交換世界
「久しぶりですね」
女性は砂浜の上で言った。
「うん」
男性は応えた。「本当に久しぶり」
「何年ぐらいなんだろう?」
「10年と四ヶ月」
「細かい」女性は呆れるように言った。
「お互い変わったね」男性は言った。
「そうですね」
「あんなことが起きて……」
「ずっと会えなくなった」
「そう。きっかけは――」
#Section 1 ――夢を見ているのか?
《視点:初見百合》
あたし、ルミカ。花の女子高生。
学校では軽音楽部に所属していて、ボーカル担当。
バンドメンバーは全員女子。
だけど、些細なことが原因でメンバー間に亀裂が発生。
バンドは解散。
あたしは途方にくれて、仕方ないからカラオケで一人練習していた。
そしたら、そこに突然現れた男子。
「歌、上手いね。君の名前は?」
そんな風に始まる私とカレの純愛・ラブ・ストーリー。
カレが隕石落下で死ぬこの先の未来を変えるため、あたしはこの後、過去に戻ることになる。そして、あたしはオレンジ色の宇宙服に身を包んで、クールなロックミュージックを背景にロケットに乗り込む。
そして――
*
という映画が流行った。
そんな話をなんとなく覚えていた。
だからあたしは貰った星の砂に願いを込めた。
あたし、初見百合は、現在高校生。身長161センチ。セミロング。本当はパーマをかけたいけど、校則で禁止されてるからダメ。バンドが解散してからは駅前のチェーンのカフェでアルバイト中。今週末は友達のチエと一緒に原宿で冬服を買って散財する予定。
もちろん、映画みたいなことはありえないし、そもそもタイムスリップなんて出来ないし、あたしも同じようにバンドでボーカルをやっていたけど、そんな浮いた話は何一つなくて星に願い事をかけたりもしたけど――
だけど、これはあんまりだ。
今朝あたしは何気なく起きて、いつもと同じように洗面台に向かって、何気なく鏡を見た。
鏡に映るあたしの顔は――
つるんとした肌とは正反対の脂ぎった肌。
伸びかけの無精髭。
たるんだ目元。
どう見てもおっさん。
で、そのおっさんが、あたしと同じ動きをする。
しかめっ面。
にっこり顔。
悲しい顔。
驚き顔驚き顔驚き顔。
そのまま硬直。
嘘でしょ?
これが……あたし……?
ぎ……
ぎ……
ぎゃああああああああああああああああ!!!!
絶叫が洗面室にこだました。
◆◇◆ ◆◇◆
《視点:武藤隆二》
俺、武藤隆二、三十五歳。身長171センチ。
若い頃はバンドのボーカルなんかをやっていた。多少、女の子が声をかけてくることもあったが、俺がやっていたのはブリティッシュ・ハードロック。
うるさい上に旬を過ぎていたジャンルの音楽は、女ウケが悪かった。
もちろん、髪型も別に凝ってなかったし、メンバーも別に女にガツガツした奴はおらず、浮いた話もなく、バンドは高校卒業と同時に解散。
それから紆余曲折あって、俺は今、絶賛社畜中。
その日もいつも通り起きた。
そして、自動人形のごとく定例通りの動きでトイレへ向かう。
回らない頭で、洗面台の鏡を見る。
見たこともない女の子が映っている。
手を伸ばすと、相手も同じように手を伸ばし、鏡にぶつかる。
鼻を触る。デコデコした感触ではなく、まるでパンの生地のように滑らか。
髪を触る。生やしたこともないほどの長さの髪が手にまとわりつく。
これは……。
な……
な……
なんじゃこりゃあああああああああああ!!!!
絶叫が洗面室にこだました。
◆◇◆ ◆◇◆
《視点:初見百合》
あたしの中にあるのはただの恐怖だった。
驚きではない。そこにあるのは純粋な恐怖。
あたしは座り込んだ。
突き出た腹が、あたしの胃を圧迫する。
あり得ない。あり得ない。
これは夢だこれは夢だこれは夢だ……。
あたしは頭の中で必死に唱えた。
涙がポロポロとこぼれてくる。
すると、知らないおばさんが――いや、どこかで見たことあるような――しかし今はそんなことはどうでもいい――言った。
「どうしたのよ隆二?」
リュウジ?
それがこの男の名前なの?
それはいいんだけど、なんであたしがそのリュウジに?
あたしは魚みたいに口を何度かぱくぱくさせただけで、何も言えなかった。
すると、インターホンが鳴った――
◆◇◆ ◆◇◆
《視点:武藤隆二》
俺は一瞬で覚醒した頭で考えた。
そして、自分が普段とは全く違うパジャマを着ていることに気づいた。
手の様子も全く違う。
これは――
なんだこれは……一体、俺は夢を見ているのか?
しかし、あまりにもリアルな夢だった。
ふとアニメの一場面が蘇る。
まさか……そんなことが……。
今まで混乱していた頭で気づかなかったが、よく見ればこれは俺のイエではない。
リビングを覗き込む。
全く違う。
俺は玄関を開け、表札を見た。
初見――
と書いてある。
そして、目の前は勝手知ったる俺のイエ――武藤家のドアだった。
いまだ跳ね返る心臓を抑えて、下した結論は、俺はお隣の初見さんのイエの女の子になってしまったんだ、ということだった。
だが、俺自身の身体は?
俺の頭をふと不安がよぎった。
死んでしまったのか?
俺は確かめずにはいられなくなった。
インターホンを押す。
「はい」
スピーカーから聞こえたのは、どう聞いても俺の母親の声だった。
「オレオレ! オレだよ!」
完全にオレオレ詐欺の口調になってしまった。
気づいた俺は、隣の初見の者だが、開けてくれないか、と言った。
ドアを開けて、母親が俺を見る。
しかし、全く俺だとは気づいていない様子だ。
「はい?」
と言った切り、俺の応答を待っている。
俺は、つっかつっかえ
「あの、隆二さん、いらっしゃいますか?」
と言った。
すると母親は
「ええ。いますけど、あの子が何か?」
「ちょっと会わせてもらえませんか」
母親は承諾し、扉を開けた。
「隆二、あんた、初見さんちの娘さんに何かしたのかい?」
母親が洗面室に向かって言った。
何を言ってるんだ母よ。
しかし、そんなツッコミはどうでもいい。
俺は生きているようだ。
安堵感が広がると同時に、では、一体誰が……?
思い返せば、そんなことはある程度推測がついたと思うが、その時の俺は完全に頭が混乱していた。
恐る恐る洗面台を覗き込むと、俺がいた。
こうして見ると、なんとも冴えないおっさんだな、と思った。
しかも泣いていた。地面に座り込んで泣く様は我ながら哀れみを覚えた。
そいつは俺をじっと見つめた。
そして、次の瞬間、俺の身体をしたそいつは、目玉を向いて卒倒した。