36(Raphael)
ティファニーが去った…。
その後の日々は、どう過ごしていたのかラファエルには記憶がない。
しかし無意識に、新聞の婚約欄をみては名前を確かめる…。
もし、見つけたら…。そいつと決闘する?そこまでの想いがあるのか?
もし、見つけたら…。連れ去りにいく?何もかも捨てて、そこまでの気持ちがあるのか?
自問自答の日々だった。
「レオノーラの所の令嬢だが、家に帰ったようだ」
朝食の席でアルマンがリリアナに言った。
「まぁ、そうなの?でも、大丈夫なの?突然の縁談に嫌がって邸を飛び出したと聞いから心配だわ」
「それなら白紙になったらしい。おそらくキースが手を回したに違いない」
ピクリとラファエルはわずかに反応した。
白紙に、なった…
「キースは本当に頼もしいわね!本当に良かった」
「あんた、仲良しだったんでしょ?聞いてないの?」
ルシアンナの言葉がラファエルに突き刺さる。
いっそ、ぶちまけるか…。
「聞いてない。別に、仲良しなんかじゃない」
ラファエルは立ち上がった。
「なんなの?機嫌悪いわね、ちょっとは大人になりなさいよラファエル」
「…うるさい」
キースが…白紙に…。
自分が子供過ぎて、惨めだ。キースの対応が…正解だ…。
どうする?ラファエル…
ティファニーをすぐに迎えに行くべきじゃないのか?
しかし…
『好きじゃない』
その言葉がラファエルをすっと冷えさせる。
ラファエルはたまたまそこにいた、たまたま親しかっただけの…嫌いでないただの男だっただけかも知れない。
ラファエルはまだ若い。ティファニーもさらにまだ若い。
二人が黙っていれば、あの夜の事は誰も知らない…。
ひどい雨が帰れなかった理由を…。
探されなかったその理由を作っていたから
(父に…キースに負けない…少しでも今より、大人の男にならなくては…。堂々と迎えにもいけないじゃないか…)
ラファエルは領地に帰ってからは、黙々と父に従い自分の務めを果たすべく必死になった。
「社交もこれぐらい頑張ってくれたらな…。あれはあれで大事なんだ」
「…来シーズンは…ちゃんとするよ」
アルマンの言葉にラファエルは返した。
もう一度、ティファニーと会える機会はあるのか?
なければ…会いに、行けばいい…。
「レオノーラが、ティファニー・プリスフォードのデビュー エスコートを頼みたいそうだ。出来るか?」
「俺に?」
「覚えているだろう?レオノーラの所で預かっていた令嬢だ」
「あら、あの子ね、ちょっと頼りないけど、いいじゃない。社交嫌いも少しずつ克復しないとね」
くすくすとリリアナが笑った。
「引き受けるよ」
どんな顔で…会えばいい?
デビューしたティファニーが他の誰かを好きになったら?祝福、出来るのか…。
「まぁ、なあに?不機嫌そうに…。ちゃんと優しくねラファエル」
忘れたことなんて…あるわけがない。
ラファエルの五感はすべてを覚えている。
その音も、香りも、感触も…すべて
「俺だって子供じゃない。…デビューの相手を紳士的に、努められます」
…もう一度出会いから…やり直す…。
そうして再会したティファニーは…やはり…ドレスを着ていても、ラファエルの目には彼女だけがくっきりと映り、特別な存在だと知らしめていた…。
**
「抗えない…か。そんな相手と会えるのは幸せな事だな」
「かもな」
ラファエルはウィルに笑った。
きっと、ロレインにとってのジョルダンも、そうだったに違いない。
〝『ラファエル。何もない…と思いたいが、良くも悪くも彼女…は女性的な人なんだ』
『何もないってなんだ…』
『恋は時に人を変えてしまう』
ジョルダンがひどく真面目に言う。
『私が離れることで変わるかもしれない』
『向こうから別れを切り出したんだろ?』
『そうだ。だから、彼女の気持ちが終わったのだと思いたい』
『だったら…』
『…気になることが一つ。最後の手紙に、彼女とお幸せに、とあった。私が、最近エスコートをしたのはティファニーだった』
『…とんでもない置き土産だなジョルダン』
『すまない』
ジョルダンは旅立つ前、ラファエルにそう苦笑した”
本当に…とんでもない置き土産だ。
ジョルダンには恩があるから、恨みはないが文句のひとつは言いたくもなる!!
「探しに行った方がいいんじゃない?」
「言われなくても、行こうとしてた」
ラファエルは立ち上がり、埃をぱっと払った。
「仲直りの時は女に逆らっちゃダメなんだってさ」
「誰の教え?」
「父上」
ぷはっとラファエルは吹き出した。
意外と伯父は妻に弱いらしい。
「覚えておく」
部屋にはティファニーはいなかった。
と、すれば行きそうな所は一つ。
思った通りピアノの音色が聞こえてくる。
階下に降りて、少し開いた扉を開けるとピアノを奏でるティファニーがいた。
チラリと見ただけで反応しないティファニーの背後で、ラファエルは目当ての楽譜を見つけた。
それをとん、と譜面立てに置くと強引に隣に座った。
「これだけは、弾ける」
多分…とつくが。二人で弾く連弾はルシアンナがかなり強引に相手をさせた。
ラファエルが弾きはじめると、ティファニーもさすがに上手く合わせてきた。
ワルツの名をもつこの曲はとても明るくて楽しめる…。
「…わ…」
やはり後半は練習不足がたたってラファエルは間違える…。
「…誘っておいて、台無しだな…」
(カッコ悪い…)
「ううん、楽しかった」
にっこりとティファニーがラファエルの方を向いて笑う。
「…ティファニーとロレインは…。全然違うから、自分の努力でティファニーは今ここにいるんだからな。あんな手紙はデタラメだ」
「…ラファエル…ロレインはどうしてあんな手紙を書いたの?」
「…壊したいんじゃないか…?今の環境を」
あの手紙を暴露してしまえば、カートライト家は大丈夫かも知れないが、ロレインは終わる。
カートライト家の名は傷つく。
そんな自暴自棄ともいえる行為に思えた。ロレインは自分も、ナサニエル・カートライトも傷つけたい、そう思えた。
すべてを…恨んでいる。
「同情もなにもしなくていい」
「同情なんて…しない。もう…忘れるの、あんな手紙の事なんて」
強がって言い切るティファニーをラファエルは見つめて、そして頬に手を伸ばした。
「渡すべきじゃなかった」
「ううん、私がイライラして…ぶつけたりしたから」
「…連弾、またする?」
「ラファエルは練習しないと弾き終えられないよ」
くすとティファニーは笑った。
「どうせならヴァイオリンとピアノで合奏でしょ」
「そうだな」
ふっとラファエルも笑いを返した。
もう一度…と二人でピアノに向かい合う。
今、この時があるのはティファニーが…ラファエルが築き上げた結果だ。
例え他人に助けられての結果だったとしても、
他人になんと言われても…。




