第5話 始まり
そして二日後。いよいよ儀式の日がやってきた。
朝から俺は憂鬱だった。またあの儀式で、奴らとご対面しなければいけないからだ。
奴らというのは、生贄の娘を奪いに来る鬼たちのこと。勘が鋭く警戒心も強いため、なかなか隙を見せない厄介な鬼たちだ。村に来た瞬間を狙って退治した方がいいのだが、それも簡単に気付かれてしまう。
村にとっては幸い、本人にとっては不幸にも、生贄として決定していたウィンディーは、昨日目を覚ましたそうだ。つまり予定通り今晩の儀式で、この村とは永遠におさらばすることになる。彼女自身も、今は覚悟を決めているらしい。
気の毒だよなぁ。候補に上がって会議で決定した子が生贄になるなんて。
でもずっと前から決まっている村の掟だ。逆らうわけにはいかない。
「おはよう、レノン」
フロラが俺の家にやってきた。
「おはよう」
俺も彼女に挨拶を返す。
今日はフロラの表情が暗い。きっと儀式のことが頭にあるんだろう。
だが『大丈夫か?』とは聞けなかった。俺自身大丈夫じゃないのに、フロラが大丈夫なわけがない。
村長の娘としての立場もあるし、儀式に対して肯定的でないといけないプレッシャーに、押し潰されそうになっているのではないか。その事については心配だが。
挨拶をしたきり、俺たちは何も喋らなかった。気遣いとかもしなかった。
お互いの今の気持ち、それがわかっているからこその沈黙だ。
だが、気まずいのには変わりない。フロラも気を紛らわせるために俺の家に来たんだろうけど、ここに来てもっと気まずくさせてしまった。
気遣い、必要だったな、と俺は反省する。
フロラの気持ち、全然分かってないじゃないか。
こいつが今欲しいのは俺の言葉だ。
そうじゃないと、わざわざここに来るわけがない。
重だるい空気を変えるべく、フロラの内に秘めた想いに応えるべく、暗い彼女の横顔に向かって俺は語りかける。
「フロラ」
フロラがパッと顔を上げて俺を見た。やっと声をかけてくれた。そう言いたげな表情で。
「大丈夫か?」
思い切って聞いてみる。今の俺にはそれしか思い浮かばない。聞いては駄目だと思っていても、これが俺の今の気持ちだ。
「……うん」
不安げな笑顔を宿してフロラは頷いた。
「そうか。良かった」
天井を見上げて静かに言った。勿論フロラが本当に大丈夫じゃないのは分かっている。
でも今、フロラは誰かに納得してもらいたいはずだ。誰かに受け入れてもらいたいはずだ。それが偽りだとしても、その肯定の気持ちだけで心が軽くなる。
俺も同じだから、その気持ちはよく分かる。
「レノンは?」
フロラが尋ねてきた。
「うーん」
少し言葉を濁してみる。チラリと横を見ると、フロラは俺がどう答えるかをじーっと待っていた。
「フロラと、一緒だよ」
俺は笑顔で笑った。
不安な時、見たいのは大切な人の笑顔だ。聞きたいのは大切な人の声だ。
言ってほしいのは同じだという言葉だ。
誰かと一緒。そう思うだけで、不安が安心に変わる。勇気が出る。希望が持てる。元気が湧いてくる。
それを知ってるから。俺も、同じだから。だから、届けたい。フロラに、俺の気持ちを。同じだってこと。
俺の答えを聞いたフロラは、安心したように笑った。今度こそ本物の笑顔だ。
「良かった」
俺がフロラにかけた言葉と同じ言葉を、可愛い最高の笑顔で俺にかけてくれた。
「大丈夫、だよね」
俺の手を握り、フロラが天井を仰ぐ。
窓から差し込む温かな光。明るい、朝の光。
それを見ながら俺は頷く。
「ああ」
フロラの冷たい手をギュッと握って。
「大丈夫」
また一人、村の住人がいなくなる。正直、すごく寂しい。
でも、これが村の掟だ。従うしかない。……今日までは。
俺が変えてやる。この村の掟自体無くしてやる。
今夜やってくる鬼をぶっ倒すんだ。俺一人で。
覚悟は出来てる。迷いもない。もう、決めたことだ。
それから俺たちはいつも通りの生活を送った。昨日と何も変わらない生活を。笑顔で。
フォーレスさんとウィンディーも笑っていた。そしてギュッと抱き合っていた。
時間が過ぎて夜が来た。
村のおじさんたちが、一斉に準備を始めた。暗い中、何本もの松明が灯っていく。
生贄の儀式の始まりだ。