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第2話 少年と二度目の目覚め

 トントントントントン


 何かを叩くような小気味良《ごぎみよ》い音で目を覚ます。

 ママが朝ご飯を作っている最中《さいちゅう》なのかもしれない。


 今日の朝ご飯は何だろう…。

 でもまだ、もう少し寝ていても怒られないかな?


「…!」


 寝返りをうとうとすると足首に痺《しび》れる様な痛みが走り、意識が覚醒《かくせい》する。


 そうだ、僕は…。僕はどうなったんだ?


 目を開け辺りを見回してみると、見覚えのない部屋。いや、洞窟《どうくつ》だった。


 当然辺りは暗く、発光茸《はっこうだけ》の淡い光でのみぼんやりと辺りを見渡すことができた。


 壁や床は岩肌や土がむき出しになっている。

 棚や机などの家具も見て取れるが、手作り感が満載《まんさい》で不格好《ぶかっこう》な形をしているものが多かった。


 今、僕が寝ていた寝床も比較的《ひかくてき》平坦《へいたん》な岩肌の上に獣の皮を引いただけの物である。

 ここは狩人の拠点《きょてん》か何かなのだろうか。


 疑問《ぎもん》を抱《いだ》きながらも寝床《ねどこ》から起き上がり、靴《くつ》を探す。


 足の痛みは先ほどまでと違って我慢《がまん》できない程ではない。

 壁伝《かべづた》いに、捻《ひね》った足をかばいながら歩けば痛みはさほど気にならなかった。


 床が岩肌から土に変わる場所に靴が置いてあった。

 如何《どう》やら岩の部分は土足禁止らしい。


 よく見れば岩肌の部分には泥が付いている様子もないので案外綺麗好きなのかもしれない。


 そのまま音が聞こえてくる方へ足を進めると、木でできた仕切りの向こう、月明かりが漏れてきた。


 そっと覗きこみ辺りを見回すと、その異様な光景に息を呑《の》む。


 そこはダイニングキッチンのような場所だった。

 台所と机と椅子。食器棚《しょっきだな》やちょっとした食料が置いてあるのが見て取れる。


 それだけならば普通だ、別段驚《べつだんおどろ》くことではない。


 しかし、そこには何かがいた。



 僕は慌《あわ》てて顔をひっこめ、息を殺す。

 何かを考えての行動ではない。咄嗟《とっさ》に現れた、ただの生存本能だった。


 先程《さきほど》まで死を受け入れていたにもかかわらず、この反応速度、滑稽《こっけい》にも程があるだろう。


 それはさておき、仕切りの向こうに見えたぼろ布を纏《まと》った女性のようなシルエット。

 そこには細身に似つかわしくない巨大な赤い腕《うで》が生《は》えていた。アレは何だったのだろう。


 …いや、ここでそんなことを考えていても仕方がない。

 一度は命を投げ出した身、そして今の状況を見るに相手はそれを拾ってくれたのだ。


 取って食われることはないだろうし、それ以上に相手に対して失礼なきがする。


 落ち着いて呼吸を整え頭に酸素《さんそ》を回す。


 覚悟を決めると、木の仕切りを抜け、ダイニングキッチンへと足を延《の》ばした。


 女性から伸びた巨大な左腕《ひだりうで》。

 3mほどあるその腕は生物の真皮《しんぴ》を剥《む》いたような色形をしており、指の先端《せんたん》からは刃物のように鋭《するど》い爪《つめ》が伸びていた。


 その巨大な腕の持ち主は左腕を地面に垂《た》らしたまま、残った人間の右腕を器用に使い、肉を切り分けている。


 髪が長いせいでこちらが死角になっているのか、未だ僕の存在に気が付いた様子はなく、黙々《もくもく》と料理を続けていた。


「・・・」


 暫く待ってみたがやはり振り返る気配はない。

 このまま相手がこちらに気づくのを待っているのも、失礼な気がしてきた。


「すみません」


 内心恐々《ないしんきょうきょう》としていたが、それを悟《さと》られないためにもはっきりと声を掛ける。


「あら」


 相手は声を上げると健常《けんじょう》な右手で横髪をかき上げ、ゆっくりとこちらに振り返る。


 開いているかわからない程の細い目と、慈愛《じあい》に満ちた表情が特徴的な彼女。


 歳は20代前後だろうか。

 村では15歳での結婚が当たり前だったのでその人たちよりはわずかに年を取っているように見える。


「先ほどは危ないところを助けていただき有難うございました」


 両腕を脇《わき》に付け、気を付けの姿勢《しせい》をとると、そのまま45度腰を折って礼をした。


「ふふふ、そんな事、子どもが気にしなくてもいいのよ。顔を上げて」


 彼女の言葉に従い顔を上げると、彼女はニコニコしながら優しく僕の頭に右手をのせ、撫《な》で始めた。

 僕は少しくすぐったくなって目をつぶる。


「聡明《そうめい》な子なのね。私の腕を見ても騒《さわ》がないなんて。どんな生き方をしたらそんな子どもに育つのかしら」


 少し憐《あわ》れみを含んだような口調《くちょう》。

 それは同情《どうじょう》すらされなかった僕の心に優しく響《ひび》く。


「いえいえ、特出《とくしゅつ》するような事はありませんでしたよ。私の事よりもあなたの事を伺《うかが》っても?」


 少し熱くなった胸を隠すように、彼女から距離を取ると、これ以上奥に触《ふ》れられないように、話題のすり替えを試みる。


 すると彼女は微笑《ほほえ》ましそうな表情を浮かべ「照れ屋さんなのね」と、続けた。


 僕は図星《ずぼし》を突かれた形になり、顔が赤くなるのを抑《おさ》えきれなかった。


「ふふふっ。意地悪《いじわる》を言ってごめんなさい。私の名前はマロウって言うの。宜しくね…それで貴方は?」


「僕の名前は!…」


 僕は抜けきらない恥《は》ずかしさも手伝って何も考えずに口を開いた。

 開いたは良いが、そこで口が止まってしまう。

 それ以上先の言葉、名前が出てこない。


 思い出そうと記憶を掘《ほ》り返してみてもパパやママが僕を呼ぶ声にはノイズが走って聞き取ることができなかった。


 それでも、何度でも思い出そうと回想を繰り返すが、ノイズが僕の頭を劈《つんざ》くだけで断片を聞き取ることすらできない。


 それでも聞き取らなければならない。思い出さなければならない。

 僕が僕であるために。


 焦りと不安が視界を覆《おお》う。


 僕の知らない事を覚えている僕。僕が知っている事を忘れていく僕。


 その内、僕が僕じゃない僕に乗っ取られてしまう気がして…。


 早く思い出さなくちゃ!パパは、ママは僕を何て呼んでたんだっけ?!


「あっ」


 いつの間にか再び距離を詰めていたマロウさんに頭を撫でられることで、意識が現実に引き戻された。


 マロウさんはよしよしと、言った風に健常な右手で僕の頭を優しくなでて続けてくれた。


 その間、彼女は終始無言だった。


 しかし、表情は少し困ったような不安そうなものであり、こちらを心配してくれていることがはっきりと伝わってくる。


 きっと何が原因で僕が取り乱《みだ》しているのかわからないのだろう。


 慰《なぐさ》め方が正しいのか、そもそも慰めること自体が正しいのか不安なのだ。僕も最初はそうだった…。


 ふと、僕が誰かを抱き寄る光景《こうけい》が脳裏《のうり》に映《うつ》る。


 僕は今よりももっと身長が高くて、今の僕と同じぐらいの身長の”彼女”は僕の脚《あし》にしがみついていた。


 彼女は泣いているような気がする。どうしたらよいかわからずとりあえず頭を撫でてやる。


 しかしかける言葉も見つからずひたすら撫で続けていると、そのうちに彼女は泣き止み、こういった。


「ありがとう。めぐるお兄ちゃん」


「あ…僕の名前はメグル…日比谷《ひびや》 周《めぐる》だ…」


 僕に妹なんていないし、周と言う名もこの世界の名としては特異《とくい》なものだ。


 しかしそれ以上に頭に浮かんだ情景《じょうけい》と呼ばれた名前がとてもしっくりときた。

 それ以上は思い出すことができないが、これも僕の記憶なのだろう。


 正直どちらが本当の自分か分からない。

 分からないが、それを合わせて存在している今の僕は確かに僕だ。

 そう思わせる安心感が、今の思い出にはあった。


 僕は自然になった振りをして自分を騙《だま》すと、彼女に向き直って掛けるべき言葉を探した。


 いや、掛けるべき言葉は妹から教えてもらったのだから探していたわけではないのだが…。

 どうも気恥《きは》ずかしくなって口が素直に動かなかった。


 今一度呼吸を整えると覚悟を決めて口を開く。


「ありがとうございます。マロウさん」


 顔を背け少しぶっきらぼうになってしまった「ありがとう」を彼女は優しい笑顔で受け止めてくれた。


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