第96話 バニヤンといつも通りの日常
「それじゃあ、行ってきます。母さん。バニヤン」
兄さまは玄関まで見送りに来た私達に、そう告げる。
「いってらっしゃい。ロワン」
「行ってらっしゃいませ!ロワン兄さま!」
私達が見送りの挨拶をすると、いつも通り、兄さまは警備の任務へと出発していった。
父さんはいつも通り、早くから樵に出かけている。
森には入れるのは狩人だけ、冬場の薪拾いや、樵も狩人の立派な仕事なのだ。
というよりも、この寒い時期、獲物もいなければ、山菜も取れないので、それしかする事が無いのである。
教会から火種が配られるとはいえ、燃料がないとどうにもならない。
そういう意味では、狩人という仕事は年中、皆に必要とされている、立派な仕事ではあるのかもしれないが…。
まぁ!兄さまの警備任務とは比べ物にならないけどね!
私は一人満足げに頷くと、母さんの背を追って部屋の中に戻る。
「それじゃあ。食器と洗濯物、お願いね」
「え~。水冷たいからヤダ~」
そう言いつつも、私は洗濯物の入った水桶をもって、教会に向かう。
家の中でも白く映った息が、また一段と白みを帯びる。
今日も今日とて、寒い朝だった。
教会には水が湧きだす噴水がある。
その為、今、私は教会に向かっているのだ。
私達の使う水は全てそこで貰ってきている。
火種も同様に、永遠に燃え続ける篝火があるので、そこから拝借させて頂いているのだ。
噴水の傍に来ると、大勢の人たちが水桶を抱えて歩いていた。
「おはよございます」
私は目の合った人や、仲の良い人に挨拶をしつつ、噴水に近づいていく。
「つめちっ!」
やはり、噴水の水は冷たかった。
しかし、この仕事は私がやらなければいけない。
何故なら、母さんは体があまり丈夫ではないのだ。
こんな事で風邪をひかれては困ってしまう。
それに、毎回、洗い物洗濯物は私がやっているので、今更感もある。
「あらあら、バニヤンちゃん。今日も偉いわね」
隣にいた、よく合うおばさんが声を掛けてくる。
「いえいえ、これが私の仕事なので…」
そう言いつつ、私は洗い物を進めて行く。
「本当。私の息子に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。あの子、まだ、布団の中でグースカしてるし、起きたって遊んでばっかりで、手伝いやしない」
そう言えば、このおばさんの家にも私と同じぐらいの男の子がいたっけ…。
あまり、同年代の子と遊んだことがないのでその辺りには疎いが、兄さまも昔はやんちゃだったのだろうか?
帰ったら、母さんに聞いてみよ。
そんな事を思いつつ、適当に話を合わせて、洗濯物と洗い物を終わらせる。
後は水瓶に水を汲んで…。
「それではお先に失礼しますね。おばさま」
私はおばさんに頭を下げ、噴水を後にする。
家に帰ったら洗濯物を干して、部屋の掃除は母さんがやってくれているから…。
その後は一緒に黄金粒種でも潰しながら、お兄さまの昔の話でも聞いてみよう。
それから、それから、天日の刻過ぎには、教会の鐘の音と共に、お話と、合唱練習が始まるから、それにも参加して…。
今日も私は大忙しである。
それでも、兄さまはそれ以上に頑張っているのだ。
勝てるとは思っていない。
ただ、妹として恥ずかしくない様に、胸を張れるように。
そして、あわよくば…。グヘへ…。
「あ、バニヤンちゃん」
急に声を掛けられたバニヤンはハッとなる。
そして、急いで表情を取り繕うと、満面の笑みで振り返り、可愛らしい声で返事を返した。
それは勇者の兄と並び、天使の妹として噂されている、とある少女の日常であった。




