62 好きな食べ物は最後にとっておく主義です
人間だった頃は身を守るために剣を持ち歩いていたけれど、今の俺はフェンリルだから、天牙を携帯する必要性を感じていなかった。メープルには散々「私を連れていってよゼフィ」と頼まれていたのに。ごめんよメープル。やっぱりお前が必要だわ。
それにしても、あのヴェルザンディとかいう邪神、出会った時にアールフェスごと食べちゃえば良かったな。
可愛い女の子の姿をしていたから、つい油断してしまった。
「どうすれば幻想結界を解除できるのかしら。本の妖精さん、教えて頂戴」
「本の妖精……」
「違うの? 本の妖精だから、邪神や結界について詳しいのかと思ったわ」
フレイヤは、空中に本を浮かせて隠れているヨルムンガンドに問いかける。
ヨルムンガンドは孫娘に「本の妖精」と呼ばれてショックを受けているようだ。
黙ってしまったお爺ちゃんの代わりに俺が答える。
「じゃしん、いばしょ、わかるよ?」
子狼の姿だと舌を噛みそうになる。
たどたどしい言葉でフレイヤに説明した。
「におい、する。じゃしん、たおせば、みんな、たすかる」
「本当?!」
フレイヤは、腕の中の子犬こと俺に輝くような笑顔を見せた。
「着替えて戦いの準備をしなきゃ」
本棚の陰で彼女は武装し始める。
紺碧のワンピースの上から黄金の胸当てや籠手を装備した。
戦姫という二つ名にふさわしい姿だ。
「よし! 準備万端よ!」
俺を片腕に抱え、片腕に黄金の槍を持って。
フレイヤは図書室を出た。
廊下で兵士とすれ違う。
「フレイヤさま。民が次々と眠るように倒れております。それにこの夜空は」
「うろたえるな!」
凛々しい表情で彼女は一喝した。
「たとえ国土が闇に沈もうと、このフレイヤがいる限り、明けぬ夜はない!」
おお……恰好いい。
俺はたのもしい言葉に聞きほれた。
兵士も希望を感じたらしく、表情を明るくしている。
「倒れた者を室内に運び、手当てするのです。後は私がなんとかします」
「はっ! フレイヤさま、ご武運を!」
兵士は敬礼して駆け去っていった。
フレイヤは兵士が去ると少しリラックスした雰囲気で、俺を見下ろす。
「子犬ちゃん、邪神はどこに?」
「かざん。うえのほう」
俺は風上に鼻先を向けた。
学校の外へ歩き出すフレイヤ。後を追うように浮遊する本と、ヨルムンガンド。
外に出ると、見知った顔がいた。
「ゼフィ!」
慌てて走り寄ってくるティオ。
護衛のロキが険しい表情で空を見上げている。
「止まりなさい」
フレイヤが近づかないように警告する。
俺しか見えていなかったティオが、目を丸くして立ち止まった。
「あなたは、この子犬の飼い主なのですか?」
「か、飼い主というか……友達ですけど」
「そうですか。申し訳ありませんが、事態を収拾するために、この子の力を借ります」
ティオが視線で「どうなってるの?!」と問いかけてくる。
うーむ。ここは流れに身を任せてみるか。
関係を説明するのが面倒くさい。
「あなたたちは、火山から離れなさい。街に親類がいるなら、無事を確認するといいでしょう」
フレイヤはそう言ってティオたちに背を向けた。
ロキが「ひとまず領事館に戻って様子を見ましょう」と言っている声が聞こえる。
領事館といえば……兄たんたち、どうしてるだろう。
きっとこの状況を把握したら、俺のところに飛んでくるはずだ。
とりあえず、兄たんたちが来るまではフレイヤと一緒にいよう。
「ゼフィ、また後で」
ティオは動かない俺を見て諦めたようだ。ロキと一緒に去っていく。
周囲にいた他の生徒たちも、フレイヤの言葉を聞いていたのか、学校から退避するようだ。
俺を抱えたフレイヤは一人、火山の頂上を目指して登り始めた。
「竜が眠っている……」
火山は木々が少なく、大きな岩がごろごろ転がっている。
岩に混じって、竜が地面につっぷして眠りこけていた。
「眠らされているのだろう。魔力の少ないものは真っ先に眠りに落ち、魂を抜かれている」
ヨルムンガンドが解説する。
フレイヤは寝ている竜を迂回して進んだ。
「竜が寝ていてよかったわ! 私、竜が大の苦手なのよ」
「え?」
竜が苦手なのに、なんで竜騎士学校にいるんだよ。
「お母さまが苦手を克服しなさい、と言って私をここに放り込んだの。授業に出たくないから、いつも図書室にこもっている訳」
俺の疑問を察したのか、フレイヤが竜騎士学校にいる理由を教えてくれた。
竜が苦手ならヨルムンガンドと会わせられないじゃないか。
困ったな。
「あ、あれは……」
気温が高い火口付近になって、フレイヤは足を止めた。
満月を背に黒髪に紫の瞳の青年が立っている。
貴族らしい優美な長衣が、熱風に吹かれてひるがえった。
彼は片手に銀色の小銃を持って、こちらを見下ろしている。
「アールフェス・バルト」
フレイヤは青年の名前を呼んだ。
「なぜ、あなたがここに?」
「決まっているでしょう。邪神ヴェルザンディに協力するためだ。戦姫フレイヤ」
アールフェスは口の端を上げて答える。
こいつ操られてるかと思ってたけど、正気なのか?
フレイヤは戦いの邪魔になると思ったのか、俺を地面に降ろし、黄金の槍を構えた。
「なぜ無敗の六将の息子であるあなたが、敵である邪神に協力するのです?!」
かつて無敗の六将は邪神を倒すために戦った。
親の敵になぜ与するのかと、フレイヤは詰問する。
「はっ! 神童と呼ばれ、エスペランサの戦姫と讃えられるあなたには、僕の気持ちは分からないだろう。英雄の息子と無駄に高い期待をかけられ、それに応えられず勝手に失望された、僕の気持ちは」
アールフェスは自嘲の笑みを浮かべて答える。
「僕は、僕を見限った親父や世界の全てに復讐する。そのために邪神と取引をしたのさ!」
「なんて浅ましいことを……恥を知りなさい!」
フレイヤは怒っているようだ。
一方で俺は、ちょっとアールフェスに同情していた。
邪神と取引するのは確かに卑劣な行為だけど、強くなる目的を果たすという意味では間違っていない。持つ者は持たざる者の気持ちが分からないというのも、真理だ。
「……ゼフィくん、ゼフィくん。どうする?」
岩陰に隠れながら、ヨルムンガンドと俺はこそこそ話をする。
「うーん。兄たんがくるのを、まつよ」
「私の孫娘と、邪神の使徒になっている青年は大丈夫かね? 戦いが始まりそうな雰囲気なのだが」
「あぶなくなったら、おれがとめるよ」
互いの主義主張をぶつけ合う戦いも、たまには必要だろう。
俺たち無敗の六将が最初は敵同士だったように。
仲良くなるには一度きちんと喧嘩する必要があるのだ。




