87 サーロインステーキが食べたいです
「地上に戻ってきた……?」
俺たちは呆然と青空を見上げる。
試しに転移魔法を使ってみた。
手応えがない。
ここはまだ迷宮の中のようだ。
「あれを見ろ」
イヴァンが前方を指し示す。
水溜まりが広がる中央に、硝子の筒のような建築物が、空を貫いてそびえ立っている。
「アレ、エレベーター」
「何?」
エムリットが跳ねながら何か言ってるが、意味がよく分からん。
俺たちはピチャピチャ水溜まりを踏みながら、透明な柱に見える建築物に近付いた。水溜まりに広がる波紋が地味に綺麗だ。
柱の根元には、文字が書かれた白い石板が設置されている。
うーん、読めないぞ。
「あ、この印は、他の迷宮の入り口で見たことがある!」
イヴァンが石板を撫でながら言った。
石板は中央に水晶球が嵌め込んであって、囲むように模様や文字が刻まれていた。
「四つ鍵穴があって、それぞれ鍵穴の下に迷宮の入り口にある印が書かれている。おそらくここ以外の四つの迷宮と何か関係があるんだ。二つは鍵穴に鍵が刺さっていて、鍵穴から光の線が中央の水晶に流れている……」
つまり、どゆこと?
「あと二つ、対応する迷宮に行って鍵を見つけないと、この装置は作動しないってことだ」
「えー?!」
せっかくここまで来たのに、先に進めないのか。
「そうがっかりするな。最初の探索でここまで来れるのが凄いんだ。すぐに地上に帰れたら、何十年も地下暮らしした俺の立場がない」
イヴァンが俺をなぐさめるように肩を叩く。
そりゃそうだけどさー。
光の人影が案内してくれたんだぜ。あの光景を見たら、絶対もうエンディングだって思うじゃないか。
「来た道にヒントがないか、確認しながら引き返そう。あ、図書館に本が残ってないかな」
「お前あの本の由来を知っても読みたいのかよ」
「当然だ。迷宮を探索した人の記録なんだろう。読んだら攻略の手掛かりがあるかもしれない」
冷静に説得力のある発言をして、イヴァンは俺たちを連れて回れ右した。
改めて観察すると、邪神ヒルデがいた図書館は迷宮の中に作られていたらしく、部屋は途中から迷宮地下通路になっている。本棚で隠れて見えなかったのが、俺が焼いたせいで元の姿が現れたようだ。
燃え残った本を灰の中から拾い上げ、イヴァンは楽しそうにしている。
「ちょっと寄り道していいか?」
「えー、だるい」
「肉が旨い牛型モンスターを狩って帰りたいんだが」
「行く!」
食べられるモンスターが出現しなくて残念に思っていた俺は、超テンションが上がった。ルーナはドン引きして「馬鹿じゃないの。肉ばっかり胸焼けするわ」と愚痴った。ええい、肉の良さが分からない奴は先に帰りたまえ。
俺は氷結監獄から出たところで、ルーナと赤ん坊ローズと別れ、イヴァンと狩りに出掛けた。エムリットは俺の後ろで跳ねている。
標的はカトブレパスという大きな牛型モンスター。
動きは鈍重だが、視線を合わせた相手を石化する魔法が使えるという。
「そんなの頭を凍らせちゃえばいいよ! えいっ」
俺は氷魔法で頭部を氷付けにして目が開かないようにした。
イヴァンが剣で首を切ってとどめを刺す。
カトブレパスの肉は、見た目より大きなものが入るマジックバックで持ち帰った。
料理方法?
やっぱり豪快にステーキだろ!
イヴァンの酒場に戻って、料理を手伝った。
鉄で出来た調理台の下に専用の竈があり、拳より小さい石炭が沢山入っている。俺が火を付けると、屑魔石を混ぜこんだ黒い石炭はゆっくり熱くなって、石の中心にうっすら赤い火が灯った。
調理台の上に、カトブレパスの肩の肉を敷く。
ジュウジュウと肉の焼ける音がする。
牛肉は肩から背中の肉が一番美味しいんだぜ!
「良い匂いがするな!」
肉の匂いを嗅ぎ付けた大地小人たちが、店の中に入ってくる。イヴァンが「カトブレパスの肉を仕入れたんだ。一切れ二十ガルド」と商売を始める。
俺はカウンターに頬杖を付いて、肉が良い具合に焼けるのを待った。
暇つぶしに時々ボールみたいなエムリットを指先で転がす。
やがて、イヴァンがほどよく焼けたお肉を持って来てくれる。
お肉はシンプルに岩塩を振って頂いた。
んー、うまっ!
「大活躍だったそうだな、坊主!」
大地小人のおっさんたちが、俺を取り囲むように座って、酒を飲み始める。
「あの難攻不落の氷結監獄を突破したとか。さすが俺たちに酒飲み比べで勝ったことはある!」
「どうも」
酒飲み比べ、関係あるかなー。
俺はとりあえず誘われるままに乾杯した。
今日は前回の二日酔いを反省して、アルコール成分無しの冷たい炭酸水だ。
「氷になってた奴らが、ニダベリルに帰ってきた。坊主に礼をしたいと言っていたよ」
「別に要らないよ、そんなの」
助けようと思ってた訳じゃなくて、偶然、ついでだし。
「そういえばゼフィ」
肉を焼いていたイヴァンが顔を上げて俺を見た。
「装備は整えないのか? カトブレパスの肉を売った金もあるんだが」
「鎧は重いから付けたくないなー」
迷宮に落ちてから、仰々しい鎧や盾は買っていない。
地上で着ていた貴族の長衣は脱いで、動きやすい服装に変えたけど。
「剣が使えるんだろう。買ったらどうだ」
「いや、地上で使ってた剣に浮気したって文句言われるからさ」
「??」
イヴァンの勧めに俺は頬を指でぽりぽり掻いた。
天牙の精霊メープルは、自分以外の剣を使わないでとうるさいのだ。
「助けてーっ!」
カウンターで雑談していると、突然、赤ん坊ローズを背負ったルーナが飛び込んできた。
なぜか息を荒くして鬼気迫る表情をしている。
「どしたの?」
「美味しそうな匂いね、ってそうじゃない! 変な男がナンパしてきて、困ってるのよ!」
ルーナが俺の後ろに隠れるのと同時に、酒場に背の高い人間の男が入ってきた。この酒場は背の低いイヴァンと大地小人が主に利用しているせいか、天井が低い。男は頭を天井につっかえさせている。
「地下でこんな可愛い女性と出逢えるとは! 運命に感謝します! ああ、僕の女神よ、今すぐ結婚しよう!」
金髪の男は、俺の後ろに隠れたルーナに向かってまくしたてた。
盾にされた俺はどうしようか悩む。
「……結婚すれば?」
「なんでそう投げやりなのよ! 私が結婚してもいいの?」
「全然かまわないよ」
だってルーナとは全く親しい仲でも何でもないし。
地下に落っこちてから一緒に行動してるので、仲間っぽくなってるけど。そもそも俺が地下に落ちた原因は彼女です。
「許可も降りたし、教会へ行こう!」
金髪の男はルーナを引っ張り出して、連れて行こうとする。
大地小人のおっさんがポツリと言った。
「ニダベリルには教会なんてないぞ?」
しーん。
金髪の男はちょっと固まった。
俺は彼が可哀想になったので、助け船を出すことにした。
「じゃあ、教会みたいな場所を探そうよ。迷宮にはそんな雰囲気の場所がどこかにあるかも」
大地小人たちが「そいつは良い考えだ!」と騒ぎ出す。金髪の男も「ありがとうございます」と嬉しそうだ。イヴァンは「君たち本気で言ってるのか」と呆れ顔。
ルーナは半泣きになって叫ぶ。
「ゼフィ、どうして逆に乗り気になってるのよーっ?! 信じられなーいっ!」




