第77話 マロウと仮初の日常
あの日、メグルは目覚めると、私達の無事を喜んで泣いた。
私達もそれを受け取め、お互いの無事を改めて確かめ合う。
メグルが壊れてしまったのではないかと心配していた私たちは、安堵の息をついた。
その後から、メグルは何事もなかったかのように生活している。
私と家事をして、兄弟たちと狩りに出かけて、空いた時間にモノづくり。
良く笑って、良く照れて、たまに不安そうな顔をする。
いつも通りのメグルだった。
いつも通りすぎた。
皆は困惑していたが、深く掘り返すことはしない。
下手をしたらメグルが壊れてしまうかもしれないから。
皆の心には、あの日、身も心もボロボロになって帰ってきた、メグルの姿が染み付いている。
誰も触れられなかった。シバの事に。
メグルが話さないのだから、言えるわけがなかった。
…それで良いの?
心の中の私が言う。
シバの件で痛い目を見たのではないか、と。
そうだ。逃げる事は、自分に言い訳する事はいつでもできる。
その事を後悔するのは全てが終わってしまった後なのだ。
「…?どうしたの?母さん?」
メグルのくりくりとした目が私を見つめる。
「なんでもないわ」
私は止まっていた手を動かして、再度、鍋をかき回し始める。
そんな私を見て、メグルは不思議そうに小首を傾げた。
彼の可愛らしい動作に、私がクスリと笑う。
すると、メグルは満足したのか、楽し気に自分の作業に戻って行った。
やはりいつも通りのメグルだ。
…そして、あんなに優しいメグルが、シバが死んだ事を気にしない訳がない。
私が遠目にメグルを見つめていると、同じくメグルを見守っていたセッタと目が合った。
…メグルがおかしい。
私と彼女は一瞬で通じ合った。
やはり、異変を感じているのは私だけではないらしい。
どうにかして、原因を突き止めなければ。
そうしなければ、メグルもシバと同じように…。
そうなった時、私はメグルを止めなければいけなくなるのだろうか。
メグルがシバにした様に…。
私の手でメグルを…。
手がメグルの赤で染まる。
目の前でメグルが冷たくなって行く。
私のせいで、私の手で。
考えるだけで頭が痛くなった。
考えるだけでこれなのだ。
やはり今のメグルは正常ではない。
では、どうすれば良い?
正面から聞いてみる?
いや、駄目だ。
もし、無理をして平静を取り繕っていた場合、メグルが壊れてしまう。
それに、ショックでシバを忘れているのかもしれない。
その場合、シバには悪いが忘れていて貰うのがメグルの為だ。
シバを思い出させるような発言は控えたい。
と、なると別の方法が必要になってくるが…。
「ワゥ」
セッタの声が私の意識を呼び戻す。
…大丈夫だ。まだ鍋は焦げていない。
「ワゥ!」
セッタが先程より強く声を上げた。
私は何事かと顔を上げる。
彼女の見つめる先。
そこに居たはずのメグルが消えていた。
そういえば、この頃、不意にメグルの姿を見なくなる事があった。
兄弟たちの所へ行っているのかと思ったのだが、今はこの場に全員がいる。
セッタが歩き始めた。きっとメグルの後を追うのだろう。
私も鍋の火を消すと、すぐにその後に続いた。




