第51話 戦いの幕開け
「な、何!?」
突然響き渡った咆哮に、フロラが両耳を塞ぎつつ外の方を振り返った。
俺も耳を塞いで、外の様子を窺おうと扉に近付く。その瞬間、勢いよく目の前の扉が開いて、鎧に身を包んだ紫髪の女性が駆け込んできた。
「私がビアンカを見ておきます。レノンとフロラは作戦通り、人喰い鬼の討伐をお願いします」
「シュヴァリエさん!」
シュヴァリエさんの姿にフロラは驚き、ビアンカさんは慌てたように上体を起こそうとする。
「も、申し訳ないです。大した怪我じゃないですから、私も出ます! せっかく皆さんが立てた作戦を台無しにするわけには__」
「あなたが無理をすると、騎士団長や他の皆さんの集中が乱れます。戦闘に悪影響ですからここで安静にしてください」
ベッドから身を起こし、降りようとするビアンカさんの両肩に優しく触れて、シュヴァリエさんは厳しい口調で言い放った。
「シュヴァリエさん、流石にその言い方は酷いですよ」
「いいえ、良いんです、レノンさん。彼女の言う通りですから」
俺がシュヴァリエさんに向かって言うと、ビアンカさんが首を横に振った。ビアンカさんは本気でそう思っているようで、その表情に苦々しい面影は少しも見受けられない。
「分かってもらえたらそれで良いです」
「でも」
シュヴァリエさんの眉が訝しげに寄せられる。自分の言うことを理解したのではなかったのか、と言いたげに。
「私は作戦通り、皆さんと戦いたいです」
「私の言うこと聞いてました? あなたが無理をしたら__」
「私は大丈夫です!」
シュヴァリエさんの言葉を遮り、ビアンカさんは水色の瞳にシュヴァリエさんを写して、はっきりと自分の意思を主張した。
「せっかく訓練でラルヴァさんにアドバイスして頂いたんです。その成果を見せないで大人しくするなんて、私には出来ません!」
「ビアンカ、気持ちは分かりますが__」
「ふん、俺のことなど気にしなくて良いものを」
ビアンカさんの言葉を無下に鼻であしらい、でもその声音にはどこか優しさが感じられる。ラルヴァは入り口にもたれて腕を組み、ビアンカさんを見つめていた。
「ラルヴァさん……!」
「お前には安静にしておいてほしい、というのは俺も変わらん。だからと言って、作戦を破綻させるのも好ましくない」
「じゃ、じゃあ……」
「前線には出るな。だが、雷魔法で俺達を援護してほしい」
ビアンカさんが横になっているベッドへ歩みを進め、ラルヴァはそう指示を出した。でも、それに待ったをかけた人がいた。シュヴァリエさんだ。
「勝手なことを言わないでください。私が彼女を見ておくのが、騎士団長の命令なんです」
「これも、騎士団長の命令だが」
「は?」
文句を言ってきたシュヴァリエさんをチラリと見やり、ラルヴァはさも当然とばかりに言い放つ。それに眉を寄せ、信じられないと言わんばかりの表情をするシュヴァリエさん。
そんな二人の傍らで、ベッドの上で身を起こしたビアンカさんは、二人を見上げて言った。
「分かりました。皆さんがお決めになったことであれば、私は従います」
ビアンカさんの決意にわずかに頬を緩めた後、ラルヴァは出口へ向かって歩いていく。外に出る寸前のところで俺達を振り返り、
「レノン、フロラ、早く出てこい」
「分かった!」
俺とフロラは同時に頷き、外に飛び出した。
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外に飛び出した俺達が目にしたのは、咆哮をあげて唾を飛ばしている醜い鬼の姿だった。
「デイル……!」
「ねぇ、何か人喰い鬼の数多くない?」
フロラが不安げに声を震わせて、俺の方を見つめてくる。
「確かにそうだな……」
フロラがデイルに襲われた時に見た人喰い鬼は、ここまで多くなかった気がする。これが本来の数なのか。
あの時でさえ、デイル達がまだ本気を出していなかったのだと思うと背筋が凍る思いがする。やはり空腹感を覚えているだけの人喰い鬼と言っても、人間を侮り最初から本気で攻めてくるという醜態は晒さないのだ。
____本当に全部討伐できるのか。
そんな不安と疑問が駆け巡るが、リッターさんの言葉が俺を奮い立たせた。
「今まで訓練は積んできた。自分を信じて、最後まで諦めないでくれ」
リッターさんの眼差しは、全く揺らいでいなかった。そのことに俺は思わず息を呑む。以前見た時以上に人喰い鬼の数が増えていたとしても、何ら困ることはないのだ、と実感する。
____訓練通り。そうだ、ウィンディーが、フロラがデイルに襲われてから、俺達は必死に訓練を積んできたじゃないか。今更その努力が水の泡になるような真似、絶対にできない。
「「はい!!」」
フロラと同時に、俺はリッターさんの言葉に応える。その横で、まだ小鬼姿のドラコスが、
「我が鬼族の誇りにかけて、憎き人喰い鬼どもを今度こそ葬るぞ!」
「承知致しました、ドラコス王」
「了解だぜ!」
「わ、分かりました!」
鬼族の王の言葉に、それぞれ頷くラルヴァ、オグル、オグレス。
さらにラルヴァは背後を振り返り、
「ビアンカ、援護は頼んだぞ」
「はい! 仰せのままに!」
「騎士団長、ご武運を」
小屋の扉付近でシュヴァリエさんに支えられているビアンカさんが胸に手を当ててお辞儀をし、彼女を支えているシュヴァリエさんもリッターさんに声をかける。
「ありがとう。シュヴァリエはそこにいて。ビアンカの守護が君の役目だよ」
リッターさんの言葉に、シュヴァリエさんは強く頷いていた。
「僕と鬼族の皆で周りの人喰い鬼を引き受ける。レノンくんとフロラちゃん、ウィンディーちゃんはデイルを中心に叩いてくれ」
「「「はい!!」」」
返事と同時に、俺達三人は地面を蹴ってデイルに向かって一直線に走っていった。
リッターさん、ラルヴァ達鬼族は周りにいる人喰い鬼達を徹底的に叩き初めてくれている。
「デイル! 今度こそお前を倒してやる!」
「よくもあたしとウィンディーを襲ってくれたわね! その時のお返しよ!」
俺は槍を、フロラは弓矢を構えてデイルに叫ぶが、飢えのあまり苦しげに吠えることしかできていない今のデイルに、果たして俺達の叫びが聞こえているのかは怪しいところだ。
だがそれでもいい。むしろ好都合だ。理性を失ったただの鬼を、今度こそ真っ向から叩くことができるから。
「私が風で巻き上げるから、二人はデイルが浮いたところを叩いて!」
「「分かった!!」」
「ふっ!」
ウィンディーは素早く両腕を振り切って、デイルを突風で高く舞い上げてくれる。
「行くぞ、フロラ!」
「勿論!」
俺とフロラは頷き合い、地面を蹴って空へ跳ねる。空中でウィンディーの風に煽られているデイルに向かって、攻撃を開始した。
「「はああああああっ!!」」




