第55話 ビアンカの気持ち⑧
「い、今のは____」
私の頭に流れ込んできた、二つの場面での出来事。
赤ん坊の頃にドラコス王やラルヴァさんに拾われた時の記憶が映像となり、私に全てを思い出させてくれたのだろう。
あの当時は赤ん坊で、当時の状況や変わりゆく世界のことなんてこれっぽっちも分からなかった。
でもこうして成長した今なら、赤ん坊の時には分からなかった言葉も理解できる。
自分の両親が人喰い鬼に喰い殺されたことも、自分自身が人喰い鬼に喰い殺されそうになっていたことも、それを鬼族の方々に助けて頂いたことも、産まれて数ヶ月は育った村が人喰い鬼によって滅ぼされてしまったことも____。
私はただ、ドラコス王やラルヴァさんに拾われたわけじゃなかった。
私がお二人に拾われたのは、人喰い鬼・デイルと鉢合わせた私の両親が、自分達が生き残るために私を『生贄』として捧げようとした結果だった。
結局、二人ともデイルに喰い殺されてしまったけど、それは見方を変えれば当然の報い、とも言えるのではないだろうか。
涙を流しながら何度も謝罪の言葉を口にしつつも、いざ自分達の身に危険が迫ったら自分の娘を『生贄』にして自分達だけが助かろうとする。
私の両親は、そんなひどい人達だったのだ。
「全部、思い出したか」
私の前までやってくると、ラルヴァさんは片膝をついてしゃがみ込み、私の顔を覗き込んだ。
ラルヴァさんの表情は少し笑っているようで、少し泣いているようで……。必死に、無理やりに笑顔を作ろうとしているような表情だった。
「ラルヴァさん……」
「本当にすまなかった。全ては俺達の実力不足が招いた結果だ。お前にはどう恨まれても仕方がないと思っている」
唇を噛みしめ、頭を下げたラルヴァさんの表情は、前に垂れる銀髪でよく見えない。
「そ、そんな! ラルヴァさんを恨んだりなんてしません!」
「____!」
ラルヴァさんは息を呑み、顔を上げて私を見た。
「だって、ラルヴァさんはドラコス王と一緒に私を助けてくださったじゃないですか。あの時、異種族の赤ん坊が喰い殺されそうになっていたって、無視して見ないフリをすることだって出来たはずです。自分と同じ種族の仲間が狙われているわけではないのですから、ラルヴァさん達が無視をしたって非難されることじゃないと思うんです」
____それでも。
「ラルヴァさんは私を助けてくださった。あの瞬間に降りそうだった私の人生の幕をもう一度上げて、その先の未来を与えてくださったんです」
「ビアンカ……」
「私はラルヴァさんを恨んだりなんてしません。むしろ真実を知って……全てを思い出して、より感謝の気持ちが膨らみました」
私の未来を造ってくれたのは、このお方だから。
「私を助けてくださって、守ってくださって、育ててくださって、本当にありがとうございます、ラルヴァさん」
私の言葉に、ラルヴァさんが安心したように口角を上げた時だった。
「ウウウッ! クソッ! 貴様ら……! 許さんぞ、この鬼族どもがあああアアア!」
体を土まみれにしたデイルが、両拳を握りしめて起き上がり、怒りの声をあげる。
ラルヴァさんに単純に小屋から出されただけだと私は認識していたけど、実際は違ったみたいだ。デイルの足元には、まるでドラコス王が地面を踏みしめた時のような深い穴が、デイルの体の大きさでできていた。
ラルヴァさんの力があまりにも強くて、デイルが地面にめり込んでしまったのだろう。
「十七年前の出来事を思い出したんだ。脳に負担もあるだろう。ここで休んでいろ」
ラルヴァさんは振り返り、デイルを見据えたまま立ち上がった。
「ラルヴァさん!」
そんなラルヴァさんの手首を掴み、私は彼を引き留める。
「私も戦いたいです! 戦わせてください!」
「無理はするなよ。……ニンゲンは鬼と違って、体力の消耗が早いんだ。今まで自分を鬼だと思っていたお前には酷な話かもしれんが」
表情を曇らせ、ラルヴァさんは目を伏せる。
私に角のことを聞かれた時の誤魔化し方とはまた違い、心の底から私を哀れんでくださっているような顔つきだった。
申し訳なさそうな表情をしているラルヴァさんに、私は首を振って答えた。
「いえ、そんなことありません。薄々違和感は抱いていたんです。ラルヴァさんやオグルさん、オグレスさんには角が生えているのに、私には全く生えてこなかったですから」
それに、母親だった女性が涙を流しながら謝ってきた夢なら、何回も見てきた。
鬼族であるはずの私の脳内にそんな記憶が眠っているのか、と一度は思ったけど、その女性の頭にも鬼の角は生えていなかったから、すぐにニンゲンだと判断できた。
ニンゲンと鬼族、人喰い鬼達は、はるか昔から互いを敵視してきた。私が知らないだけで、過去にはたくさん争いも勃発していたことだろう。
そんな状況下でニンゲンである女性が鬼である私に謝るなんてこと、普通ならあり得ない。
女性が私と同じ鬼族か、私が女性と同じニンゲンでない限り。
「す、すまん……お前の角に関しては嘘をついていた。今まで鬼として育ててきたから、本当のことを言うタイミングを逃し続けてしまってな……」
眼鏡のフレームを触りつつ、ラルヴァさんは今度こそ申し訳なさそうに声を漏らした。
「大丈夫です。人間だったことを残念には思っていません。むしろ、違和感が拭えて良かったです」
ラルヴァさんは目を見開いて私を見つめた。
さぞかし、私の心の器の広さに驚いているだろう。もしかしたら不思議に思っているかもしれない。
自分が鬼族ではなく人間だと告げられ、幼い頃のことを思い出しても、取り乱したりショックを受けたりすることはなく。
自分の両親が『生贄』のような形で私の命を人喰い鬼に捧げようとした結果、結局は人喰い鬼に喰い殺されてしまったことを思い出しても、悲しみに暮れるわけではないのだから。
鬼族じゃなくて人間だったと告げられても動揺しないのは、少なからずそんな可能性があるだろうとある程度想像していたから。
両親がデイルに喰い殺されたのに涙を流して悲しまないのは、あの男女が私の両親であるという実感がないから。
何せ、赤ん坊の時に両親とは死別しているのだ。
勿論、私を生んでくれて数ヶ月育ててくれたことには感謝しているけど、それでも両親の死を悲しむには彼らからの愛情が足りなかった。
「人間の私とでも、一緒に戦ってくれますか?」
小屋の床に座り込んだままラルヴァさんを見上げて尋ねると、ラルヴァさんは迷うことなく頷いて手を差し出してくださった。
「勿論だ。ビアンカはビアンカだからな」
「……よろしくお願いします!」
差し出された手を握って立ち上がり、私も改めてデイルと対峙する。
視界の隅で、騎士団長のリッターさんが気を失っているシュヴァリエさんを抱き起こしている姿が見えた。
シュヴァリエさんのためにも、何としてでもデイルをこの手で倒さないと。
「気を引き締めろ、あの女がやられたくらいだ」
「はい!」
ラルヴァさんの言葉に頷き、私達は小屋から飛び出した。




