、何で……? あなたは男でしょ?」
俺は安堵した。少なくともウインディーは、俺を男と認識してくれていた。ヒルスさんには、まだまだ男らしくないと言われ続けているが。
俺は、ウインディーに向かって首を振って笑った。
「あいにくと、俺は昔から女顔でな。こんなの着ててもバレないんだよ」
俺が言うと、ウインディーは困ったような顔をしながらも、衣装を脱いでくれた。心配ない。その下にちゃんとしたシャツ着てる。
「ありがとう」
お礼を言って、俺はまるで剥ぎ取るようにしてその衣装を受け取った。内心ではものすごく焦っていた。早く誰かが生贄台に上らなければ、鬼はすぐにでも村を壊しかねないからだ。
「ちょっと待って!」
俺の焦りに追い打ちをかけるように、俺とウインディーの間に割り込んできたのはフロラだった。フロラは俺をじっと見つめて言った。
「今の言い方だと、レノンが生贄になる……みたいに聞こえるんだけど」
そうであってほしくないと願うように、弱々しい声でそう言ってフロラは俺を見上げた。
けど、俺はもう決めたんだ。一度決めたことは絶対にやり通す。そのために準備してきたんだから。
「ごめん、フロラ」
俺が謝ると、フロラはハッと目を見開いた。
「俺はもうこんな残酷な運命を繰り返したくない。勿論、フロラのことは大事だし大好きだ。でもフロラが大好きだから、俺が生贄になる」
「な、何よそれ……意味分かんない! どういうこと!? 何でそんなことになってるの!?」
俺の両肩を掴むフロラの目から涙が溢れてくる。
「ごめん、もう決めたから」
「ねぇ、レノン! 待ってよ! ちゃんと……説明してよ……」
芝生がシャリと音を立てる。フロラが脱力してしゃがみ込んだのだ。
「フロラ……」
ウインディーが泣き崩れるフロラに駆け寄って、その肩を抱いた。
「もう一度だけ、確認したい」
俺が薄桃色の衣装を着て生贄台に上ろうとすると、デイルさんが言った。
「本当に良いんじゃな?」
デイルさんの問いに、迷わず俺は頷いた。背後で『待ってよ……』と泣いているフロラの声が聞こえる。彼女の気持ちは痛いほど分かる。俺だって自分が置いていかれる立場だったら、必死に拒否したはずだ。
でも、ごめん。
心の中でもう一度フロラに謝ってから、俺は生贄台に上った。
月が完全に隠れて光を失い、辺りが暗闇に包まれた。
「今日の生贄はお前か」
頭上から鬼の声が聞こえてきた。フードを被っているため、鬼から俺の顔は見えない。つまりちゃんと女だと思ってもらえたということだ。ひとまず成功だ。
さぁ、ここで予め強く言っておこう。
生贄に手を挙げた俺の理由を聞くなよ?
何故かって?
それは俺が『女っぼい』という、男としては屈辱的な理由だからだ。