6、貴族の嗜み
翌朝になると、ウィンスレット邸のメイドたちが用意してくれた、ジョージアナの昔の物だと思われる乗馬用のドレスを借り身支度を整えたティファニーは、同じように乗馬服を身に付けたエーリアルと共に厩舎に向かった。
「やぁおはよう。レディたち」
厩舎の周りにはすでに乗馬服を身に付けた男性たちが待ち構えていた。まだ、春の気配が遠く朝の空気は冷たく頬を撫でる。
マクシミリアンとラファエル、シリウスとセオフィラス、オスカー。それからアデリンと、アナベル。
年若い集まりとなった。
エーリアルたちは次々と、好みの馬を見つけていくけれどティファニーは近づくのもおずおずとだった。
ひさしぶりに近くで見る馬は大きくて、やはり乗るのは怖い。
「あ、私やっぱり…やめてもいい?」
「ああ、苦手だって言ってましたね?」
マクシミリアンが言った。
「大丈夫ですよ?ちゃんと私たちでサポートしますから」
「でも、やっぱりサポートしてもらってなんとかなるほどのレベルじゃないの…」
まず、乗るところから無理そうだ…。
「じゃあ私の馬に乗ってください」
にこやかにマクシミリアンが言うが、つまりは密着するではないか…
「いぇ、それも…困ります…ほんとに」
「遠慮なさらず」
にこにこというマクシミリアン。そのまま、押し問答となってしまう。
「つべこべ言ってないで乗れよ」
ラファエルがそう言うと、ティファニーの腰を持ち上げて、自分の馬に横向けに乗せると、自分もさっとティファニーの後ろに跨がった。
「ラファエル!」
「お前が行かないって言ったらみんなが気を使うだろ?」
「…あ…」
ティファニーは思わずそうか、と思った。
「ごめんなさい、ありがとう…」
ようやく話が纏まったと、ほっとしたように皆が次々と馬に騎乗すると、ゆっくりとした歩調で歩き出す。
「…っ!やっぱり…ダメ…」
ティファニーは思わずぎゅっと目を瞑った。
「なに?」
ラファエルの呆れたような声が、すぐ真上からする。怖くて、忘れていたけれど体温が感じられる程近いのだ。
「高いし…それに揺れるのも怖い…」
「お前って…意外だな。怖いもの知らずかと思ってたよ」
少し笑いながらラファエルが言う。
「遠慮せず、掴まっておけば?」
「どこに!?」
「俺のお腹辺りかな」
「…無理…」
そう言うと、くすっとラファエルが笑った。
ティファニーは、鞍のギリギリ端をすがるように掴んだ。
「大丈夫、落ちないように気を付けるから」
ティファニーの背中と胸の前辺りに、長い腕が通り手綱を握るラファエル。触れそうなその腕に、馬上の不安定な怖さと共にドキドキしておかしくなりそうだ。
生地の厚い乗馬服で良かった…。
前を行くのは、エーリアルとマクシミリアン、アナベルとシリウス。アデリンとオスカー、セオフィラスが並んでゆっくりと歩いていく。
「後から行くから、走らせていいよ」
ラファエルが言った。
「そう?じゃあ少し先に行くね」
アデリンが言うと、颯爽と馬を走らせる。
「…ゴメンねラファエル…」
「いいよ、たまには…。ウィンスレット邸の乗馬コースはとても綺麗だからな、ゆっくり見ながら行こう」
揺られていると、少しずつ高さは見慣れてきた。
「一緒に、手綱を握ってみる?」
緊張が解けてきたのがわかったのか、ラファエルがそう言った。
「前向いた方が怖くないはずだ」
ラファエルの手が、ティファニーの手をとってそっと一緒に握らせる。
「馬は賢いから、こちらの言う通りに動いてくれるから」
声がすぐに間近でする。
ラファエルの言うように、手綱を握って操ってみると昔習った、手綱の扱い方を徐々に思い出す。
「肩の力を抜いて、そう」
ラファエルはティファニーが慣れてきたと見ると、手綱をほとんどティファニーに操らせた。
「出来てるよ」
「ほんとう?」
「うん。本当」
意外と優しい教え方だったから、ティファニーは少しだけ去年に戻ったような気がした。
しばらくそうして、ラファエルのレッスンを受けながら行くと、小さな屋敷にたどり着いた。
そこでエーリアルたちは馬から降りて屋敷の前に立っていた。
「あ、ティファニー、来た来た!先に中に入ってるね!」
大きくエーリアルが手を振ってくる。
「おはよう、ラファエル。それからティファニー」
ちょうどそこに蹄の音がして、後ろからやって来たのはキースだった。
大きな雄馬を乗りこなしながら、黒髪を風にそよが男らしい色っぽさが漂う。
「なぜ二人乗り?馬はたくさんいただろう?」
くすっと笑みを向ける。
「ティファニー、馬が怖いとかって乗れないらしくて乗せた」
「そうか」
キースはそういうと、馬から降りてティファニーに手を伸ばした。
「ちゃんとしたレディは乗馬もこなせないといけないよ、練習しような?」
長身のキースは楽々ティファニーを抱えて下ろす。
「…相変わらず細いなティファニーは。ちゃんと食べているか?」
「それは大丈夫よ、あの女もそこはちゃんとしてるから」
くすくすと笑った。
「キース、レオノーラと比べたらみんな小さくみえるよ」
ラファエルが続いて降りながら言った。
話していると、キースの後ろからフェリクス、それからアルバート・ブルーンタール、エドワード・アボットと、綺羅きらしい貴公子たちが騎乗している。みな20代後半の自信と風格のある美男子たちで、ラファエルの若々しさとは違った魅力があった。
「じゃあ俺たちはまだ奥にいくから」
とキースは再び騎乗する。
「あ、そうだ。ティファニー、今度うちに来てくれないか?レオノーラが暇すぎて機嫌が悪いんだ」
「はい、伺います」
「夏ごろにね、家族が増えるんだよ」
「あ、それって!」
ティファニーが言うと
「そう。気づいたのは最近なのだけど、レオノーラはすぐに無茶な事をしそうだから屋敷中みんなひやひやしているんだよ」
「キース、おめでとう」
にっこりとティファニーは微笑みを向けた。
「ありがとう、待ってるから」
キースは手を振ると、フェリクスたちと馬を駆けさせて行った。
ティファニーとラファエルが屋敷に入っていくと、先に着いた面々は飲み物を飲んだりと寛いでいた。
「ねぇ、キース卿と仲良しなのね?」
エーリアルがわくわくと聞いてくる。
「そうなの、従姉の婚約者がキースとレオノーラの友達らしくてその縁で」
「そうなの!ものすごーく素敵よね…」
エーリアルがうっとりと言っている。
「親衛隊が凄かったらしいけど、さすがに選んだのが皆の憧れのレオノーラ様なら文句もないわよね?」
「そうね」
くすくすと二人は笑いあった。
「俺たちを目の前にして、褒めるなんて…癪だけど、あの方たちは本当に格好いいからなぁ」
シリウスが言う。
「あの存在感がなんだかもう凄いよな…」
オスカーもうんうんとうなずいている。
ティファニーが飲み物を飲んで一息ついたところで、再び騎乗して元来た道をたどるのだ。
ティファニーは再び、ラファエルの前に座る。
「ラファエルは知っていたのでしょ?どうして教えてくれなかったの?」
「レオノーラの事?わざわざ言わないよ」
「そういうもの?」
「そ、」
「ふぅん?」
「…それに、傷つくかなって」
「私が?」
「…キースの事、好きなんだろ?」
「キースの事はもちろん好きよ?レオノーラの事も。だから、凄く嬉しい。…どうして私が傷つくの?」
「いや…ティファニーって、キースに惚れてるんじゃないのかと」
「あのね、確かにキースは格好いいと思ったし憧れもするけれど、キースにはレオノーラがいるじゃない?出会った瞬間に一目惚れして失恋してるようなものでしょ?」
「あー、まぁそうなんだけどさ…てっきりそうだと。さっきも凄く嬉しそうな顔で見てたし」
「そうね、会えて嬉しかったし、レオノーラに赤ちゃんが出来て嬉しかったし」
「や、なんかごめん。変な気のまわし方をしたな」
「ほんとにね」
くすっとティファニーは笑った。
まさか、そんな風に思っていたなんて…私の特別の好きは貴方だと、なんの悩みもなくそう言えたなら…
「ティファニー、毎朝練習しろよ。教えてあげるからさ」
「何て言ったの?」
「だから、乗馬。迎えにいってやるから練習しようってこと。キースも言ってただろう?乗れないとこれから困るよ?」
「うっ…」
確かに…そうかもしれない。
「じゃあ、お願いします…」
…あ、どうしてお願いしますなんて言ったの?どうして…気まずいのに、近づくことをしてしまうんだろう…。
けれど…朝に会えるのかと思うと、やっぱりドキドキして嬉しくなる。
「任せろ。ちゃんと乗れるようにしてやるから」
どうして…こんなに優しくしてくれるの?ラファエル…
お日様の光だけで育ったみたいな、明るくて少しやんちゃで、家族と仲が良くて、真っ直ぐなひと…。愛されずに育った、ひねくれたティファニーとは全然合わない…。
だけど、今は…どちらかに婚約が決まるまで…それまでは…こうして会っていても罪にはならない。
「本当に?私あんまりいい生徒じゃないかもよ?」
「だろうな」
くすくすと二人で笑い合う。
本当にひさしぶりの軽口だった。過去にこだわって態度をおかしくしていたのはティファニーだけだったのかな?とそう思わせた。
帰りは景色を楽しめる余裕もあった。先を行くエーリアルたちが馬を心地良さそうに駆けさせてとても気持ちが良さそうだ。
「みんな上手なんだ…」
「ティファニー乗馬もダンスと同じくらい大事な社交だよ」
少し呆れたように言う。
「うん…」
それはわかっている。けれど、13歳の時に父が病にかかるとそれ(社交デビューの準備)どころではなくなってしまったのだ。2年の闘病生活も虚しく、最後は痩せ細り見る影もなく亡くなったのだ。
ティファニーが父が亡くなることに不安を覚えていたように、クロエもまた、不安を抱えていたのかもしれない。
デビューを控えたティファニー。まだ年若いルロイ。
思えば、関係が悪化したのは父が倒れてからであった。
「どうした?」
「ううん、何でもない…」
貴族なら当たり前の事が、当たり前の環境ではなかった…。
こうして一緒にいると思い知らされる。
ブロンテ伯爵家は家柄もよく、裕福で、しかも安泰だ。
バクスター子爵家は、家柄はともかく今や年若い当主の勢いの衰えた家だ。その差が今は辛く感じる。
「なに?はっきり言ってくれないとわからないよ」
「言いたくないことだって…あるの。ラファエルの無神経…」
「…相変わらず拗ねてるねティファニーは」
ラファエルはため息をついて言う。
気まずい空気とそして、二人とも無言のまま厩舎に着いた。
ラファエルがティファニーの腰に手をやり下ろしてくれる。
「ありがとうラファエル」
目も合わせずにそう言った。
「あー、お腹空いたぁ!ティファニーも空いたわよね?」
エーリアルがにこにこと言ってくる。
この明るさには本当に救われる。
そのままみんなそれぞれ部屋に向かい、大広間で朝食は乗馬を楽しんだ皆で摂ることにした。
「ね、ティファニー」
「なに?エーリアル」
「ラファエルと、喧嘩した?」
こそこそと聞いてくる。
「ちょっとした、かも」
「仲良いんだ」
くすくすとエーリアルが笑った。
「どうしてそうなるの?」
「喧嘩出来るってことは仲良しだって事なんですって。私とアデリンが喧嘩したら、お母様がいつもそう言うの」
「エーリアル…本当にそういうのじゃないから」
ごちそうさまと、ティファニーはナイフとフォークを置く。
「え?もういいの?ティファニー」
とアデリンがビックリして言ってくる。
「おしまいだとだめ?」
「ダイエット?」
アナベルが聞いてくる。
「やっぱり少ないと思う?」
おそるおそる聞くと、うなずきが返ってくる。
「体質的にあまりたくさん食べられないの」
父が倒れて、痩せ細っていくのを見てからかそれ以来あまり食べられなくなってしまった。
「家ではその代わりに回数を多くしてもらってるの。だから大丈夫よ」
ティファニーはアデリンとアナベルに笑みを向けた。
「そうなの?いいなぁ、そういうの女の子らしくて、私なんてしっかり食べれてしまうわ」
エーリアルが明るく言った。
「エーリアルは時々食べすぎ」
アデリンがたしなめ、エーリアルがそれに笑う。仲が良いそのやり取りにみんな和んだ。
目の前の男性たちは、さっきから話ながらも清々しいほどたっぷりと食べている。それはキースとレオノーラの事を思い出させ少し懐かしくなる。
お茶を飲んでいる所で部屋に入ってきたのは、パリッと濃紺のフロックコートを着こなしたジョルダンだった。
「おはようティファニー」
「おはようございます。ジョルダン」
「楽しめた?」
「ええ、もちろん楽しかったです」
「送っていくから、帰るときには誰かに伝言して」
「え、そうなのですか?ありがとうございます」
ティファニーは素直に礼を言った。
じゃあ後でねと、柔らかな笑みを見せてジョルダンは出ていった。
「ティファニーって…モテるのね」
アデリンがニヤニヤと言ってくる。
「ええっ?」
「ジョルダンって頭も凄く良くって洗練されてて、それに、侯爵家の次男でしょ?いいなぁ…私も送ってほしい~」
昨日のエーリアルの話を思い出す。
レイノルズ伯爵家の存続に関わる話を…。
「ジョルダンは私の先生なの。あまりにレディらしくないから、教師役をしてくださるそうよ」
「あら、そうなの?でも…可愛い子はやっぱり得よね」
「あ、ねぇ。ティファニーはピアノは上手?」
「うーん。そこそこ大丈夫だと思うけれど?」
「ここのピアノは凄いんですってお姉様が、あ、シャーロットお姉様ね。だけど私はあんまり上手じゃなくって、ティファニーが上手なら聞いてみたいなって」
「そうなの?それは是非弾いてみたくなるわ」
「じゃあいきましょ」
ウィンスレット邸の広間の1つにあるピアノ。さすがに有名な職人による手の込んだ逸品である。そして、細工も美しい。同じものは他にないのかもしれない。
ティファニーは、蓋を開けてそっと1音ならした。
「エーリアル、なにかリクエストは?」
「何でもいいのティファニーの好きなの弾いて」
じゃあ、とティファニーはゆったりとした曲調の有名な曲を選んだ。家ではいつも、音を控えているので遠慮せず弾けるのは素直に楽しい。
「ティファニー、上手ね素敵」
「ありがとう」
にこっと微笑んで振り返った。
「エーリアル様お迎えでございます」
ウィンスレット家のお仕着せを着た従僕がお辞儀をして告げに来る。
「あ、そう?ありがとう」
「じゃあ、私も帰るわ。ジョルダン卿にお伝えしてくれる?」
「はい、お伝えして参ります」
「エーリアル、ありがとう。貴女のお陰でとても楽しかったわ」
「私も!また遊びましょうね」
にこっとエーリアルが微笑んで、抱き締めあう。
ジョルダンの馬車でバクスター邸に戻ったティファニーは、ジョルダンと共に邸に入った。
「おかえりなさいませ、ティファニー様」
エマが元気に迎えてくれる。
「ではね、ティファニー。私も今日はここで失礼するよ、昨日から疲れているだろう?」
確かに、寝不足である。
立ち去っていくジョルダンを、送ると
「もぅ、ティファニー様ったら最近モテ期ですかぁ?」
「違うわよ、全然」
「少しお休みになる前に、少し食べてくださいね」
エマがにっこりと笑みをつくって言う。
「はーい」
朝と夜の2回の食事の合間に、キッチンに手配したり、色々と用意してくれるエマには逆らえない…。
少しの料理を摂ると、ティファニーはベッドに横になった。
少し休んだ昼過ぎに、エマが呼びに来る。
「ティファニー様、あの靴職人が来ております。ジョルダン卿の贈り物だそうです」
「え…」
戸惑いつつも、応接室へいくと職人が来ていて、足を測定して帰っていった。
「合う靴がなかなかないでしょう?」
ティファニーの足は小さい方だ。全体的に小さいのだから仕方がない。
それに気づいたジョルダンが手配してくれたのだろうか?とティファニーは思った。彼もまた、何を考えているのかわからない人である。
いつか、わかる日が来るのだろうか…。
『はっきり言ってくれないとわからないよ』
確かにそうだ…自分もラファエルに、謎だと思われているのかも知れない。だからって、思う事をいってもわかり合えるとも思えないし、さらりと話せる事でもなかった。特に父の事は…。