80 時計を持ったウサギを追っかけた訳じゃありません
帰ったらウォルト兄とクロス兄が喧嘩していた。
「俺の方が兄者より強い! 狩った獲物の数も勝っているし、縄張りも俺の方が広い!」
クロス兄が勢い良く吠える。
全力のフェンリルの威嚇で、領事館の庭は氷点下になって軒下に氷柱ができていた。後ですりつぶしたカキ氷にしよっと。
俺は人間の少年の姿で庭石に腰かけて、足を行儀悪くぶらぶらさせていた。
「グルル……(爪と牙は俺の方が鋭いぞ)」
歯を剥き出しにして唸るウォルト兄。
立派な体格に長い爪と牙。
兄たんたち格好いいなあ。
俺の狼の姿はまだ子供……。
「ゼフィ、俺たちのどちらが強いと思う?!」
「ふえっ?!」
唐突に話を振られて、俺は動揺した。
「俺とウォルト兄のどちらが強い?」
確かにクロス兄は強い。
動きも素早くて機転がきく。
「……(無論、俺だろうな)」
だけどウォルト兄の落ち着きと、強力な氷魔法も凄いんだよなあ。
「えっと」
「答えろ、ゼフィ!」
兄たんズは俺に答えを迫ってくる。
どっちも、と答えると何が起きるの? 兄たん戦争? いや、どっちを選んでも絶対戦争だよね、これ。
仕方ない。子狼の姿に戻って「兄たん大好き!」で切り抜けるか。
「ゼフィさまーっ」
悩んでいたところ、侍女のミカが赤ん坊を抱いてやってきた。
「ローズが泣きやまないんです! フェンリルの姿に戻って、遊んでやってください!」
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
ローズは何がそんなに気に入らないのか、ギャン泣きしている。
最近、子狼の俺の尻尾に触るとご機嫌になることが判明し、俺はたびたびミカに頼まれて尻尾を貸していた。しかし、ローズはしょっちゅう泣くために俺の尻尾はボロボロになりつつある。
ここは尻尾を死守したいところだ。
「ゼフィ!」
「ゼフィさま!」
「おぎゃあああっ」
「あー、勘弁してくれ!」
俺は音を上げた。
「……ゼフィ? 今日は忙しい? 一緒に学校に」
「行きます!」
天の助けだ。ティオが輝いて見える。
俺は庭石を飛び降りて、ティオに駆け寄った。
兄たんたちとミカが「ちょっと待って」と言っているが、あえて無視する。俺はもう限界なのだよ、尻尾が。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
ティオは庭の様子を見て心配そうにしたが、俺は少年の背中を押して、一緒に竜騎士学校に行くことにした。
今日は竜に乗る実技の授業だ。
ティオは白竜スノウと、痩せたグスタフを連れていた。
もう何回も受けた授業だから、今は慣れた様子で竜を撫でている。
授業風景も平穏そのものだ。
前回、竜騎士クラスで因縁を付けてきた貴族の青年、ピエールはすっかり大人しくなっていた。
「ラティオ王子、あなたの竜を扱うスキルは素晴らしいな」
「そう? ありがとう」
グスタフの炎でカツラを焼かれて以来、金髪坊主頭になったピエールは、性格もさっぱりしたものに変わっていた。
あまりの変わり様にティオも苦笑している。
「グスタフをあれだけ自由自在に乗りこなすとは」
「キュエー(ご主人様)」
グスタフはティオの後ろで大人しくしている。
ピエールが吹っ掛けた課題の勝負、途中で俺はフレイヤと巨人討伐で抜けたのだが、ティオはあの後グスタフのお尻を叩いて課題を完遂したのだという。必死に飛ぶうちに痩せた状態に戻ったのだとか。うん、意味分からないよね。
見事、やり遂げたティオに、ピエールを初めとする竜騎士クラスの生徒たちは「こいつタダものじゃないな」と思い始めているらしい。
「セイル殿も、王女と共に東部で行われた戦いに参戦していたとのこと。主従そろって傑物であらせられる」
ピエールは俺の噂を聞いているらしく、やたら褒め讃えてくる。
やめろ。尻がむずがゆくなる。
「セイルさま。私と一緒に竜に乗りましょう。お爺さま…いえ、私の騎竜もセイルさまと飛びたいと申しております」
「フレイヤ」
エスペランサの王女フレイヤは、一緒に巨人討伐して以来、こんな風に親しげに声を掛けてくれるようになった。師匠、本当に普通の竜の振りをしてるし。孫娘に対する愛がすごい。
誘いは嬉しいんだけど、俺はどっちかというと、フェンリルの姿で雪山を駆け巡りたいな。
そろそろ白銀山脈に帰って、母上に会いに行こうか。……しかしその前に兄たんズの喧嘩を止めなければ。
「セイルさま?」
ちょっと物思いにふけってしまっていたようだ。
フレイヤに不思議そうに名前を呼ばれて、俺は我に返った。
「何でもない」
「……おぎゃあ、おぎゃあ!」
気のせいかな。
育児疲れで、幻想でも聞いているのかしらん。
ここは竜騎士学校なのにローズの泣き声が。
「おぎゃああああっ!」
空耳じゃなさそうだ。
どこか近くでローズが泣いている。
「ちょっと失礼」
「セイルさま?!」
俺は周囲に断って授業を抜け出した。
泣き声とローズの匂いを追って、火山の斜面を走る。
巨大なドーナツ状の石柱が立っているところで、一人の少女がローズを抱いて待っていた。
「誰だ……?」
「ふふふ」
含み笑いをする少女。
黒いフリルの付いたスカートに白いブラウスを着た美少女だ。
ダークブラウンのウェーブが掛かった髪からは尖った獣耳が生え、明るい碧の瞳には縦に瞳孔が走っている。腰からは鞭のような尻尾が伸びていた。
初対面かな。でもなんか見覚えが。
「私のことは忘れているでしょう、ゼフィ。わざとあなたの前に姿を現さず、ダイエットしながら機を伺っていた甲斐があったわ!」
「えーと、どなたさま?」
「聞いて驚きなさい! 私はルーナよ!」
……誰だっけ。
「きぃーーっ、分かっていたけど、本当に眼中にないわね!」
「良く分かんないけど、ローズを返せよ」
「タダでは返さないわ。膝まづいて私に忠誠を誓いなさい! そして私の呪いを解くのよ!」
「……ていっ」
話をするのが面倒になった俺は、そのまま真っ直ぐ少女の前まで歩くと、脳天に軽くチョップを落とした。
彼女の腕からさっとローズを救い出す。
痛そうに頭を抱えたルーナは俺を涙目で睨んだ。
「なんで私に攻撃するの?! ここ数ヶ月あなたを観察していたけど、あなたは女性には優しいはずよ! この姿は弱点を突くと思ったのに!」
「女性を攻撃しないとか、そんな騎士道精神持ち合わせてないけど」
「何ですって?!」
むしろ前世で幼馴染みに裏切られたせいで、ちょっと女の子は苦手だ。
「くっ。このままでは数ヶ月の苦労が水の泡に……仕方ない、奥の手よ!」
ルーナはどこからか水晶玉を取り出して、地面に叩きつけた。
割れた水晶の欠片から黒い煙がもくもく上がる。
「これで眠らせて……って、あれ?」
「何?!」
地面に赤い光の亀裂が走る。
亀裂はあっという間に広がって、暗闇の水面のような穴が、いきなり足元にぽっかり開いた。
俺とルーナとローズは穴に真っ逆さまだ。
「きゃっきゃ」
さっきまで泣いていたローズは、落下現象に急にご機嫌になった。
本当に赤ん坊の考えることは分からないぞ!
俺たちを飲み込んで穴の天井が自動的に閉まる。
ちょっと待て。
「転移の門よ!」
急いで転移魔法を使うけど、転移の門が……開かない?
「ええーっ?!」
「ちょっとあなたフェンリルの癖に、こんな穴もどうにかできないの? どうにかしなさいよ!」
「君が原因だろ!」
俺はルーナと言い争いながら、穴を落ちていった。




